2018年10月13日 (土)

2時間走

 2週間後に迫った上州太田スバルマラソンに備え、朝7時から1週前追い切り。調整遅れが甚だしく、せめて2時間走で距離をこなす。
 いつもの周回コースを3周するつもりでしたが、東武小泉線の跨線橋を引き返してきたら気が向いて太田市運動公園へ向かう。今日の午後1時キックオフのラグビートップリーグ「パナソニックワイルドナイツ対リコーブラックラムズ」戦の市民無料券配布にどれくらい人が集まっているのか偵察するのが目的です。
 1周1470mのトリムコースに入ると、野球場付近がにぎわっていました。こちらでは女子ソフトボールの日本リーグ「ビックカメラ対太陽誘電」戦が行われるのです。その前に中学生の試合もあるようで、女の子たちがたくさんいました。
 序盤は7分台でしたが、トリムコースに入ってから調子が上がって6分40秒台に。この調子で走り通せれば、急仕上げとはいえ出走態勢は整う感じがします。トリムコースは陸上競技場と同じ厚さで舗装されているから走りやすい。
 1時間半を過ぎた辺りで運動公園の外に出て自宅を目指す。4kmぐらいですが、脚色が鈍って6分50秒台に。2時間は超えたけど、切りのいい所で18kmで終了。
 いつもならガストへ行ってモーニングとドリンクバーで水分補給なのですが、今日はセブンイレブンのパンとアイスコーヒーで朝昼兼食。

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2018年9月25日 (火)

渡辺淳一「花埋み」

 わが国の女性で初めて開業医試験に合格した荻野吟子は「埼玉県の3偉人」だそうですが、今の熊谷市にあった生家の長屋門はなぜか群馬県千代田町の光恩寺にあります。この謎解き記事を書くために、吟子の評伝小説「花埋(うず)み」を読みました。
 吟子の名を初めて知ったのは、高校を卒業する年のNHK大河ドラマ「獅子の時代」のガイド本でだったと思います。放映期間の4分の3は浪人中だったので、ドラマに吟子が登場したかどうか知りませんが、「学問の師にプロポーズされた」エピソードが紹介されており、妙に印象深かったのでした。
 「花埋み」にはその場面も描かれていますが、それを含めて次々とのしかかる試練とそれをはねのけ続ける吟子の努力と行動力に、ただただ畏怖するばかりでした。文部科学省上層部の息子を不正入学させていたばかりか、女子受験生に不当なハンディキャップを背負わせていた東京医大の問題が明らかになった時、読売新聞の夕刊コラム「よみうり寸評」が「東京で医院を開き、女性への偏見とも闘った荻野の訴えをどう聞くか」と突きつけていましたが、まさしくその通りと思わずにいられません。
 渡辺淳一の小説を読んだのはこれが初めて。正確に言えば、ごく一部だけを読んでのけぞるほど驚いたことがあります。
 それは1991年3月、読売新聞に連載されていた「うたかた」のとある回。それまでこの小説には全く目を通していませんでした。東京で地方版のレイアウトを担当していたある日、暇つぶしに偶然手に取った小説の小ゲラ(その部分だけを印刷したもの)を読み始めたら、それこそ目の玉が飛び出すかと思うほどの衝撃を受けたのでした。
 当時29歳だったし、似たような場面は官能小説で目にしていました。とはいえ、まさか全国紙の連載小説に堂々と…。ネタバレ防止のため、これ以上は控えておきます。

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2018年9月24日 (月)

御巣鷹の尾根

 お彼岸でもあり、御巣鷹の尾根へ慰霊登山することにしました。
 日航ジャンボ機墜落事故は入社する前の年の夏に起こってしまいました。群馬県民になったからには必ずお参りに行こうと思いつつ、2年が過ぎても行けずにいたままでした。
 後輩に行き方を教えてもらい、北関東自動車道から関越自動車道下仁田ICへ行き、そこから上野村の御巣鷹の尾根入り口まで1時間半程度。思っていたほど遠くはありません。
 登山口近くの駐車場へ向かう上り坂で、タイヤが小石を踏んだような音がしました。時々あることながら、何となくいつもと違う音だったような気もしたのですが、止めた車を見ても傾いてはおらず、パンクの心配はないとみて登山道へ。
 歩きでも上り坂には弱いのですが、道がよく整備されているおかげで30分程度で「昇魂之碑」へ。「ここだったのか」と思いつつ、谷を見渡しても「あの日」の痕跡はもはやわかりません。持参した線香に火をつけ、亡くなった人々の無念を思い、尊い犠牲が生かされたおかげで自分が今日まで33年間、空の旅を無事に楽しめたことを感謝しながら手を合わせました。

