2016年9月24日 (土)

避難訓練コンサート

 9月の走行距離、何とまだ51キロちょっと。外を走るようになってから、9月は最も走行距離が長くなるのに、引っ越しや雨天続きですっかり調整遅れです。
 今朝は曇り空だったので6時20分頃から走り始めたものの、初心者の頃と同じく「16キロバテ」を起こしてしまい、20キロまでは走り通して1キロ歩き、最後1キロちょっとをノロノロと走る始末。1か月後にハーフマラソン、その10日後にフルマラソンというのに、これで間に合うのか不安です。
 太田に来てからというもの、受け持ち地域から外に出たことがなかったこともあり、休日の今日は午後から、西隣の伊勢崎市文化会館で開かれた「避難訓練コンサート」に行きました。演奏中に大地震が発生したという想定で、屋外に避難する訓練です。
 半分は仕事ですが、ジャズの生演奏を楽しみたかったのでした。出演した森村恭一郎カルテットは地元で活躍するセミプロですが、後半は予定を変えて、客席からのリクエストをすぐ演奏してくれました。「A列車で行こう」「聖者の行進」「枯葉」など、スタンダードな名曲が多かったとはいえ、いきなり弾けちゃうのはすごい。
 ジャズのライブを聴くのは大阪にいた頃、ブルーノートに行って以来でしたが、やっぱり生演奏はいいな~。大いに満足しました。

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2013年1月17日 (木)

面接授業「歌舞伎音楽」

 16日と17日の2日間、放送大学の東京文京学習センターで「歌舞伎音楽」の面接授業を受講しました。平日の連日授業は初めてです。
 曜日に関係のない仕事だけに、平日の授業を受けられたのですが、今回は諸般の事情で公休は取れませんでした。で、どうしたかというと、

 16日午前10時~午後5時半=面接授業
    午後6時半~翌日午前2時半=仕事
   (勤務先に宿泊)
 17日午前10時~午後5時半=面接授業
    午後6時半~翌日午前2時半=仕事
   (帰宅)

という、強行スケジュールでした。勤務先はちゃんと寝るスペースがありますが、どうも落ち着かないから、睡眠時間は3時間程度だったかもしれません。2日目はそのせいで居眠りをしてしまうかもしれないと心配だったものの、非常に興味深い内容だったおかげで、寝てしまうことはありませんでした。
 講師は配川美加先生。驚いたのは、この2日間の授業のために用意したB4判プリントが32枚もあったこと。それもレジュメではなく、ほとんど講義内容を網羅しているノートそのものと言っていいほど、内容が詳しい。初日こそ、別にノートを取っていましたが、2日目はプリントへの書き込みだけにしました。
 歌舞伎を観るのは年に2,3回程度ですから、そこで奏でられる音楽についての知識はほぼありません。清元と常盤津なんて、衣装の色が違うことしか知らなかったし…。
 配川先生はとても体系的に解説してくれました。音楽としてとらえる範囲も広く、効果音や擬音はもちろんのこと、大向うの掛け声まで入っていたのは「演客一体」が大きな特徴でもある歌舞伎ならではのことでしょう。本当は、講義のタイトルも「歌舞伎を支える音」といった方がふさわしいのかもしれません。
 また、今回の面接授業は、珍しいくらい受講生同士が話をしていました。放送大学の学生には、いろいろな意味で突出したタイプが時々いますが、そういった手合いがいなかったこともあり、非常に落ち着いた雰囲気のクラスになっていました。全員が、程度の差はあれ、歌舞伎ファンだという暗黙の認識があったせいなのかもしれません。
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 関係ないけど、授業初日の昼食は「きなり屋」の「きなりラーメン」。豚骨使ってます感がほとんどない味のラーメンは、滅多にお目にかかれなくなってしまっただけに、ここへ来ると食べに行ってしまいます。といっても、2度目だけど。
 2日目は、PANASの薬膳カレー。体に良さそうだしね。2日間の組み合わせは去年の今頃にここで面接授業を受講した時と同じ。平日だけに、新規開拓もしたかったけど、つい失敗を恐れて安全な道を選んだのでした。

