2009年1月21日 (水)

久々に買った「週刊ポスト」

 「源氏物語」をライフワークとする知り合いのフリーライター・鳴川和代さん がインタビューを受けた記事が載っているとのことで、不寝番明けの昨日、週刊ポスト1月30日号を購入し、当の「『性書・源氏物語』のどこにオンナは感じるか」という記事を読んだ。声に出して読むのが恥ずかしいタイトルですが、ふざけた内容ではなく、むしろこうした面からの、それも女性からのアプローチがなされていることに、いささかの爽快感さえ覚える気がします。源氏物語に興味のある向きはご一読を。
 今の職場で購読していないせいもあり、週刊ポストを読むのは在阪当時以来のこと。買って読むとなると、もう何年ぶりだろう。袋とじ写真があった号なのは間違いないけど…(^-^;
 それにしても、何とも健全化したというか、毒気が薄れてしまった。グラビアのヌードなんかないし、風俗系の記事さえ見当たらない。連載漫画はエロだったけど、確か大阪に行く前ぐらいから始まった、あまり劣情を喚起されないテのがまだ続いているとは驚いた。許される下品の限界はこの辺りってことなのでしょうか。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年1月11日 (日)

「文明の生態史観」

 長い冬休みの退屈しのぎに年初めの出勤の際、司馬遼太郎「関ヶ原」上下巻を買った。たまたま寄った東京駅八重洲地下街の書店には上下しかなく、読み終わった上巻の最後に(中巻に続く)とあるのを見て「何だ、3巻だったのか」と気づく。
 外出するのが面倒だったので(これが後に非常事態を招くとは…)、実家の書棚から昔読んだ本を読み返してみようと取り出したのが、梅棹忠夫「文明の生態史観」。
 「文明の生態史観」は予備校生だった頃、「大学への日本史」という参考書で初めて知った。当時はまだ有力だった唯物史観にはどうもなじめなかっただけに、この考え方にはずいぶん衝撃を受け、「大学に入ったらすぐ読もう」と思ったような気がする。実家にあった中公文庫は1981年1月に刊行された版だったから、たぶんその通りに買って読んだのだろう。
 しかし、衝撃を受けた割には、中身はちっとも覚えていなかった。模式図だけは覚えていたけど、これは「大学への日本史」にも出ていたので、本書を読んで覚えていたものではない。情けない。
 改めて読み返すと、実に読みやすい。ほとんどの章が一般雑誌で公表したエッセーのせいだろう。初出は57年で僕の生まれる前だ。戦後12年しかたっていないからか、アジアに対する関心がまだずいぶん高かったように思える。
 「とにかく、むかしから、なんべんでも、ものすごくむちゃくちゃな連中が、この乾燥地帯からでてきて、文明の世界を嵐のようにふきぬけていった。そのあと、文明はしばしばいやすことのむつかしい打撃をうける」
 こうした記述を読むにつけ、何だか、朝青龍に引っ掻き回されているわが国技を思い起こさずにはいられません。「進退を賭ける」初場所の初日はどうにか乗り切ったものの、さてどうなるのでしょうか。タリバンなんかは言うに及ばず。バカ話はともかく、「文明の生態史観」の今日的意義については、渡辺利夫氏のエッセー が興味深かったです。
 そうそう、「関ヶ原」は数日前、ようやく中巻を入手しました。さっそく直江兼続が登場。さっき「天地人」の2回目を見終えましたが、個人的には期待できそうな大河ドラマです。大人気の「篤姫」は、これまでの大河にない面白さがあったものの、8月頃からはほとんど見ませんでした。機転の利いたやり取りとかはよかったけど、どこか重みに欠ける感じがしてねぇ〜。吉村昭の遺作「彰義隊」を以前に読んだせいで、そう感じるのかもしれません。

090110  書き忘れそうになりましたが、「外出を面倒くさがって招いた非常事態」とは、もちろん大幅な体重増。昨日、2週間ぶりに行ったエグザスで計ったら、何とプラス4kg! 「食っちゃ寝」を続けるとこの体たらくだ。本日、エクササイズ2プログラムをこなして一応、1・4kg減ったけど、これは水を飲めば戻る分もある。昨年末の状態に戻れるのかな〜。

(開花したセロジネ。ポップアップした写真は実物よりちょっと大きめです)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年8月28日 (木)

「北里柴三郎ー雷と呼ばれた男」

 

北里柴三郎 の伝記を読んだのは、これが3度目。最初は小学生の時、純粋に「偉い人」だと尊敬するばかりだった。
 2度目は就職して数年目の頃、「ヤングジャンプ」に連載されていた「栄光なき天才たち 」で取り上げられた時。終わりの方を読んだだけながら、東京帝国大学医学部のドン?青山胤通 との激しい対立が描かれ、子供向けの偉人伝で受けたのとはだいぶ違う印象だった。もちろん、青山が相当な悪役。あの漫画の常として、「青山の圧力に屈しなかった北里、バンザイ!」といった終わり方が、どうも気に食わなかった覚えがある。
 今回は書店でたまたま目についた山崎光夫作の中公文庫上下2冊。
 中学生ぐらいから20歳前後の頃の粗暴ぶりを「やんちゃ」と表現する言い方が浸透しつつあるけど、個人的には大嫌いな日本語だ。しかしながら、北里の「やんちゃ」ぶりは相当らしかった。と同時に、これまた考えられないほどの勉強ぶり。東大医学部に暴走族が入学したようなもの。「勉暴分離」が進んでしまった現代ではイメージしにくい。
 後藤新平、森鴎外、コッホ、福沢諭吉ら、北里を支えた人物の懐の深さも興味深い。対立した青山についても、単なる権力の亡者ではなく、それなりの人物だったことを紹介しているのもフェアだ。もっとも、江木翼 という別の悪役が登場して青山の毒気が薄まった感はなくもない。
 北里自身、女遊びが過ぎて新聞に書き立てられるなど、脇の甘さがあった点に触れているのも、大人向けの伝記ならでは。「ドンネル(雷)先生」と呼ばれながら、伝染病研究所移管問題で北里が所長を辞任した際に、伝研の研究員らがこぞって行を共にしたほど慕われていた理由の描き方は、もう少し紙面を割いてもよかったのではないかと思う。
 北里が現在の熊本県小国町生まれだったとは、すっかり忘れていた。山崎氏はあとがきで、「こんな山奥からよくぞ世界的な細菌学者が輩出したもの」と驚嘆しているが、これは現代の感覚だろう。確かに山奥でも、明治初期にあって長崎に近かった点は、学問をする上での不利度は小さかったと思われる。また、熊本に横井小楠 がいたことの影響も大きかったようだ。
 こうなると、幕末から戦前にかけての、九州を中心にした近代史の展開をまとめた本が読んでみたい気がする。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年6月30日 (月)