 

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何年ぶりか

 慰霊登山を終えたのが午後1時半過ぎ。いくらか空腹でもあり、登山口入り口の近くにある「上野村ふれあい館」でお昼にしようと思ったら、鮎の塩焼きが並んでいました。
 鮎ってこんなに大きかったっけと思うほどでしたが、1匹500円。こちらが選んだ鮎をお兄さんが炙り直してくれ、建物入り口のベンチで頬張りました。渓流を見下ろせるテラスがあったことに後で気づき、ちょっと後悔。
 それにしても鮎の塩焼きなんて、食べるのは何年ぶりだろう。山間の観光地で串焼きにした魚を食べたのはイワナかヤマメだったし、宴会料理で出てくる鮎はもっと小さいし…。30年前、静岡県磐田市にいた頃は、市役所近くの「天宏」という店で鮎の塩焼き定食があって時々食べていたけど、ひょっとしたらそれ以来かもしれません。てことは30年ぶり…。
 帰りも関越自動車道経由にしようと思っていたのですが、なぜか「滅多に来ない地域なんだから、神流町とか群馬県南西部から埼玉県本庄市などを通ってみたらどうか」と思い、山中の一般道へ。すると「慰霊の園」という施設があり、寄ってみると、ジャンボ機事故で犠牲になった人の遺品などが展示されていました。
 「あの日」や「あの頃」について、いろいろと考えさせられた一日でした。

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偶然に救われたか

 「慰霊の園」を出て、神流町や下久保ダムなどを通り、いったん埼玉県本庄市に入って利根川の南側を東へ向かう。しかし、わがお古のカーナビは北側の伊勢崎市へ渡る「坂東大橋」を知らなかったため、さらに東の埼玉県深谷市へと進んで行き、結局「上武大橋」を渡って群馬県側に出るはめになってしまいました。
 タイムロスは15分くらいあったかもしれません。おかげでガソリンも減ったので、いつも利用している源泉湯乃庵近くのセルフスタンドで給油することに。
 祝日だったからかもしれませんが、いつもはいない店のお兄ちゃんが「無料で空気圧を調べますが」と言うので、「よろしく頼む(そうは言わなかったけど)」と一言。すると、全体に低めだったうえ、右後輪だけ極端に低いとのこと。
 調べてもらったら、細いクギが刺さっていました。補修で2700円とのことでしたが、10年近くたっているタイヤだけに、いずれ全取っ換えは必至なので、4本全て新品にしました。交換には30分ぐらいかかるので、その間に湯乃庵でひと風呂浴びてきました。
 戻ってくると、バッテリーもかなり危ない状態だとのこと。中古で買って以来、交換したことないから無理もありません。即交換。さらに、ATオイルも古いと指摘され、この際だから交換。結局、総額5万4千円以上の出費となったのでした。
 御巣鷹の尾根からの帰り道、もし高速道路を選んだら、走行中にタイヤがバーストした恐れだってあったのでした。あの時、一般道で帰ろうと思ったのは御巣鷹の御霊がわざわざ慰霊に来てくれた僕を事故に遭わせられないと仕向けたのだろうかと、信心ゼロながらつい考えずにはいられませんでした。

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2018年8月28日 (火)

送別会

 夜、前橋で東京に戻るTデスクの送別会。2年前の9月、一緒に群馬へ異動してきたTデスクは、かつての職場で1年間、苦楽を共にした仲だっただけに、誰も知り合いのいない地に赴任するに当たって、心強い支えになってくれました。年次が12年も上で、現場復帰が13年ぶりという僕のような老兵を使うのは、随分と気を遣ったことと思います。そんなこともあって、いつも歓送迎会は終電で帰宅するけど、今回は宿泊して酒の弱い僕なりに「とことん」お付き合いするつもりでした。
 いつもは2時3時まで続く送別会が、今回は諸事情で11時半過ぎでお開き。それでも終電の時間は過ぎているから宿泊も無駄ではなく、支局近くの「ホテル平安」でゆっくりと眠ることができました。翌29日は休みだし。

