2019年6月 8日 (土)

遠方より来る友

 宇都宮市に住む旧友F田君が仕事で熊谷市へ向かう途中、太田市のわが家というかわが職場に立ち寄ってくれました。お土産の「珉珉」の冷凍餃子をありがたく頂戴しました。
 2月に栃木県高根沢町で南原清隆さんや野村万蔵さんらの「古今狂言会」を見に行った際に一杯、と約束していたのですが、運悪くF田君がインフルエンザにかかってお流れになってしまい、今回はその仕切り直し?みたいなものです。昨年5月の高校のクラス会以来ですが、わざわざ太田市へ来てくれるのは何といっても嬉しい。
 なのに、「これぞ太田」的なおもてなし場所がないのが悩みの種。B級グルメの「太田焼きそば」に興味を示してくれたので、いつも世話になっている「もみの木」へ。店の大将が毎度のことながら気を使ってくれて、空揚焼きそばに目玉焼きをトッピングしてくれたり、紫蘇ジュースをサービスしてくれてありがたかったのでした。
 久し振りに会ったのに、老眼だの五十肩だのと冴えない話題につい夢中になってしまいました。高校生の頃からF田君が話すとたいていの事が楽しそうに聞こえるのが不思議なところで、「バスで弘前へ旅行した」って話が、宇都宮から8時間もかかったってことまで含めて何だか「いいなぁ」と思ってしまうのです。F田君は特に誇張するでもなく、あったことをその通りに話しているだけなのですが。
 昼食の後、まだ時間があったので、太田駅北口の太田市美術館・図書館を案内しました。やがては日本の代表的な建築家になるであろう平田晃久氏が設計した建物は構造がユニークで、おととし1月の開館以来、いつも建築を学ぶ学生や建物巡りが好きな人が見に来ています。今は入場無料の企画展が開かれており、その見物を兼ねて最上階の3階まで歩いて行き、自分としても初めてそこから歩いて下りることができました。今まではどう行ったら下りられるのかよくわからず、常にエレベーターを使っていたのでした。
 1階のカフェ「キタノスミス」でアイスコーヒーをごちそうになり、しばし歓談の後、F田君は熊谷へ。本当に何のお構いもなくてごめんなさい、でした。

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2019年5月28日 (火)

「轢き逃げ 最高の最悪な日」

 平日休み。前夜から何をしようかあれこれと検討した末、イオンシネマ太田で9時15分から「轢き逃げ 最高の最悪な日」を見て、昼食の後、「空母いぶき」を見て、その後ジムでトレッドミル1時間というスケジュールに決定。本当は朝ランから始めるつもりだったけど、5時スタートだと映画の間に舟をこぎ始める恐れがあるので却下しました。
 朝は絶好のジョギング日和。朝ランをサボったのをいささか後悔しつつ朝食をとり、片づけ終わった頃にテレビで「川崎市で刃物を持った男が子供らを襲いけが人多数」と報じ始めました。
 厭な気分のまま予定通りイオンシネマ太田へ行き、水谷豊さんの監督第2作「轢き逃げ」を見る。観客何と4人。そのうち2人は映画鑑賞というより、男女間の小さな諍いを解決するために話す場所としてここを選んでいたように見えたので、実質的には2人しかいないようなものでした。
 若い俳優についての知識がほとんどなく、主役その他全然知らない人ばかり。でも、それぞれ「この役はこの人じゃないと」という印象は強く残りました。特に小林涼子さんは、「育ちのいい神戸のお嬢さん」(映画では神倉市となっている)を見事に演じていました。
 筋の展開にはツッコミどころもなくはありません。とはいえ、命の重みがテーマになっている映画を、現実に2人の命が奪われた通り魔事件の発生を知った後に見て、非常に気分がどんよりとしてしまいました。
 その割には、お昼は「築地源ちゃん食堂」で「鯛のカマ煮付と刺身定食」をガツガツといただきました。海なし県だけに、魚料理、特に煮魚を食べるチャンスは本当に限られているもので…。