「落花は枝に還らずとも」

 秋月悌次郎の名を知ったのは、もう31年も前のこと。当時の大河ドラマ「花神」の原作を読んで、印象に残っていた。
 物語の中では「八月十八日の政変」に関わる場面にしか登場しない。ドラマには出ていたかどうか。なのに印象深かったのは、何と言うか、「出来過ぎた名前の良さ」だった。日本史上の人物の名では明智光秀に次ぐ出来映え?だと思う。
 書店で偶然、目にした本書に「会津藩士・秋月悌次郎」というサブタイトルが添えられており、上下2巻を購入。いや、しかし驚いた。
 「秋月」という姓は、次男ながら抜群の秀才だった悌次郎が、分家して新たな家を起こした際に選んだという。「出来過ぎ」ていた訳だけど、何と実家の姓は小生と同じだった。もちろん、縁続きでも何でもないものの、より一層、親しみが湧いてしまった。40代前半で左遷されてしまったのも一緒?(俺のはただの配置転換か)だし。
 そんな個人的なことよりも、会津側から見た幕末回天史には大いに興味をひかれた。忠義を貫き通す余り、歴史のうねりに翻弄されてしまった会津藩や悌次郎の運命には、後世の人間が「あれが悪かった、これがダメだった」と軽々しく言ってはいけないと思わせるものがある。
 恥ずかしながら、著者の中村彰彦 氏の名を知ったのも、これが初めて。直木賞も新田次郎賞も受けている方なのに。これほどの歴史小説の書き手を知ったのは、近来最大の収穫でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月12日 (木)

「平家物語」

 今年は源氏物語千年紀 。そこで、「平家物語」を読むことにした。書店でたまたま見つけた吉村昭氏の訳(講談社文庫)に飛びついた次第。
 だいたい、源氏物語もそうですが、出だしは知っていても、その後の展開は全然、という点は平家物語も同じ。改めて読んでみると、ひどい話ばかりだなあと思う。
 物語は平清盛一族への悪口を基調としているものの、恩知らずな話は源氏方に多い感じがします。一騎打ちで組み伏せられて首を取られそうになりながら、「亡くした息子と同い年ぐらいだから助けてやる」と情をかけた平家側の武士を、隙をみて討ち取って手柄にしちゃうとか、その手の話のオンパレードと言っても過言ではないでしょう。
 だいたい、源氏の親玉の頼朝からして、池禅尼の情で助けてもらったのに平家を追討しちゃうくらいだから、子分どもが卑怯なのも無理はないのか。「宇治川の先陣争い」なんか、味方同士の引っ掛け合いだし。
 かくも恩を仇で返す連中にかつがれている頼朝の身になってみれば、衆望を集めてしまう義経が、頼朝の足元を崩しかねない危険な存在だったか、わからないでもありません。

 初めからひねくれてこういう選択をしたわけではなく、本当は源氏物語を読もうと思っていたのでした。しかし、途中で挫折しない自信がなく、逡巡の末、目の前にあった吉村「平家」に飛びついたのでした。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年2月 9日 (土)

芸術新潮2月号「源氏物語」

 「天皇になれなかった皇子のものがたり」というコピーにつられて購入。この雑誌らしく、国宝「源氏物語絵巻」の解題ですが、フェリス女学院大の三田村雅子教授が編集部のインタビューに答える形で、いわば「源氏物語史観」を披露しています。
 「理想的な天皇制政治のあり方を提示している源氏物語が存在すればこそ、後世の権力者たちはそれに倣った政治体制を築き、結果としてわが国の天皇制は維持され続けた」。要約してしまうと、ほほえましい感じがしてしまうのですが、読んでいるとそれなりの説得力はあります。
 絵巻の解説も、人物の配置のバランス、表情の取り方、描かれた草木の意味などなど、言われてみると「そうなのか」と、素人としては感心してしまう点ばかり。
 「鈴虫 二」で描かれた情景は、冷泉帝と対面している光源氏(名乗ることのできない父子の組み合わせ)の背後で、隠れなき源氏の息子である夕霧が横笛を吹く姿。横笛といえば、夕霧が親友だった柏木からもらった形見の品。その柏木の子である薫を、源氏は自分の子だとして育てなければならない。
 源氏物語の骨格をたった一場面に描き込むとは、誰だかわからないけどこの絵巻の作者はすごい。
 てなことを解説されて初めて、源氏物語の奥深さを思い知る次第です。
 ところで、知り合いのフリーライターさんに教えてもらったのですが、源氏物語千年紀公式サイト に登場人物(女性だけ)の人気投票コーナーがあります。
 僕は迷うことなく六条御息所に一票。生霊になっちゃうという点に目をつぶれば、美人だし、知性も教養もあるし、気品にあふれているし、たぶんあっちの方もお好きな感じと、源氏物語に出てくる女性の中では最高ではないかと思うのです。
 これを書いている段階で、六条御息所は17人中4番人気。似たようなことを考える人は結構いるようで。
 男女別の人気がわかると面白いのに。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月25日 (金)