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2013年1月 3日 (木)

年末年始あれこれ2012~13

 12月22日(土)
 夜勤で1時半過ぎに帰宅した後、ひと眠りして君津の実家へ帰り、車を借りて雨の中を船橋へ。市場通りで渋滞に巻き込まれる。行田団地から抜けるべきだったが、普段車を使っていないせいで気が回らず。灯油を買うとか、ブックオフに本を売りに行くとか、車がないと済ませにくい用事を済ませて、夕方には君津へ無事戻った。

 12月23日(日)
 有馬記念当日が休みなのは何年ぶりだろうか。「ゴールドシップとルーラーシップの2頭軸で3連複総流し」という当初方針を守れず、狙い目を絞ったのが大失敗のもとだった。この愚行、毎年繰り返してばかりだ。

 12月25日(火)
 午後から歯科診療。歯石を取って3か月に及んだ治療はおしまい。昔みたいにガリガリ削るやり方じゃなくなったのを今更ながら知った。
 思いのほか時間がかかり、その後に鍼灸治療を済ませて、急いで出社したものの、5分弱の遅刻をしてしまった。
 12月26日(水)
 公休。本来なら大掃除をしたいところだけど、社内研修の事前レポートを書かなければならず、大掃除は後回しに。
 12月27日(木)
1dsc_0022  久しぶりに築地場外市場で朝ごはん@鳥藤分店。12月限定という「炙り合鴨の親子丼」(1000円)をいただく。香ばしさと長ネギがよく合っている感じ。合鴨とはいえ、「鴨ネギ」とはよく言ったもの。
 なかなか抜けきらない風邪を治すのに役立ってくれるといいんだけど。
 仕事帰り、船橋のエグザスで久しぶりにトレッドミルで1時間走る。右膝裏のわずかな痛みがなかなか治らずに練習を休んでいたけど、ネットでこうした痛みを経験した人の書き込みを読むと、深刻じゃなければ走ってしまった方が痛みの解消につながることが結構あるみたいだ。やってみた感じでは、ひどくなることはなさそうだった。
 12月28日(金)
 午前中は職場の中期計画案とやらの作成に追われ、またしても掃除はできず。夜勤の前に、築地場外市場にある「フォーシーズン」で、今年最後のナポリタンをいただく。やはり有馬記念を外したというマスターと、来年の捲土重来?を誓う。
 12月29日(土)
 今夜は夜勤からそのまま不寝番なので、多少は睡眠時間を稼いでおきたかったけど、形ばかりでも大掃除は済ませておきたかったので、9時過ぎに起床。まあ、いくらかは片付いたように見える程度にはなった。
 12月30日(日)
 日勤の人たちに業務を引き継いで朝8時半過ぎ、東銀座駅へ。日比谷線に乗ろうとしたところで、スマホの充電ケーブルを職場に忘れたことに気づき、引き返す。ただの携帯電話の時は、ケーブルを忘れて帰省しても実家に共通ケーブルがあるから大丈夫だったけど、今や充電ケーブルの重要度は本体並みだ。
 おかげで帰省スケジュールが若干狂ったものの、12時半には君津の実家に到着。昼食の後、爆睡。
1dsc_0023  12月31日(月)
 磐田の兄貴Kさんが贈ってくれた高級メロンを賞味。食べ頃は29日となっていたけど、個人的にはそれよりさらに熟したくらいが好きなので、帰省まで待った次第。写真でわかる通り、左下に熟しすぎた部分が出ちゃっています。しつこさのない甘さで、良い年の瀬となりました。
 その後、小糸川ジョギングロードを1時間ほど走る。調子のいい頃には意識しなくてもキロ5分40秒台だったのに、復調途上の今は6分10秒台だ。本当は1日午前の君津ニューイヤーマラソンに出走したかったけど、無理をする段階ではないので回避することに。
 夜、紅白歌合戦を見もせずに、テレビ東京の懐メロ番組を見ていたら、こちらも「紅白化」が始まっていて呆然とした。
 「紅白」の凋落は桜田淳子が「セーラー服と機関銃」を歌った1981年に始まったと思う。自分の持ち歌でない曲を歌うケースが出始めたのがシラケさせた原因ですが、テレ東の懐メロもほとんどは本人以外が歌っている。これじゃ歌が抜群に上手い老人のカラオケ大会でしかない。どんなに上手でも、青江美奈以外の伊勢佐木町ブルースってのはどうもねぇ。
 結局、BSジャパンでやっていた「堀尾正明・江川卓が選ぶこれが昭和プロ野球ドリームチームだ」を見続けてしまった。掛布や原、高橋慶彦のレコードとかも聞けて結構面白かったけど、テレ東系のBS局なのに日テレのコンビをそのまま起用するおおらかさが何よりよかった。
 1月1日(火)
 風ひとつない静かな元旦、雑煮を祝う。こういう平穏な時が続いてほしい。走り初めは明日に。
 1月3日(木)
 磐田でお世話になった方が亡くなったとK兄貴から連絡をいただく。通夜か葬儀に参列したいところだけど、勤務の都合で叶わず。
 昨日は強風のため、走り初めは今日に延期。10.4kmを1時間5分弱が精いっぱいと、5週間前にフルマラソンを走り切ったとはとても思えない。休養からの復調は結構大変そう。11日後の駅伝が思いやられる。