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2018年8月16日 (木)

醤油ラーメンかくあるべし

 本来は昨日15日からが夏休みでしたが、10日に発生した群馬県防災ヘリコプターの墜落事故などの影響もあり、1日だけ出番にして今日から4日間を休むことにしました。
 こうした事故があると、直接担当していなくても休みづらい雰囲気ができてしまいますが、そこを打開してやるのも年寄りの役目ではあります。デスクは夏休み返上で気の毒ですが、我々だってその頃はそんなもの。むしろ、休める人まで休まないでいたばかりに、後になって全員共倒れになったら目も当てられません。実際、ちょっとは僕に感謝してくれた若者もいたようですが。
 夏休みといってもどこへ旅行するわけでもなく、帰省して老親の様子を見るのと、3か月近く行っていない船橋のマンションの風通しぐらいしかすることはありません。外環道の三郷南ICから市川方面が6月に開通し、船橋や君津に行きやすくなったのは楽しみです。
1dsc_0123_16  船橋での風通しはさっさと済ませ、京葉道路のパサール幕張で昼ごはん。フードコートを歩いていると、竹岡ラーメンを受け継いだ感じのラーメン屋に行列ができており、スープの香りに惹かれて並んでしまいました。
 無化調とか何とか言いますけど、醤油ラーメンのスープは醤油色じゃないとダメだというのが私の信念?です。そんなに力みかえることじゃないですけど、ヘルシーさよりも色が選ぶ基準なのは間違いありません。これだけ醤油色のスープは本当に久しぶりです。まあ、しょっぱかったのは確かですけどね。

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2018年8月12日 (日)

オキシ漬けに挑戦

 かねてから気になっていた「オキシ漬け」に挑戦してみました。
 「オキシクリーン」という洗剤を使うのが本来ですが、近所に売っていないので、ダイソーで「過炭酸ソーダ」という酸素系漂白剤で代用しました。オキシクリーンの主成分だそうです。
 汚れを落としたかったのは枕。枕カバーは洗濯していますが、中身のカバーと、そのまた中身のビーズを収容する本体、さらにビーズそのものは購入以来、恥ずかしながら1、2回しか洗ったことがありません。皮脂で真っ黄色になっていて、ビーズもベタベタしています。
 ビーズは取り出して後日、処置することにして、今日はカバー類を「オキシ漬け」してみました。
 浴槽に過炭酸ソーダを適当にまいてから40度台の湯を数センチためて、カバー類を広げて投入。効果は6時間ほどといい、そのまま仕事に出て、帰宅してから確認すると…。
 さすがに「完全」とはいきませんが、かなり落ちているじゃないですか。中カバーは生成りの木綿っぽくなっているし、本体カバーはかなり真っ白です。
 強いアルカリ性なので、直接触ると指がヌルヌルしてしまうので気をつけないといけません。としても、これはかなり使えそうです。

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2018年7月29日 (日)

太田強戸PA・スマートIC開通

1dsc_0117_16  北関東自動車道で7月28日、太田強戸PA・スマートICが開通しました。北関東道は前橋方面に行く時ぐらいしか使いませんが、わが支局からは太田桐生ICも太田藪塚ICも近くはなく、前橋から戻る深夜では上部道路(国道17号)を通った場合と5分と変わりませんでした。
 太田強戸スマートICはETC搭載車のみの利用ですが、両ICを利用する場合よりも5分は短縮できると思います。こうなると、前橋への往復には十分メリットがあり、開通を待っていました。
 もう一つ楽しみだったのは、PAに群馬県産の食材をメーンにしたレストランなどの商業施設です。外部からこの施設だけを利用することはできず、1区間でも北関東道を走らないと入れませんから、開通翌日の日曜日とはいえ、そんなに混雑しているとは思えなかったのですが…。甘かった。
1dsc_0118_16  お昼時にはPAの駐車場に止める場所がないんじゃないかというほどの繁盛ぶり。レストランで注文した上州麦豚トンテキセットは30分近く待たされました。その間、ゆっくりと買い物も楽しめましたが。
 それにこのトンテキセットが1680円(この日は開業サービスで1380円でした)と少々高いながら、食べきれないくらいの量のトンテキなので、コスパ的には素晴らしいと言えます。ただ、ナイフなしで食べるのは辛いものがありました。