「アッコちゃんの時代」

 「バブルが終わった(弾けた)のはいつだ」と聞かれれば、誰でもそれほど変わらない時期を答えるでしょう。
 「始まりは」となるとどうでしょう。たぶん、人によってかなり差があり、それは当時のその人の消費ポジション(必ずしも経済力とは比例しない)を表す気がします。
 僕の認識だと、バブルが始まったのは1988年になった頃。土地が高騰して持ち家を諦めた勤勉な「中流」たちが「せめて車ぐらい」と高級車を買い始めた「シーマ現象」に端を発して、グルメブームだDCブランドだと爆発的な消費へ突っ走り、それで景気の良くなった人たちはもっと金遣いが荒くなったのが「バブル経済」だった、と思っていました。
 たぶん、僕の「始まり」の認識は遅い方です。就職して浜松や磐田で過ごしていた時期で、当時の東京がどんな風だったのかあまり知らなかったし。
 文庫になったので読んだ林真理子さんの表題作(というより、映画「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」の監督による解説)によれば、84年にはとっくにバブル(的雰囲気かな)を楽しんでいた人たちがいました。この年、僕はまだ東京にいましたが、財布に3000円ぐらい入っていれば安心って程度の貧乏学生。この小説に出てくる世界があることは知っていたけど、かけ離れ過ぎていて覗き見るも何もあったもんじゃありません。
 実は、興味があったのは、バブル時代を象徴する「小悪魔」アッコちゃんではなく、その結婚相手だった五十嵐英雄氏のほう。昨年6月2日の日記で五十嵐氏のモデル・川添象郎さんとアッコちゃんの離婚成立について触れましたが、驚いたのは、明治維新の立役者・後藤象二郎の曾孫である五十嵐氏のアッコちゃんに対する態度 、というより女性観の描き方が、司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく」の象二郎のそれとよく似ている点です。
 知り合ったばかりの五十嵐氏に、アッコちゃんは自分が地上げの帝王と付き合っていた過去を告げます。それに対して五十嵐氏は「ぜーんぜん関係ないよ」。
 「竜馬がゆく」で、後藤象二郎が長崎で落籍させた芸者を岩崎弥太郎に押し付けた際の一言。「女に古いも新しいもない。風呂に入れればいつでも真っ新(まっさら)じゃ」。
 後藤象二郎が本当にそう言ったかどうかはともかく、おそらく岩崎弥太郎側の回顧にその種のエピソードはあるのでしょう。
 それにしても、3代1世紀を経てなお、この女性観の一致ぶり。林さんが「竜馬がゆく」や、星新一の「明治の人物誌」に登場する象二郎の長男・後藤猛太郎についてどれほど承知していたのかは知る由もありませんが、血筋といったものに思いを巡らさずにはいられませんでした。
080125
 関係ないけど、わが家の近くで東武ストアが本日、コジマが明日開店するのを祝して、アドバルーンが上がっていました。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2007年10月19日 (金)

「空海の風景」

 先日、北大総合博物館で見学した「湯川秀樹&朝永振一郎生誕百年記念展」で、湯川博士が「天才」として挙げた人物の中に「空海」とあるのを見て、何とも言えぬギャップを感じてしまいました。(参考、松岡正剛の千夜千冊 「創造的人間」湯川秀樹)
 空海が天才であることは全くその通りですが、それをどのようにして知ったかという点で、湯川博士と僕とでは大違いだったからです。世界的な物理学者にして、中国の歴史や文学の大学者を輩出した一家に育った博士と、凡百に過ぎない小生を比べること自体、笑止千万なのは百も承知ですが、それにしても・・・。
 言うまでもなく、僕の場合は表題にある司馬遼太郎氏の小説を読んで初めて、空海が天才なのだと認識した次第。それまでの空海、弘法大師についての知識といったら、「苦難の航海で唐に渡った」「満濃池を作った」「真言宗を導入して高野山を開いた」「字が上手」ぐらい。しかし、真言宗だの密教だのといっても、ほかの仏教とどう違うのか全く知りません。満濃池も、字の真蹟も見たことはないし。
 「空海の風景」を読んだからといって、それまで知らなかった空海の事績が格段に増えたわけではありません。しかし、外国語の世界で詩才を賞賛され、密教の正統な後継者とされたというだけでも、想像をはるかに超えた存在であることはわかります。
 それにしてもこの「小説」、読み終わるのに3か月近くかかってしまった。夜勤に行く電車の中でしか読まなかったから無理もないけど。とはいえ、「かもしれない」がいったい何回出てくるのかわからないほど多く、「小説」としては読みづらいのは確かだと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月19日 (水)