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2019年3月12日 (火)

休眠口座の解約

 平日休みを取って上京。といっても行先は北千住。ミッションは休眠口座の解約で、群馬県内には店舗がない2行が北千住にはあるからです。やるな、北千住。初めて歩いたけど、コンパクトで暮らしやすそうな下町です。
 最初はM菱銀行。高校生の頃、キャッシュカードがほしくて初めて作った口座で、住宅ローン返済のためにS友銀行(当時)に給与振り込み先を変えるまでは使っていたけど、それ以降はほぼ休眠状態でした。
 銀行の店舗内で何らかの手続きをしたのはいつだったか覚えていないほど久し振りだったこともあって、北千住支店の応対の素晴らしさには驚くばかりでした。昔はというと、銀行はおしなべて引き出しとか解約の際は不愛想だったものでしたが…。完了まで1時間半かかったけど、不満は感じませんでした。窓口の若い女性が「三菱銀行マイカード」と記された黒いキャッシュカードを「初めて見ました」とびっくりしていた。そりゃそうだろうな、40年前のカードだし。
 続いてM菱信託銀行へ。こちらも対応は素晴らしい。解約完了までの所要時間は1時間弱で、もう午後1時前になってしまった。
 本日のミッションは、

(1)休眠口座の解約2件

(2)船橋の旧宅の風通し

(3)鍼灸治療(午後3時)

(4)本社の診療所で耳鼻咽喉科受診(午後5時)

(5)ホワイトデーの義理返し

(6)旧友と一献(午後6時)

の予定でしたが、(3)以降は時間が決まっているため、(2)は断念。昼食は東京駅構内のグランスタにあるマンゴツリーキッチンで「センレックトムヤム」をいただく。辛さはほどほど、さすがの上品な味でした。
 船橋在住当時の「なかお鍼灸接骨院」へわざわざ行ったのは、左の二の腕の中央部に謎の痛みが出てきたため。1年前ぐらいは手を背中に回せば指が肩甲骨に届いたけど、この痛みを感じるようになってからは全くできなくなりました。結局、先生も何が原因なのかはわからず、ただ「左側の筋肉が右側に比べて硬くなっている」ことだけが判明。鍼は時たま劇的に効くことがあるけど、今回はそううまくいきませんでした。
 船橋駅から総武線快速に乗って東京駅に着いたのは午後4時55分過ぎ。急いで丸ノ内線に乗り換え、本社診療所には予約時間より10分弱遅れて到着しましたが、受付の方にやんわりと「時間は守ってくださいね」と注意されてしまった。ここも「働き方改革」なのか、5時の診療が最終になっていたようだ。もっとも、花粉症の診療といっても、お目当ては「小青竜湯」を処方してもらうことなので、診察はごく簡単におしまい。薬局で前の職場の同僚で同期のM本氏と出くわし、最近のあれこれを聞く。後の約束がなければ一杯となったけど、残念ながら今回はなしとせざるを得ない。
 立て込んでいた割には午後6時、北千住駅の丸井前で旧友E氏と再会。起業の方は必ずしも順調ではなさそうだったけど、本格化するなら気は心程度の支援を約束しておいた。
 ひどい目に遭ったのはこの後、帰宅しようと東武スカイツリーラインに乗ろうとしたら、特急りょうもう号に間に合わなかったうえ、人身事故の影響で舘林までほぼ各駅停車乗り継ぎ状態になってしまったこと。吸われたのがせめてもの幸いか。館林からは「りょうもう号」に乗って、太田に着いたのは午後11時過ぎでした。

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2019年3月10日 (日)