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2012年3月 2日 (金)

岩崎宏美コンサート 虹~Singer~

 2年ほど前、NHKの「SONGS」に出演したのを見てから、一度は行ってみたいと思っていた岩崎宏美さんのコンサートが習志野文化ホールであり、あいにくの雨の中、不寝番前に出かけました。
 恥ずかしながら、ポピュラー音楽のコンサートに出かけるのは初めて。クラッシックはたまに行くことがあったけど、あれは黙って座って聴いて、終わったら拍手すればいいんだから気楽です。でも、ポピュラー音楽だとどうなんだろう。手拍子だの、一緒に歌えだの、総立ちだの、そういうのがあると面倒くさいから、全然行く気がおきなかったのでした。
 会場に入ってみてびっくり。客層の大半は年配の方ばかりで、50歳の僕でさえ1400人以上の観客の中で若いほうから1割に入っていると言っても過言ではない感じです。アイドル当時からのファンという人だっているんでしょうけど、それより後の時期にファンになった人のほうが多いみたいでした。
 バックは弦楽四重奏+ピアノ+ベース+ドラムスで、管楽器やギターはなく、実に落ち着いた雰囲気でした。電気増幅楽器もベースのみ、それも使ったのは半分くらいの曲で残りはウッドベース。
 自身の歌よりもカバー曲のほうが多かったのは意外でしたが、既にカバー曲だけのアルバムを何枚も出しており、今はそのほうが自然みたいです。若い頃の曲を歌うと、目をつぶっていればレコードかと思うほど、若い声になるのはすごい。後ろの席のおばはんが時々、鼻歌を歌っちゃうのには閉口しましたけど。俺は金を払ってあんたの鼻歌を聴きに来たんじゃないんだけど、我慢しなくちゃいけないんでしょうね、こういうの。
 とはいえ、今までCDの一つも聴いていなかったのが悔やまれる思い。終演後、ロビーでライブ音源のベストCD2枚組を販売しており、即購入。その特典として、握手会に参加できるとのこと。時間もまだまだあったことだし、行列に並びましたよ。
 待つこと20分程度。「素敵なステージでした」と、ありきたりな感想をつい言ってしまったのに、「どうもありがあとうございます」と笑顔を返してくれて、ドキドキしてしまったのでした。

 ご本人のライブ・レポートはこちら
 
 