食の文化フォーラム25「食を育む水」

 9月19日
 一人暮らしとはいえ、わが水道使用量は著しく少ないと思う。水道料金の請求書を見ても、だいたい毎月3立方メートル前後だ。入浴はスポーツクラブがほとんど、あまり調理をしない、加えて、飲料水はスーパーでアルカリイオン水をもらっていることも、その大きな理由。決して不潔にしているわけではありませぬ。
 「食を育む水」(ドメス出版、2800円)は仕事の関係で送っていただいた本。飲料水や浄水器ビジネスの隆盛ぶり、水と調理の関係、灘の酒の名声を確立した宮水など、水にまつわる話が素人でもわかるレベルから専門家レベルまで、様々に語られている。
 「食」との結びつきが前提なせいか、水資源のコントロールについての話がない点が惜しいかな。わが船橋市に1年間に降る雨を一滴残らず溜めたって、現在の市の年間消費量にはとても及ばない。「水資源の豊かな日本」といっても、実際は水を無駄にしないための制御に負っている面がかなり大きい。
 と思っていたら、最終章で興味深い話に触れていた。「日本が輸入しているバーチャルウォーター」という概念だ。例えば、牛肉1キロを作るには20トンの水が必要という。ならば、牛肉1キロの輸入は20トンの水を間接的に輸入したと考えて計算すると、2000年には推計640億トンの水を間接的に輸入したことになるという。国内の年間灌漑用水590億トンを上回っている。
 ま、その分も含めたお金はちゃんと払っているとはいえ、今の生活が国内の水だけでは支え切れていない現実を突きつけられると、考え込まざるを得ない。水資源やその利用を巡る国際紛争、ってな事態だって、いずれ起きるのかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月22日 (金)

吉村昭「大黒屋光太夫」

070621 6月22日(金)
 この夏はあれこれと忙しそうなので、「休めるうちに」と思い、20日から両親を連れて箱根で静養。って、特別にすることはないから、温泉宿でゴロゴロしてただけです。
 ゴロゴロのお供が本書。
 光太夫と言えば、井上靖「おろしや国酔夢譚」がよく知られていますが、僕は映画でしか観ていません。想像を絶する苦難の数々を乗り越えて、ようやく帰国した光太夫たちを、幕府は鎖国の禁を犯した者として杓子定規に幽閉・・・という展開に、「何と愚かしい政権だったことよ」と思う一方、ゴルバチョフが日露(日ソかな、当時は)親交の歴史に触れたスピーチで「コダユ(光太夫)」に触れ、彼の存在の重要性を今日も忘れていないことを示す場面では「それにしても、同じ人間の営みとして、光太夫に対する日露の扱いの差はあり過ぎじゃないの」と、どこか釈然としない気持ちを感じたものでした。
 新史料に基づいた本書は、その釈然としなかった部分をすっきりと解消してくれました。時の江戸幕府も、そこまでバカではなかったようです。小説「
おろしや国酔夢譚」の発表当時は、光太夫幽閉が半ば定説化しており、あの終わり方自体はそう描くしかなかったでしょう。
 7か月の漂流の末に辿り着いた異国の地で10年もの間、ひたすらに帰国を果たさんとする光太夫たちの行動は、
本質こそ全く違うものの、今日の拉致問題の被害者たちの姿を思わずにはいられません。
 司馬遼太郎が「菜の花の沖」で描いた高田屋嘉兵衛の拘束事件当時、帰国した光太夫がまだ健在だったのも驚き。やはり歴史小説を読む時は、地図と年表をいつでも参照できるようにした方がいいのかしらん。

 (写真は、箱根・強羅公園で咲いていたバラ「キャサリン・コルデス」)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月 2日 (土)

最相葉月「星新一 一〇〇一話をつくった人」

070602_1 6月2日(土)
 GW中に読んでいたのに、感想を書くのをほっといてしまった。週刊新潮6月7日号 で、福田和也氏が本書を「闘う時評」で取り上げているのを読んで、ようやく書く気になった次第。
 失笑を承知で言うと、この本の企画を知った時、僕は「やられた」と思ったのです。星新一氏が父・一氏やその周囲の人物を描いた作品群を読むと、明治から昭和初期にあった一つの時代の色が浮かぶように、星新一氏自身の評伝を書けば、戦中期から高度成長期にかけての日本が描けるんじゃないかと、かねて思っていたのです。ちょうど、野口悠紀雄氏が主張する「1940年体制」が順調に作用していた時代と重なり、ショートショートやSFの成長と対比したら面白いのでは、と。
 勝手な思い込みを奪い取られた?嫉妬心を抱えつつ、本書を読み終えた時に感じたのは、やはり「やられた」という思い。今度は「失敗した」ではなく「脱帽」の方の意味です。丹念な取材ぶりや仕事に対する謙虚な姿勢、気品を保った文章、その辺りは、福田氏をはじめとする書評で触れられている通りです。

 本書には新事実が盛り沢山なのですが、個人的に「へぇ」度が高かったのは「司馬遼太郎氏と親交があった」「『連想ゲーム』でレギュラー回答者だった」など。

 税込み2520円と、ちょっと値が張るので、売れ行きがどの程度なのかわかりません。しかし、出版直後に偶然ながら、見る人が見れば星新一氏につながっていく出来事についての報道があったことは、何だか謎解きめいていて面白かった。

 一つは週刊新潮5月3・10日号にあった「『アッコちゃんの時代』モデル女性15年目の『離婚』」。「アッコちゃん」の離婚相手とは、飯倉のレストラン「キャンティ」のオーナー、川添象郎氏。川添氏は風吹ジュンの夫だったが、アッコちゃんに子供ができたため、風吹ジュンと離婚してアッコちゃんと結婚。それが今度は別の女性との間に子供ができて、アッコちゃんは離婚の憂き目に。しっちゃかめっちゃかなこの川添氏、何と後藤象二郎の曾孫とのこと。書いた記者は知らないようだけど、星新一氏が「明治の人物誌」で取り上げた後藤猛太郎(=象二郎の嫡男)の物語を読めば、「血は争えない」と嘆息せざるを得ず、その結末に登場する「象二郎の孫がやっている六本木のレストラン」が「キャンティ」だとわかる。本書にもSF作家仲間同士、キャンティでピザの大食い競争に興じたとのくだりがあった。