第36回藍のまち羽生さわやかマラソン

 埼玉県羽生市は群馬県の東部と利根川を隔てた辺りで、今住んでいる太田市からそう遠くありません。旅ランを楽しみたくてもそう何回も遠征はしづらいので、割と近隣の大会へなるべく参加するようにしています。異動話はないものの、当地を離れてしまえば、そうそう来ることもないでしょうし。現地へは東武電車で約40分。羽生駅から会場までは無料シャトルバスを利用しました。
 ほぼ平坦コースで微風程度の晴天。愛媛マラソンで3年ぶりにネット5時間切りをマークしたので、このハーフマラソンでは2時間3分前後を狙いました。前半10キロが58分16秒。このペースを保てば目標達成だったのですが、15キロ過ぎからはキロ6分ちょっとにペースダウンしてしまい、結局2時間5分21秒でフィニッシュ。11月3日の足利尊氏公マラソンの2時間5分10秒を下回り、シーズンベストならず。
 やっぱり、多少きつめの練習を避けていた影響でしょうか。せめて練習でも10キロを1時間未満で走れていないと、ハーフ2時間ちょっとには近づけません。
 フィニッシュ後、羽生名物という「王様ワンタン」を振る舞われましたが、1個しか入っていなかったので自分好みの味かどうか判別できず。この日は休日だけど、3・11関連イベントが太田でも開かれるので、羽生の町を探訪することもなくとんぼ返りで太田へ戻り、シャワーで汗を落として昨年同様、長岡寺の復興支援ライブを取材し出稿。飲まず食わずだった去年に比べれば、1個でもちょっと大きめのワンタン(水餃子という方が妥当かも)を食べた分、疲労度は軽かった気がします。

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2019年2月 9日 (土)

松山へ9時間の旅

 あすの愛媛マラソン出走のため、松山市へ向かう。予定では東武鉄道~都営地下鉄~京浜急行と乗り継いで羽田空港から飛行機でひとっ飛びでしたが、よりによって関東南部に雪予報。8時半過ぎに太田駅を出発する前、既に全日空から「搭乗予定便欠航のお知らせ」がPCメールに届いていたのですが、チェックせぬまま電車に乗ってしまい、気が付いたのは9時過ぎぐらい。特急りょうもう号が走っていた埼玉県羽生市辺りは雪が積もっていました。
 遠征中止も考えましたが、このまま東京に出て帰りの電車が動くとは限りません。東海道・山陽新幹線さえ動いていれば何とかたどり着けそうだったので、北千住駅でしかるべき新幹線の指定席を予約。喫煙ルームの近くだろうがこの際、構っていられません。14時過ぎに岡山駅に到着するのぞみ号に乗ることに。昼食の鯖寿司を買って、いざ岡山へ。
 このルート、28年前の1991年夏、鉄道をテーマにした連載の取材で出張した時と全く同じでした。
 あの時は、まだ営業運転前で愛称も決まっていなかった「のぞみ」の試運転車両に乗せてもらって早朝、東京から名古屋へ。そこから「ひかり」で岡山へ向かい、路面電車で全国初の女性運転士を取材(20年ぐらい後、NHKの「新日本風土記」でその記事が映し出されました)した後、瀬戸大橋線の特急(自由席で立ち通し)で松山泊。翌日、当時大人気だった「東京ラブストーリー」の最終回に登場した梅津寺駅ホームの取材と、何と1泊2日で連載3本の取材をこなしたのでした。
 バブル時代なのに、今の時代と同じくらいせわしないスケジュールで、若造だったとはいえ我ながら貧乏性だったなあと、いささか損をしたような思いです。
 懐かしの瀬戸大橋を渡り、今治駅を過ぎた辺りで遠く「加計学園」の建物を眺め、17時20分過ぎに松山駅に到着。駅近くのビジネスホテル(何と1泊朝食付で1万4千円超。人の足元を見やがって…)に荷物を置き、急いでゼッケン受け取り会場へ。幸い混雑しておらず、手続き終了後、繁華街の大街道アーケードで、あす勝負する大阪本社のAさんと、松山支局のIさんと合流し、明日の健闘を誓って一杯。
 さすが瀬戸内海の魚はおいしく、特に焼魚は焼き加減が絶妙でした。その後、Iさんにコーヒーをごちそうになり、サイフォン式でちゃんとコーヒーカップに注いでくれるサービスなんて、恥ずかしながら何年ぶりだろう。帰り道、よく見るとコーヒー店がそちこちにあり、松山の文化を垣間見る思いでした。