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2010年9月 6日 (月)

festina lente

 「フェスティナ・レンテ」という言葉を知ったのは、距離が2000mに短縮された1984年の天皇賞(秋)をミスターシービーが制した翌日、その詳報を伝えるサンケイスポーツを読んだ時のこと。この頃、鬼才ぶりを如何なく発揮していた佐藤洋一郎記者の手になる記事だったと思います。
 「悠々として急げ」
 追い込み馬ではなく、「後ろから行く逃げ馬」だと思っていたミスターシービーのレースぶりにふさわしい言葉であり、きっと佐藤記者も僕と同じ見方をしているに違いないと感じたものです。
 その後、開高健氏に同名のエッセー集があるのを知り、ついでながら、就職先の社報に新入社員としての抱負の一言を書く際、この言葉を借用させてもらったこともあります。
 こうした思い入れのある言葉だけに、宿泊したホテルで夜に催されるロビーコンサートに出演するグループが「festina lente」という名だと知った時、これは聴かずばなるまいと思ったのでした。
 東京音大出身のソプラノ4人によるコーラスグループだそうで、何だかんだと言っても、若い女性によるこの手のクラッシック系音楽はすぐに好きになってしまう。これまでのブログを振り返っても、シャナヒーとか、藤枝貴子さんとか、時々出てくるな〜。(*^-^)
 吹き抜け天井のロビーでそこそこ響くせいもあり、マイクなしのライブでも美しく、素晴らしい歌声が十分に伝わってくる。選曲も童謡からオペラの一節まで幅広く、クラッシックに疎くても豊かな気分にさせてもらえました。「フニクリ・フニクラ」をイタリア語、日本語と歌ってくれた後、(ついでに「鬼〜のパンツはいいパンツ」も歌ったら、エンターテイメントとしては120点だな)と、くだらないことを思いついてしまったのはご勘弁のほどを。
 一番良かったのは、4人が客席を囲むように4方向に分かれて歌った時。通常のステージと客席が逆になり、四方からのハーモニーがまさしく立体的に聴こえて陶酔しそうな気分でした。小さい会場ならではの、贅沢な楽しみだったかもしれません。
100906  4人のお嬢さんたちとは、行き帰りとも同じバスに乗っていたのでした。

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2010年4月17日 (土)

4月の雪、その他あれこれ

 午前1時半頃に帰宅した時はまだ冷たい雨だったけど、起きてみたら、近くの家々の屋根などに薄らと雪が積もっていました。盛岡にいた頃だって、4月半ば過ぎに降ることはあっても積もった覚えはありません。桜が散った後に、まさかね〜。「どうした地球温暖化、責任者出てこい!」と怒鳴りたいくらい、寒い。
100417_3  少しだけ見えた富士山も、いかにも新雪を被った感じでした。
 録画しておいたNHKの「SONGS 岩崎宏美」を見る。やっぱ、歌唱力断然だなーって思う。この人の歌をカバーした人って、あまり聞いたことがないけど(その方面に暗いので、僕が知らないだけかも)、違う味を出すのさえ難しいのかもしれません。
 番組で、本人が「強い思い入れがあります」と言っていたのが「夢破れて」。スーザン・ボイルさんが名を挙げたあの曲、ミュージカル「レ・ミゼラブル」のファンティーヌの歌だとは、恥ずかしながら僕は全く知りませんでした。「初演の頃は気持ちを想像して歌うだけだったけど、離婚などを経た今は気持ちを込めて歌えるようになってきた」とのこと。
 この「夢破れて」の原題は「I dreamed a dream」ですが、「エアシャカールのお母さんの名前じゃん」と競馬に話が向いてしまいます。10年前の2冠馬、あすの皐月賞はエアシャカールが勝ったホープフルSの勝ち馬アリゼオも少し買うとするか。
 夕方、久しぶりに行田公園でジョギング10周するも、またしても足にマメ。靴を変えるしかないかな。
 このところ、ニラ炒めがお気に入り。ニラをざく切りして炒めるだけで、味付け一切なし。学生の頃の「モヤシのエバラ焼き肉のたれ炒め」よりも手抜きで、料理の名に値しない行為ながら、ニラってこんなに甘味があるのかと、意外な発見でした。

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2008年11月18日 (火)