 もう一つは、NHK「その時、歴史が動いた」で江戸川乱歩を取り上げた回が放映されたこと。晩年の乱歩が後進を引き立てることに力を注いだことが紹介されていたが、星新一氏もその一人だったことは本書に詳しい。ただ、残念ながらNHKの番組では星新一の名前は出てこなかった。

 司馬遼太郎氏は晩年、「国民作家」と呼ばれるようになりました。具体的に意味するところがよくわからない敬称ながら、その曖昧さが司馬氏には確かに合っていると思います。僕は、星新一氏も「国民作家」がふさわしいと思うのですが、どうでしょうか。

 (写真は、咲き始めた紫陽花@椿山荘庭園)

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月10日 (火)

「EX35+」と「松田聖子 女性の時代の物語」

 4月9日(月)
 読売新聞の朝刊一面を見て驚いた。記事じゃなくて、下の書籍広告。一番右側にFLASH臨時増刊「EX35+」なんてのが載ってるじゃないですか。FLASH っていったらとりわけ過激な中身で売ってきた写真週刊誌なのに、その広告が一面・・・?
 この増刊号は1977年ノスタルジーをテーマにしており、いわゆるFLASHとは別物扱いってことなんでしょう。
 長くて下手クソな前置きはやめて、そう、僕としては「キャンディーズ」「鴨川つばめ」「アップル2(ローマ数字が出ないので代用)」といった文字に惹かれて、買いに行ってしまったのでした。600円とすれば、内容としても十分に満足でした。
 一方、「失敗作では」と噂されていたNHKスペシャル「松田聖子 女性の時代の物語」が夜10時からオンエア。さっき見終わったばかりの感想としては、期待に違わぬ出来損ないぶりでした。「もったいない」の一言に尽きる。
 聖子も、娘の沙也加も、インタビューには真摯に答えていたし、ちらりとではあるけれど、本心を語っているように見える場面もあった。ナレーターにNHK期待の星・松本和也アナウンサーを起用するなど、見えない所にも力を入れているのも十分に感じられた。
 ただ。松田聖子の27年間を、同時進行した女性の社会進出と併せて紹介するのに、50分番組で収めるのは無理。松田聖子の27年間と女性の社会進出は、一定の年齢に達することや既婚者になっただけで排除されるのをよしとしない点で重なる。なじまない言い方だけど、「女性の社会残留」とすると、両者の重なりがより明確になる。
 とはいえ、一方は若い女性であることが必須の「アイドル歌手」を仕事としており、「女性であるだけで拒否されていた」企業などの主流部門に入っていくのとは、スタートラインからして違っている。その両者が結びつく流れを、もっときちんと見せてほしかった。
 ぶち壊しだったのは、大石静がインタビュアーだったこと。番組の方向性が決まっているとはいえ、話を聞く相手に初めっから媚びているのがわかっちゃったらしらけますよ。
 テーマが「女性の時代」だからといって、インタビュアーが女性である必然性は、この場合はなかっただろう。僕としては、著書「乳の海」で、今となっては初期の松田聖子論を展開した藤原新也氏にしてほしかった。
 

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年11月30日 (木)

小泉和子「室内と家具の歴史」

 11月29日(水)
 どこかへ行ったり何かを見たりした後で、「その前にこれを読んでいれば」と歯がみすることが時々ある。最近では東京国立博物館で開かれている「仏像」展(12月3日まで)を見学した後に読んだ「芸術新潮」11月号がそう。「仏像」展の特集号だから見所をふんだんに紹介してあるのですが、よもや千葉・蓮蔵院の聖観音菩薩立像が、本展でも随一の秘仏中の秘仏だったとは。
 見学した時は「ああ、千葉にもこんな展覧会に出られる立派な仏様がいるんだ」としか思わなかったのに、33年に一度しか開扉されないと知ると、「もっときちんと見ておけばよかった」と悔やまれる。希少性にかかわることにしか価値を見出せないのは、自分のアホさ加減を曝すようなものですけど。
 読み終えたばかりの「室内と家具の歴史」(中公文庫)も「もっと前に読んでいれば」と悔やまれる一冊でした。大阪で暮らしている当時に読んでいれば、二条城だって正倉院展だって、ただ珍しいものを眺めているだけで終わらなかったはずなのに。2005年10月刊行じゃ仕方ないか、と思っていたら、単行本としては1995年に出版されていたという。ますます「しまった」と思う。
 面白かっただけではなく、久しぶりに圧倒された感じ。建築、古典文学、美術、書誌学、宗教など、ともかく様々な分野から関連知識を引っ張りだしては構成して、日本の家具や室内意匠の通史を造り上げた本なのです。加藤秀俊先生が10月12日の日本経済新聞夕刊に「無境界主義」というテーマの一文を寄せていましたが、その典型を目の当たりにした思いでした。
 「昭和のくらし博物館 」(東京都大田区)の館長である小泉先生とは少々面識があり、家具や道具の歴史が専門なのは知ってはいました。でも、僕の存じ上げている小泉先生は、博物館の近所の女性たちに切り干し大根の作り方なんかを教えているおばちゃん(と、人のことを言えない歳に、自分もとっくになってますけど)といった印象の方が強すぎたのです。それだけに、本職での業績にたまげてしまったのでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月 3日 (木)