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2019年1月24日 (木)

慰労会

 新年連載の慰労会をやろうと、前橋から取りまとめ役のOさんが太田へやって来て、わが支局で頑張ったN君と3人で太田駅南口の「鳥陣」で一杯。
 この面子で昨年11月、やはり太田で打ち合わせがてら飲みに行こうとしたのが「鳥陣」でしたが、月曜定休だったため、行き当たりばったりで近くの「おかめ」なる店に突入。何の期待もなかったけど、「1000円で3品選べる」というシステムだったので、3人で9品選んで適当に飲み、大いに満足したのでした。 

 といって、今回も「おかめ」というわけにはいかず、「鳥陣」となったのですが、お二人には十分に満足していただけて良かった。決して安くはないけれど、価格なりにおいしい店なので、無茶飲みする手合いでなければとても楽しめるのです。
 前橋で歓送迎会があっても、車ででかけることが多いから飲酒の機会は少ない。まあ飲める量が知れているから、飲酒したからといって何が変わるわけではないけれど、若い人たちの仕事にまつわる不満とか考えとかをなかなか聞けないのも確か。気楽にメシでも食べられるといいんだけど、年寄りとじゃ気づまりなんだろうな~。

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2019年1月 1日 (火)

有馬記念から元日まで

 12月22日(土)
 連休2日目、午前中は外を走るつもりだったけど、曇ってきたのでジムのトレッドミルで10キロ。暖房が効いていて夏場より暑いくらいだった。終了後は併設の「源泉 湯乃庵」で冬至の柚子湯に入る。お昼過ぎだったので、柚子の香りを十分に満喫しました。夜は開成馬券師とLINEで有馬記念の検討。

 12月23日(日)
 時間をかけてあれこれ考えた有馬記念は、1番人気レイデオロとジャパンカップ2着のキセキを軸にした3連複を中心に勝負したのですが、惨敗。罰走に出る代わりに普段、ほとんど使っていない住宅2階の掃除と年賀状の宛名印刷を済ませた。宛名印刷は罰感ゼロだけど。

 12月24日(月)
 デスク代理で前橋へ行く前に北関東道太田強戸PAで昼食と帰省土産のお買い物。ニンニク焦がし醤油ラーメンをいただいたけど、次に食べることはないだろうな。ここはやっぱり上州麦豚のトンテキに勝るものはないのだろうか。
 デスク代理といってもやることはあまりなく、仕事関係の年賀状書きに時間を使う。

 12月25日(火)
 外国人材の共生策を政府が決めたことを受け、地元首長の反応取り。たぶん年内最後の仕事らしい仕事。
 12月26日(水)
 業務の合間の年賀状書き終了。ついでに洗車も済ませた。風は吹いていたけど、気温が多少なりとも高い日中じゃないとやる気が起きないし。
 12月27日(木)
 お昼は伊勢崎市のベトナム料理店で連載用写真撮影。フォーや生ココナッツミルク(実に穴をあけてストローで飲む)その他をご馳走になってしまったうえ、「ベトナムの菜っ葉の漬物」(正式名はわからないけど、とにかく自分好みの味です)を持ち帰りでいただいてしまった。このお礼に次の夏、サクランボを贈ることにしよう。事務を処理して世間より一日早く、個人的には仕事納め。

 12月28日(金)
 部屋掃除、洗濯、ゴミ出し、その他に手間取って、太田を午前10時過ぎに出発。船橋の旧宅には正午過ぎに到着した。引っ越して以来、年に一度のベランダ掃除。今年は台風襲来が多かったせいで、汚れ方がとりわけひどい。午後2時過ぎに片づけた後、ホープフルSで勝負するため中山競馬場へ出撃するつもりだったけど、風が冷たすぎて断念。さっさと君津の実家へ帰った。そのホープフルSは珍しく的中。焼け石に水でも終わり良ければ総て良し。