MODEA CALM des Vision

 TSUTAYAから、誕生月の特典で旧作CDの半額レンタルクーポンが届いた。この際だから、globeでも借りようと思う。小室哲哉プロデューサーも、捕まっちゃえば「マーケティング手法を取り入れて客が喜ぶような楽曲を初めから作るやり方が壁に突き当たったのが転落の始まり」「音楽を愛する心が全く伝わってこない」などと、専門家から素人まで非難の嵐。これだけああだこうだと言われていると、(そういや、何年も聴いてなかったな)と懐かしくなってしまったのです。
 雑用で勤務先を出るのが遅くなり、6時過ぎにオアゾを通り抜けて総武快速線の改札へ降りるエスカレーターに向かおうとすると、何やらライブ演奏をしている。バイオリンと電子ピアノ、パーカッションの組み合わせでボーカルはなし。アコースティックなクロスオーバーのオリジナル曲らしい。
 どこがどうだとはうまく言えませんが、何となく気を引かれて見に行くと、MODEA (モーディア、正式のグループ名は表題の通り)という若い女性3人のグループでした。テレビ東京で平日の午後4時からやっている「レディス4」のテーマなどが、よく知られた曲だそうです。
 1曲聴いたら帰るか、と思いつつ、まあこの際だからもう1曲、ついでだから最後までと延々と聴いてしまった。その挙げ句、即売していたベスト盤CDを買って、メンバー3人にサインしてもらう始末。これじゃ、とにかく若い姉ちゃんとお話ししたい哀れな中年親父じゃん。そのものか、残念ながら。11月27日にもオアゾで午後6時と同7時半からライブがあるそうです。公式HPはこっちみたい。
 そうだった。globeのCDは明日、借りに行こう。
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 こんな具合のステージでした(またしてもつらいケータイ写真…)
 

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2008年7月24日 (木)

田園・メンコン・フィガロの結婚

 仕事帰り、錦糸町で降りて「すみだトリフォニーホール 」に寄り、新日本フィルハーモニー交響楽団 による表題のコンサートを聴く。
 永遠のど素人たる僕にとって、泣いて喜ぶような選曲。プロとしたら開き直りの心境かもしれません。先日、「イー・プラス」からS席6000円を3000円にディスカウントして販売するとのメールが届き、即飛びついた次第。TBSが運営するクラッシック専門のインターネットラジオ「OTTAVA 」の開局1周年を記念しての演奏会らしい。
 クラッシックの演奏会自体、5年前、大阪市に引っ越した翌日、青柳いずみこ さんのピアノを聴いて以来か。オーケストラとなると、バレエのピットを別とすれば、磐田市に住んでいた1988年10月、隣接する袋井市の田んぼの中に作ったステージで開かれた第1回目の田園コンサート(今も続いているそうな)以来かも。そういえば、あの時も新日本フィルでした。もっとも、当時は仕事で行ったので、くつろいで演奏を楽しんだわけじゃないけど。
 当然のことながら、音楽専用ホールで聴くのも初めて。
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 左右列の客席はやや中央に向いており、ホールもステージから少し扇形になっています。僕の席は右列の中央通路寄りでした。何だかどこが水平なのかわからなくて、どうも落ち着かない感じでした。ディスカウント販売があったくらいだから、客席の埋まっている割合は6−7割ってとこでしょうか。
 やはり、生の演奏は音に奥行きや深みがあるから素晴らしい。おかしなほめ方だとは承知していますが、十分に眠くなりました。前の席のあんちゃんはぐっすり寝ていました。きっとα波が十分に発していたんだと思います。
 前日、何もなかったので定時に帰って同僚たちと一杯やったら、今日になって「すぐ帰るのはいかがなものか」と苦言を呈してきたアホがいて、何ともばからしい気分で一日を過ごしていました。でも、演奏に浸っていた2時間弱の間は、そのことを忘れることができました。

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2007年8月25日 (土)