星新一「明治の人物誌」

 8月3日(木)
 「野口英世アフリカ賞  」 が創設されるという。アフリカでの疾病対策に顕著な功績を挙げた人が対象で、賞金は1億円程度。日本政府が初めて作る国際的な賞なんだそうです。
 子供の頃、伝記をよく読んだのですが、野口英世は読んでいなかったのかもしれない。エジソンと並ぶ少年伝記界(あるのか、そんなもん)の両横綱なのに。
 囲炉裏に落ちてやけどした左手の指が固まってしまい、「手んぼう」とからかわれ、中学生ぐらいの時の手術で左手の指は開くようになった・・・ってとこは知ってるから、読んだのかもしれない。しかし、その先は「アフリカで黄熱病の研究中に死亡」しか知らない。途中の肝心な部分は何一つ知りませんから、恥ずかしながら、やはり読んでいなかったのかもしれません。
 星新一 氏には、父の星一(星製薬の経営者、星薬科大学の創立者)にかかわるノンフィクションの秀作がありますが、「明治の人物誌」(新潮文庫)もその一つ。取り上げられている10人は星一と何らかの縁や交流のあった人たちで、知名度の高低はあるにせよ、みんな偉い人です。故に、分厚い伝記(人によっては複数)が残っており、星新一氏がそれらを読みこなしてできた労作がこの一冊。
 たまたま、野口英世も含まれていたのですが、これほど破天荒な人物だったとはねぇ。「そういや、どこの大学を出たのかな」などと思っていたら、高等小学校を卒業後、ほぼ独学で医師開業試験に一発合格した後、渡米してペンシルバニア大学の研究所で働いたという。いかに明治時代とはいえ、「子供向きの伝記にあるような負けじ魂と努力だけで勝ち取れるような栄光ではなく、桁外れの理解力の持ち主というべきではなかろうか」という、星新一氏の評に頷かざるをえません。
 桁外れなのは、その業績だけではなく、浪費癖もそう。貧しかった時も高給取りになってからも借金だらけ。婚約詐欺?と言われても仕方のないようなことさえあった。
 ひょっとして、一昨年秋に刷新された千円札に野口英世の肖像が採用されたのは、「お金はジャンジャン使え」というオーラを発することで、デフレ脱却を図った政府の深慮遠謀、いや苦肉の策だったのでしょうか。どうやら多少の効果はあったみたいですが。
 ほかにも伊藤博文、エジソン、後藤新平(前回の日記で、高野長英と後藤新平が縁続きと記したのは、本書からの知識)など、実にフェアな評価を加えてある「大人向きの伝記」でした。

060803_1

 京都・石清水八幡宮にある「エジソン記念碑」。エジソンが発明した電球のフィラメントは日本の竹が原料だったのはよく知られた話ですが、その竹は石清水八幡宮境内に生えていたものだったのを記念して、この碑が建てられた。

 実は、この竹があって初めて電球を灯すことに成功したのではなく、竹を原料としたフィラメントの使用により、電球の寿命が飛躍的に伸びたのだとのこと。これも「明治の人物誌」で初めて知ったことの一つです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月30日 (日)

「長英逃亡」

 司馬遼太郎は「坂の上の雲」で、林屋辰三郎氏の表現を借りて「歴史上の人物で宣伝機関をもっていた人が高名になる」としている。源義経の「義経記」しかり、極めつけは豊臣秀吉の「太閤記」。
 京都国立博物館長も務めた日本芸能史の碩学の向こうを張るのは、おこがましいとか無謀とかを通り過ぎて、滑稽でしかないのですが、僕は「歴史上の人物の人気は活動範囲の広さと比例する」と感じています。
 例えば義経と頼朝。義経が壇ノ浦から平泉までなのに対し、頼朝は京から白河の関辺りまでと3分の2程度。秀吉は九州から小田原まで動いたのに比べ、家康は大坂から小山辺りと、これも秀吉の勝ち。坂本竜馬は鹿児島から江戸とさすがに広いけど、西郷隆盛は奄美大島から鶴岡(庄内藩=山形県)ともっと広い。
 しかし、移動距離が広範囲の割には人気のない人もいて、その一人が高野長英 。活動範囲は長崎から水沢と竜馬よりも広いけど、人気は竜馬の方が圧倒的なのは言うまでもありません。長英の活動範囲が広いといっても、かなりの部分は脱獄者の身を隠すために転々としていた、いささか後ろ暗い活動だったことも響いているでしょう。
 吉村昭「長英逃亡」(新潮文庫)は、長英の逃亡生活を描いた大作。蘭学の第一人者として傲慢な面もあったものの、牢名主として囚人の面倒をよくみた長英の逃亡を、時には直接の縁がなかった人までが助けていたのは、俗っぽすぎるけど「情けは人のためならず」という言葉を思わずにはいられません。
 「花神」で司馬遼太郎は村田蔵六の口を借りて「高野長英は偉い。アヘン戦争が起きる前に英国の脅威を説いていた」と、その先覚者ぶりを高く評価していました。あとちょっと歴史の歯車がずれていれば、長英も才幹を存分に発揮できていたのでしょうが。
 いろいろ得ることの多い本でしたが、何と言っても長英捕縛の指揮を執ったのは遠山金四郎景元だったとは驚いた。長英なんか比較にならない人気者。これじゃ「人気活動範囲比例説」は崩壊じゃん。もっとも、長谷川平蔵と同じく、遠山金四郎も実在の人物ながら、時代劇などで描かれる人物像はかなりフィクションのようだから、わが説もまだ命脈を保っているかな。060730
 愛媛県宇和島市にある高野長英の寓居跡。同県西予市には長英の隠れ家 が当時のまま残っているとか。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月13日 (土)