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2018年7月23日 (月)

左手生活37日

 6月17日(日)
 前日に引き続き、放送大学の面接授業「富岡製糸場と絹遺産群」を受講。今日はお楽しみの製糸場、高山社、田島弥平旧宅をバスで巡っての見学です。
1dsc_0093_14  車を前橋に置いて、まずは富岡製糸場へ。僕らが高校生だった頃の日本史の教科書には錦絵の写真が載っていたけど、ほとんど同じ実物が残っているとは驚きだ。このことは20年ほど前だったか、泉麻人氏のエッセー集「大人の社会科見学旅行」(だったかな?)で読んで知り、いつかは見たいと思っていた念願がようやくかなったのです。
 世界遺産に決まった当時に比べれば観光客はだいぶ減ったそうですが、僕のように見たいと思いつつまだ見ていない人はいくらでもいるはず。来てみると、明治時代から高度成長期あたりまでに養蚕や絹産業がわが国にとってどれほど大きい存在だったかがよくわかります。その辺がもっと伝われば。見に来る人もまた増えるんじゃないでしょうか。この日は製糸場の動力源だった蒸気の「ブリュナエンジン」を動かすイベントを見学することもでき、ラッキーでした。
1dsc_0095_14  お昼は群馬県で最大級の道の駅「ららん藤岡」で。肉屋さんで注文製造のメンチカツバーガーとカレーパンを買い、なかなかおいしかった。
 午後はまず、養蚕方法の教育機関だった「高山社」(藤岡市)へ。幼少期を過ごした東京都国立市谷保地区も昔は養蚕農家が多かったと母は言いますが、僕は見た覚えが全くありません。「お蚕様」は8年ぐらい前の面接授業で見せてもらいました(数える際の単位が「頭」なのは今回初めて知った)が、蚕棚を見るのは初めて。
1dsc_0098_14  実が成っている桑の木もここで初めて見ました。もしかしたらこれまでにも目にしていたけれども、そうと認識していなかっただけかもしれません。何しろ、小学校で「桑畑」の地図記号は習っても、その実物を見たことはなかったほどだし。
 バスでいったん埼玉県を通り、群馬県ながら利根川南にある伊勢崎市島村地区にある旧田島弥平住宅へ。大きな二階屋。二階の屋根に排気口である「やぐら」がまっすぐつながっているのが島村地区の特徴で、高山社などでは「やぐら」がいくつかに分かれています。養蚕農家の建物としての特徴を知ると、「あそこは昔、養蚕農家だったんだ」とわかるようになるのが、新知識を得た時の楽しみです。
 事故は田島弥平旧宅でおきました。階段の一段目でどうしたことかバランスを崩してしまい、後方へ転倒してしまったのです。とっさに頭を打たないようにし、首に提げていたカメラを守ろうとしたのだとは思いますが、体をかばう際に右手を強くついてしまいました。手首が腫れたから「まずいな」とは思ったものの、指を動かすことができたので「ねんざかな」と判断し、そのまま見学を続行。前橋に戻って解散後、手の痛みをおして車を運転し、太田に戻りました。
 新聞の休日当番医欄を見ると、太田市は整形外科ではありません。市の広報紙を見ると、消防本部に電話すれば整形外科の医師が出ている総合病院を教えてくれるとあり、尋ねると、よりによって自宅から最も遠いイムス太田中央総合病院」だとのこと。電話すると、症状を聞いてから「じゃ来て下さい」となり、X線検査で「右手橈骨(とうこつ)と尺骨の遠位端骨折」と判明しました。手首の両端の骨ってことです。骨折部位がズレていたりすると、手術して金属プレートで固定するそうですが、そういう状態ではないので固定して自然につながるのを1か月ほど待つことに。
 シーネ(添え木)を付ける際、長袖シャツを着たままだったため、帰宅しても脱ぐことができず、夜はそのまま眠る羽目になった。
 6月18日(月)