アルパを聴く

 8月24日(金)
 集中力を発揮するほど徒労に終わることの多い、わが仕事。今日もそうだった。体はちっとも疲れてないのに、東京駅に向かって歩いていると、やけに追い抜かれてばかりだった。
 船橋駅に着いた後、東武百貨店内の眼鏡店へ行き、先日、破損した眼鏡の修理を依頼した。部品を取り寄せなければならないが、明後日には出来上がるという。1週間ぐらいは覚悟していたので、何だか得をしたような気になった。
 栃木と福島の物産展を冷やかし、スポーツクラブにでも寄るかとエスカレーターで下りかけたところ、「7時よりレストラン街のスペースでトゥインクルコンサートを開きます」とアナウンスがあった。先週の金曜日も、たまたまここで食事をした帰りにちょっとした演奏会をやっていたけど、あれは金曜日の定例行事だったのか。急ぐ用はないし、へばった気持ちにはいいかもしれないので、聴いていくことにした。
 今回は、若い女性演奏家2人がバイオリンとアルパで、カントリー・ロードやムーン・リバーなどポピュラーな曲を聴かせてくれるという趣向。バイオリニストは名前を失念してしまったが、紅白歌合戦で何度もバック演奏したほどの腕だそうだ。
 で、アルパ とは今回初めて知ったのですが、「中南米のハープ」といった民族楽器です。演奏していたのは藤枝貴子さんで、ウルグアイに渡ってアルパの演奏技術を修得したとのこと。グランドハープのような弾き方もしますが、爪弾くことが多く、聴いているとギターとマンドリンとハープを兼ねているような多彩な音色が魅力的な楽器でした。
 30分のコンサートだったけど、後になるほど拍手が大きくなっていった。へばっていた僕の気持ちも少しは豊かになった。アンコール曲の「上を向いて歩こう」が終わった後、中村屋の野菜カリーを食べ、スポーツクラブで風呂だけ入って帰宅。

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2007年5月14日 (月)

「渡良瀬橋」の歌碑

070514_3 鑁阿寺、足利学校の二大名所は、8年前の出張でちょこちょこっと回った所。今回、「ちょっと見てみたかった物」とは、先月末に除幕されたばかりの「渡良瀬橋の歌碑 」でした。
 森高千里のファンではないので、「渡良瀬橋」がどんな曲なのかさえ、実は知りませんでした。ただ、泉麻人氏が著書「たのしい社会科旅行 」で足利を訪れた際、「渡良瀬橋」(注:橋じゃなくて歌の方です)について触れており、ずっと気になっていたのです。
 東武伊勢崎線の足利市駅に観光案内所があるとは知らず、そのまま足利学校方面に行ってしまったので、渡良瀬橋の歌碑がどこに建てられたのかもわかりません。しかし、救う神あり。足利学校と道を挟んで東側にある道の駅「太平記館」で、市観光協会が作った「渡良瀬橋歌碑」というリーフレットを見つけたのでした。
 リーフレットには、「渡良瀬橋」の歌詞に出てくる「床屋と電話ボックス」や「八雲神社」を巡って、歌碑を見て東武やJRの駅に戻ってくるモデルコースを紹介しています。太平記館から歩いて戻ってくると約5キロの行程。時間からすると、歌碑に着いた辺りで日がだいぶ傾くとみて、歩いてみることに。
 市街地はほぼ平坦なせいか、スイスイ歩くことができ、渡良瀬橋の北詰(関西弁で「北の端」の意)より東に300mほどの堤防道路沿いにある歌碑にたどり着いた時には、そこそこ西日になっていました。
 歌碑の前に立つと、自動的に「渡良瀬橋」が演奏されます。曲を聴いたのは初めてでしたが、どうってことのない「床屋と電話ボックス」や「八雲神社」を盛り込んで一つの恋物語を創り上げた森高千里は大したものだと、すっかり見直してしまったのでした。
 そうそう、あしかがフラワーパークの藤ですが、ライトアップされたのを見に行くつもりだったけど、午後6時過ぎに電車に乗ったら急にくたびれて、そのまま帰ることに。船橋駅に着いたのが午後9時過ぎだったから、見に行ったら帰りは深夜だったかもしれない。
 (写真=渡良瀬川の夕映え。向こう側に見えるのが渡良瀬橋。もう30分後だと、歌詞らしい状況になったかも)

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