「嗜好品の文化人類学」

 5月12日(金)
 「嗜好品」という日本語に該当する(=そのニュアンスを十分に言い表す)英単語はないという。漢字の本家たる中国語でさえ、「嗜好」という表現は道楽とか偏愛(それも好ましくない雰囲気ありあり)を意味していて、日本語の嗜好品とは趣が異なるようです。この便利な日本語は、森鴎外が小説「藤棚」で使ったのが初めての用例らしいとのこと。
 これは「嗜好品の文化人類学」(講談社選書メチエ、1700円)を読んで初めて知った話ですが、この本の真髄は気鋭の民族学者が21か国での調査の中で体験した各国の嗜好品事情を語っていることです。カート、ビンロウ、コーラ(飲み物じゃありません)なんて言われても、日本で暮らしていては全くお目にかかる物ではありませんが、それぞれの報告を読んでいると何となくイメージが湧いてきます。
 良質なワインを作るイタリアでは、ワインを飲むのは食事の席だけにほぼ限られ、独酌をする人はまず見当たらず、酩酊は最低の悪癖とみなされているというのも驚きです。イタリア人にとって、ワインは嗜好品ではないってことでしょう。
 この本の帯には「栄養にならないものになぜ惹かれるのか」と、嗜好品研究の命題が書かれています。そもそも、嗜好品についてあれこれ調べたり考えたりすること自体、役に立つのかという疑問がつきまとうのですが、いざ調べ始めるととめどない広がりや深みがあるようです。嗜好品研究そのものが嗜好品の性格を強く帯びていることが、この本を読むと実によくわかって面白かった。
 この本は、文明や文化、歴史などの研究者らが集まって平成13年度に発足した「嗜好品文化研究会 」の平成14年度の研究成果をまとめたものです。さる2月18日には東京・浜離宮朝日ホールで「嗜好品の人類文明史」をテーマにしたフォーラムが開かれました(=写真)。
060512
 角山榮、栗田靖之、白幡洋三郎らそうそうたる先生方(敬称略)のパネルディスカッションは、頷かされることが多く、寒い中出かけた甲斐がありました。頷きついでにこの本を買ったのですが、諸般の事情で読むのが後回しになっていた次第。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月11日 (火)

街道をゆく36「本所深川散歩・神田界隈」

 4月10日(月)
 お目当ての本がなくても書店へ行くことがある。書棚の前をウロウロした挙げ句、そそられる本が見つからなかった時に、最近はこのシリーズから1冊を引き抜くようになった。昨年1年間、朝日新聞社が刊行した週刊百科シリーズを購読したのがきっかけで、ほぼ手つかずだった司馬氏のライフワークに触れるようになった次第。
 今の僕にとって最も馴染みのある巻ながら、司馬氏にとっては「当てが外れた」様子がありありと浮かぶ。週刊朝日に連載されたのはほぼ15年前。自分で思い起こしても、本所や深川は下町の体面を保つのが精一杯だったような気がする。江戸情緒を見出すのは難しかったろうと思う。
 神田も然り。千代田区の人口が4万人を切っている今、「神田の生まれよ」と自慢できる江戸っ子はいったい何人いるんだろうか。平成の大合併が推進されたのに、千代田区が温存されているのは、考えると奇妙なことかもしれない。
 「菜の花の沖」などの小説で司馬氏がたびたび指摘するように、江戸は消費するだけの都市であり、その性格は東京になった後も受け継がれている。スクラップアンドビルド一辺倒で、ストックはなかなか育まれない。
 存在をあまり意識されないが故に例外的なストックとなっている「隅田川の橋」と、流通し続けるストックとでも言うべき「古書」に話が偏り気味なのは、表立っては言わないまでも司馬氏がストックを重んじることを訴えていたとみるのは、穿ち過ぎだろうか。
060410
 「硬質のペンで横に線を一線引いただけのように」と司馬氏が評した両国橋。改めて見に行くと、的確な表現ぶりに驚く。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年3月26日 (日)

山口瞳「江分利満氏の優雅な生活」

 3月26日(日)
 きのう(25日)の読売新聞夕刊(東京本社版)に、競馬好きには驚くべき説が紹介されていた。
 「本命狙い」は負け確実?
というのがその見出し。具体例として「10倍の馬券を連続的中して100倍にするのは、100倍の万馬券1回当てる確率の4分の3でしかない」ことを挙げ、「勝ちにこだわってちょびちょび勝つが、時に負けを取り返そうと、大きく負けるのは『破滅型』として戒めるべき」というのが、記事の大まかな趣旨でした。
 小生、破滅型そのものじゃん。
 大きな配当を狙って100円馬券を買う「ゆとり型」が、馬券を楽しむには一番だとのこと。
 あ、競馬じゃなくて山口瞳氏の話だった。山口氏の本といえば「日本競馬論序説」しか読んだことがなく、あとは4月1日恒例だったサントリーの広告「新入社員諸君!」ぐらい。それが「江分利満氏の優雅な生活」(新潮文庫)を手にしたのは、昨年4月末、あるオフ会でこの小説に出てくる「辺根氏」のモデルになった方にお目にかかったのがきっかけ。ネット上では10年来の縁だったんですけどね。
 すぐ読めばよかったのですが、ずるずると遅れてようやく、と相成った次第。
 「辺根氏」によれば、昭和38年1月某日の深夜、新聞社の車が何台もやってきて初めて、隣人が直木賞を受けたことを知り、まさか社宅の塀越しのぼやき話が小説のタネになっているとは思いもしなかったとのこと。小説を読んでいる時、頭の中で映像イメージが浮かぶことはほとんどないと、「結城秀康」の項では書いたのですが、「江分利満氏の優雅な生活」では、辺根氏が出てくる場面に限って、ありありとお二人の顔が浮かびました。
 小説を読んでいる最中の3月20日、「辺根氏」と会ったオフ会でやはり初めてお目にかかった文化人類学者・米山俊直先生の訃報に接した。その日は京都に出かけ、やはりオフ会出席メンバーのM氏、Pさんとランチを楽しんでいた。巡り合わせってあるもんだと、つくづく思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年3月18日 (土)