1dsc_0101_14  朝、徒歩で太田駅へ向かう。駅からタクシーでイムス太田中央総合病院へ行こうと思っていたら、駅北口に病院名の書かれたマイクロバスが止まっていた。無料送迎バスだ。「そりゃそうだろ、あんなに遠くて公共交通機関もないんだから、バスぐらい出さなきゃ患者なんか来やしないだろうな」と思いつつ、ありがたく利用させていただきました。
 先生の見立ては昨日と同じ。シャツを脱ぐためシーネをいったん外して欲しいと要望したら、応じてくれた。
 市役所では会う人ごとにご心配をいただき、その度に無様な説明をするのが情けなかった。昼食は市役所敷地内にある福祉ベーカリー「スワン」で調理パンを買って食べる日々になりそう。
 夕食は「とりせん」八幡町店まで歩いて行って、総菜などを購入。目の前のセブン―イレブン太田高校西店は、雨の日用にとっておかないと。右手は使いづらいので、左手で箸を使う。どうにかインゲンぐらいはつかめるようになった。この時期なのでシャワーだけでも体を洗えるのは助かる。
 6月20日(水)
 自宅から事実上の勤務先である記者クラブのある市役所まで徒歩15分。晴れてて暑いのは辛いけど、雨はまた大変だ。今日は午前中、取材先まで20分ほど雨の中を歩く。いつもならクラブで執筆だけど、ノートパソコンの持ち歩きは重いため、だいたい16時頃に支局へ戻ってから仕事となる。となると、15時台に歩くことになり、晴れてりゃ暑いし、雨なら濡れて不快度が増す。
 買い物も片道10分ほどの歩きなので、1日1万歩はだいたい達成するようになった。走れない以上、せめてこれくらいはしとかないと。
 6月23日(土)
 代理デスクで前橋へ。当然、電車利用。土曜日の朝は伊勢崎駅での東武線とJR両毛線の接続が悪く、20分ほど待たされる。
 デスク業務は無事に終わったが、その時間には終電もとっくに出てしまっているため、前橋駅近くのベルズイン前橋に泊まった。こちらがけが人だったせいはあるにせよ、スタッフがとても親切だったのが印象的だった。翌朝のビュッフェでは、従業員の女性が飲み物などをわざわざ持ってきてくれたばかりでなく、チョコレートまでいただいてしまった。今度利用する時に、何かお返しをしよう。
 6月25日(月)
 毎週月曜日は午前9時に病院でX線撮影をし、患部の経過観察。今日は大泉町で町長の定例記者会見があり、初めて東武小泉線に乗って東小泉駅まで行き、乗り換えて「盲腸線」の終点西小泉駅まで行き、10分ほど歩いて町役場に到着した。骨折しなければやらずじまいになったであろうことができたこと自体はよかったなと、前向きに考えよう。帰りは、これまたお初のコミュニティーバスで太田駅へ。
 6月27日(水)
 昨日から2日間、またしても放送大学の面接授業「次世代自動車産業と環境問題」を受講。初日は群馬学習センターで、前橋駅からバスで向かったら、どうも受講生とおぼしき人が「県民会館前」で降車ブザーを押したので一緒に降りたら、運賃が150円だった。いつもは次の「若宮1丁目」で降りていて、運賃は200円。バス停からの距離はちょっと長いくらいで、明らかに50円差は大きい。勉強になった。って、授業の方はどうした。
 群馬学習センター周辺は飲食店が少ないが、スーパー店内にベーカリーがあり、イートイン席もあるのでここを利用。
1dsc_0103_14  2日目の今日は地元太田にあるSUBARUの迎賓館、というか福利厚生施設の「雄飛荘」が会場。お昼はここのレストランのお弁当で、右手が使いづらい身としては特にご飯を食べるのが大変だったけど、周りの受講生も高齢なせいか食べるのがゆっくりだったおかげで、こちらも残さずに食べることができた。
 午後はSUBARU群馬製作所矢島工場にあるビジターセンターを見学。いろいろな車種を一つのラインで製作しており、車の生産もさることながら、この製造ラインの制御や設計をした人々の構想力のすごさに圧倒されてしまった。
 6月29日(金)
 何と梅雨明け。例年なら7月20日頃なのに3週間も早い。シーネをして包帯ぐるぐる巻きとはいえ、梅雨の間はそれほど気温も上がらないから何とかしのげるだろうともくろんでいたのに、あっさりと前提が崩れて猛暑到来とは…。
 予選リーグ3試合で2点取れば合格だろうと思っていたサッカーW杯の日本が、思いがけない健闘で決勝トーナメント進出のチャンスをつかみ、夜中に目が覚めたついでにポーランド戦の後半を観戦した。ポーランドに1点先制された後、もう1試合でセネガルがコロンビアに負けている状況を踏まえて日本は自陣でボール回しに終始した結果、決勝進出を決めました。
 その昔、夏の甲子園で松井秀喜選手を5打席連続敬遠して星稜高校に勝った明徳義塾高校の馬淵史郎監督に、誰かインタビューしないかな。「少しは、俺の気持ちがわかったか」とでも答えてほしい。
 7月4日(水)
 前夜は前橋で会議というのに、今朝は邑楽町役場まで撮影に行かなければならない。行き方を調べた結果、コミュニティーバスで自宅付近から町役場に行き、10分で仕事を済ませて、太田駅方面へ向かうコミュニティーバスで戻るのが効率がよいとわかり、朝8時10分過ぎに家を出た。コミュニティーバスだけにあちこち寄り道?するので、今まで知らなかった道を通ったり、公共施設の所在地がわかったりで、ためになることも多い。この日最大の収穫?は、上毛新聞に載っていた「邑楽町内にある『猫バス』に見える樹木群」のありかが、コミュニティーバスの路線から偶然発見できたことだった。
 肝心の写真はスペースの都合で没。これも仕事にはつきまとう不運。
 7月8日(日)
 今季最後の面接授業「地域金融機関の現状と課題」で昨日から群馬学習センターに通う。群馬県の第二地銀「東和銀行」の幹部らによる講義で、吉永国光頭取の発案により7年も続いいるという。二日目の最後は吉永頭取が講義し、岩手県の副知事をしていた約20年前、岩手大学内にあった学習センターに学生として通った思い出話をしていた。
 その当時、盛岡支局にいた僕は地方版で生涯学習をテーマにした連載を担当し、その中で吉永副知事にインタビューしたことがある。講義終了後、あいさつをしてそのことを話すと、たいそう驚かれた。巡り合わせって、あるものです。
1dsc_0110_14  7月9日(月)
 X線検査により、肘までカバーしていたシーネが手首までの短いものに替えてくれた。本当は右手を少しでも洗って、積もった垢を落としたかったんだけどな~。それでもあと1週間の辛抱だと思っていたら、「来週は海の日で休みだから、再来週ね」と先生が無情の宣告。この先生、当病院では月曜日しか診察しないのでした。シーネを外すぐらい別の先生でもできそうなもんだけど、そうもいかないのだろうか。患者は弱し。
 おかげで、22日に富津市である法事には包帯巻いたまま参列することになってしまった。両親や親類には心配させないようにしたかったが、うまくごまかせなくなったのは残念無念。
 7月15日(日)
 昨日は市役所で「ごみ問題」をテーマにした住民協議会の第1回会合があり、炎天下を歩いて取材に行った。無作為抽出した市民に案内を送り、参加を希望した人が委員になって問題を他人事ではなく「自分のこと」として議論するのが趣旨なのですが、昨年も別テーマで実施していて少々新味に欠けるきらいがあり、記事は没に。
 15日夜、「とりせん」八幡町店へ買い物に出かけたついでに、昨日から開かれている「太田まつり」を少しのぞいた。伝統行事でもないから特に取材はしなかったけど、ここで暮らしている人々にとっては年に一度の祭りが楽しみなのは多少なりとも感じられた。
 7月17日(火)