志木沢郁「結城秀康」

 3月18日(土)
 私かに尊敬する方がmixiで紹介していた本。
 根拠のない我が偏見ですが、この本を収録している「学研M文庫 」って、何となく安っぽいイメージがあって、歴史小説にしたって先人の作をいいとこ取りしたようなのばかりなんじゃないのかと、読んでもいないのに思っていたのでした。
 これは大間違い。少なくとも、この志木沢さんの作品については。推奨した方の眼に叶っただけのことはあります。
 越前藩祖である結城秀康が徳川家康の二男であることは知っていたけど、なぜ弟の秀忠が嫡子になったのかについての経緯は全く知らなかった。家光の時に長子相続の原則を貫いた家康が、それをしなかったほどだから、賢兄愚弟の逆だったんじゃないのかと邪推した程度。
 これも大間違いであることを、志木沢さんは見事に描いています。秀忠を嫡子に選んだ理由はさすがに明確にできないとしても、それ自体はこの小説のテーマではないのでやむを得ないでしょう。むしろ、秀吉と家康を「父」として育った「非凡な器」から見た天下統一の過程、という歴史の捉え方は、なぜ誰も気づかなかったのかと思わせるほどの、鮮やかな視点の転換です。
 イマジネーションが不足気味の僕は、ドラマや映画化されていない歴史小説を読んでいる時に、頭の中で映像化することはほとんどありませんが、不思議とこの小説は場面ごとのイメージが浮かびました。「秀康を盛り立てた三河武士気質丸出しの本多重次の役は、田中邦衛だろうな」とか。
060318
 (この人が結城秀康公@福井城趾)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年3月15日 (水)

柴門ふみ「ぶつぞう入門」

 3月15日(水)
 上方暮らしをしていた頃、しょっちゅう京都や奈良などへ出かけては、お寺や神社を巡っていた。でも、僕が見ていたのは建物ばかりで、そこに祀られている仏様にはちっとも関心がなかった。
 今更ながら、あれはおかしなことだったと反省。仏様あってのお寺、ご神体あっての神社なんだから、信心ゼロの身とはいえ、少しぐらいは仏像の見方や知識を心得ておきたい。朝日新聞の販売店が購読者に配布している「暮らしの風」3月号で、ちょうど「仏像の見方」特集をしており、それを読んだうえで書店で目にした柴門ふみさんの「ぶつぞう入門」を読んだ。
 「オール讀物」で連載した仏像巡りエッセーをまとめたものですが、こういう楽しみ方もありなんだなーって、いささか感心。国宝級の仏像を見ては、芸能人の誰とかに似ているとか、そういう表情を見つけ出しているんですな。「これは何とかリアリズムのよく表れた作で云々」といった、オーソドックスな学芸員評的な部分もあるにはありますが、あくまでもついでの話。
 とはいえ、芸能界に暗すぎる僕にとっては、その似ている人の顔なんかが思い浮かばなくて、かえって難解?だった。反町隆史(法隆寺大宝蔵院・地蔵菩薩像)や松嶋菜々子(同・夢違観音)ぐらいはわかるとしても、「はっぱ隊」(秋篠寺・十二神将)って何してる人なの?
 イラストがあるので想像はつくけど、イメージを語られている時に、そのイメージが湧かないのではどうにもなりません。ともかく、堅苦しい知識から入るのではなく、親しみやすいイメージに結びつけて見る楽しみ方は参考になります。
 それにしても、登場する寺社の7割ぐらいは行った気がするけど、紹介されている仏像などを覚えているのは、ほんの数点。いかに仏様を拝んで来なかったかが露呈した感じ。堂内は撮影禁止の所が多いので、仏像の写真をほとんど撮らなかったせいもあるけどね。
060315
 (写真は、ご存知東大寺の大仏。上方暮らしの2年間で1万1千枚以上の写真を撮ったのに、仏像はほんのちょっとしかなかった)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年3月 8日 (水)

火坂雅志「黄金の華」

 3月8日(水)
 去年の2月に読んだ「虎の城」 に続き、火坂さんの歴史小説はこれで2冊目。たまたま書店で文春文庫の棚にあったのを手にしただけだったけど、期待以上に面白かった。
 主人公は後藤庄三郎。江戸幕府草創期の小判作りをした人、ぐらいの知識しかありませんでした。ほかの歴史小説では名前だけ出てくる程度の存在で、「虎の城」の藤堂高虎よりもずっと「脇役に光」度は高い。
 しかしその、我が国の通貨行政史において、庄三郎の果たした役割が実に大きかったことが、この小説を読むと実によくわかる。品質の安定した通貨の流通によって商業がスムーズになったことが、江戸幕府の安定にどれだけ貢献したことか。
 確かに今では「その他大勢」扱いですが、これほどの仕事をした後藤庄三郎は当時、間違いなく幕府のキーマンであり、主役を張るにふさわしい人物であることを、火坂さんは見事に描いています。
 難を言えば、「虎の城」にせよ「黄金の華」にせよ、主人公側にどうも100%の正義みたいなものができあがっちゃっている点でしょうか。この作品の中で、庄三郎が「清濁合わせ飲むのも必要」と自らに言い聞かせていながら、濁を飲む場面がやや弱い印象でした。
060308
 そういえば、日本銀行本店(=写真)が東京・日本橋本石町にあるのは、後藤庄三郎宅を中心とする江戸幕府の金座がここにあったことを由縁としているのだという。初めて知った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)