 カメラのレンズが故障していたことが判明。連載用に取材した人の顔写真がびっくりするくらいのボッケボケ。オートフォーカスではあり得ないし、ファインダーではちゃんとピントは合っていたのに。要は一眼レフのような光学ファインダー(=レンズを通した画像が見える)ではなく、レンズを通さない独立したファインダーなので、ファインダー内はピントが合っていてもレンズの方は全く動いていなかったってことらしい。
 6月17日に転倒した際、カメラをかばったつもりだったけど、知らない間にどこかぶつけてしまったのだろうか。ビックカメラのサイトでオリンパスのズームレンズを購入することに。とても薄いパンケーキ型なのには驚いた。
 7月18日(水)
 太田駅構内で取材を終えた後、午後3時過ぎから約20分歩いて支局に帰ったら、これが「本町通り死の彷徨」だった。軽い熱中症とまではいかなくても、その寸前だったのかもしれない。きのうも東武伊勢崎線の世良田駅ホームで、日陰ながら約30分電車を待っていたら、それだけでクラクラしてしまった。もはや「猛暑」どころではなく「暴暑」だ。
 7月21日(土)
 夕方、高速バスで君津に帰省。老父には右手骨折の事情を説明し、実際はもう治っていて2日後にはシーネを外せるから心配ないと伝えた。老母は同じ月曜日に退院するから、家に帰ってきてから話してもらおうと勝手に思いこんでいたが、老父は何と僕がシャワーを浴びている間に携帯で即、話していた。
 結局、老母にも電話で事情説明。いくつになっても親ってのは子供の心配をしてしまうのかね。
 7月22日(日)
 午前中、富津市の寺で法事。気温30度を超す猛暑とはいえ、群馬県よりは明らかに低い。日なたで立っていたって我慢できないってことはない。上着を着てないからだけど。老母が入院した頃、足を捻挫した姪は依然として正座できないといい、思いがけぬ重症だったようだ。この姪の厄年は強力だったのか、3代にわたって骨折や捻挫に見舞われた。
 別会場に移ってお斎をいただく。「まためい」2人がすっかり大きくなっていた。上は来年小学生、下は今3歳。見た感じ仲良し姉妹だけど、父親たる甥っ子は「家じゃしょっちゅうけんかしてます」だって。
 夕方、上越新幹線で東京から熊谷へ向かおうとして、先日利用登録したSuicaの「タッチでゴー」(JR東日本管内の新幹線自由席なら在来線同様にスイカだけで乗れるサービス)を使おうとしたら、なぜか自動改札で止められてしまった。やむなく自由席券を別途購入して入ろうとしたら、今度はスイカを受け付けない。どういうことだと改札の職員に丁重に詰問すると、何だかよくわからない説明をしてスイカに記録された購入履歴を一部削除し、「熊谷駅で現金精算してください」ということになった。納得しがたいが、乗りたい新幹線を逃すわけにはいかない。新幹線で車内精算し、スイカで払えた。不思議だね。
 熊谷駅からは太田駅行きのシャトルバスに乗り継ぐ。日暮れ時の熊谷は、日中の千葉よりもずっと暑かった。
 7月23日(月)
 長かった37日間のシーネ生活も今日でおしまい。いつも通り、8時35分太田駅発のバスでイムス太田中央総合病院へ行き、X線撮影で橈骨と尺骨がそれぞれくっついているのを確認し、無罪放免となった。しかし、問題はこれから。何しろ手首が曲がらない。「よく動かさないと、一生曲がらないままになっちゃいますよ」と先生は脅かす。素直に聞いてリハビリに励むのみ。
 太田駅行きのバスを待つ間、トイレで右手の垢を落とす。ま、出るわ出るわ、排水管が詰まったりしないよう、ほどほどでやめておいた。
 快気祝い?ランチは「いきなりステーキ」。夕方、38日ぶりに行った「源泉 湯乃庵」で体重を量ったら、何と73キロ台! 骨折前より3キロほど減っていた。いくら走っても74キロ台後半がやっとだったのに、ゆっくりとよくかんで食べたせいで、食事量が少なくても空腹感を催さなかったのかもしれない。
 左手生活がもたらしてくれた思いがけぬプレゼントだった。

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