 12月29日(土)
 帰省仕事初日は窓掃除。足腰が弱くなった老親に代わり、1・2階の窓をすべて拭く。お腹が空いたとはいえ、前夜の残りのカレーを2杯食べたのは失敗でした。夕方のジョギング中になっても催してしまいそうで、予定していた10キロを7キロで中止するはめに。

 12月30日(日)
 帰省仕事2日目は室内清掃。1階は普段、ルーロでそれなりに掃除をしているものの、使ってない2階の掃除機がけ、階段やフローリングのクイックルワイパーがけをやった。しかし、クイックルワイパーで取れるほこりや髪の毛の量には限界があり、結局1階各室も掃除機がけ。夕方のジョギングは12キロ。

 12月31日(月)
 3日目は1・2階洗面所のオキシ漬け。時間はかかるけど、汚れ落としは楽で確実だからいい。姪がお節料理を届けに来てくれたので、1日早いけどお年玉をあげた。夕方のジョギングは14キロ。不完全ながらビルドアップ走の形になったのはよかった。
 テレビ東京の「懐かしのメロディー」的な番組(正式名称失念)に中村雅俊や太田裕美が出ていて、曲は1970年代後半から80年代にかけてが中心。紅白歌合戦よりよほど馴染みやすい。ってことは即ち、自分が高齢者の仲間入りしているのを無意識に認めているのだろうか。
 今夜に限れば、最大の楽しみはメイウェザーと那須川天心の対戦でしょう。1ラウンドでメイウェザーがノックアウト勝ちでしたが、この時間帯の視聴率は紅白にかなり迫ったのでは。

 1月1日(火)
 新年あけましておめでとうございます。最後の仕事は浴室のオキシ漬け。洗い場の方は排水口の栓(ポリ袋に水を入れた代用品)が少々甘く、3時間ほどでほぼ流れてしまったミスはあったものの、汚れ落としは問題なく終わった。
 ニューイヤー駅伝、群馬県で働くようになったおととしから見るようになったけど、青学一強の箱根駅伝よりレースはずっと面白い。
 夕方のジョギングは11キロ。途中、300段超の階段を上って人見神社で初詣。去年は行かなかったけど、母の入院や自分の骨折が重なったのはそのせいか。今年はちゃんと賽銭を投じて、家族の健康と無事を祈りました。

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2018年11月17日 (土)

ジュビロ磐田メモリアルハーフマラソン前夜祭

 京都駅から「こだま」で1時間半ちょっと、浜松駅で東海道線にさっと乗り換えて磐田駅に到着。改札を出ると、K兄貴がお出迎えしてくれました。
 いつもだと駅前のロータリーに止めた車で待ってくれているのですが、何と自宅を出る際にスマホだと思って手にしていたのは小銭入れだったとのこと。道理で、磐田駅到着予定を知らせたメールに返信がなかったわけです。「歳だね~」と苦笑いするK兄貴に、僕は京都でランニングシューズなどを入れたバッグを忘れた話をして、お互い様だと笑い合いました。
 今回の前夜祭は5年前、大繁盛のためか注文した品がほとんど出てこなかった「凛や」。K兄貴は間違いのないコースを予約しておいてくれ、結果から言えば問題なく、コストパフォーマンスのよい料理が提供されたのでした。
 磐田在勤当時に、市役所などで広報を担当していた公務員OB・OG7人が集まっていただき、昔話や近況で盛り上がりました。思えば、磐田から浜松へ異動したのが昭和64年1月1日。その6日後に昭和天皇が崩御して「平成」の御世を迎えたのでした。引っ越し先の都合で、1月半ばまでは磐田で暮らしていました。
 当時、トンボの生息種が日本一だった桶ヶ谷沼の保護活動に関心があり、東京へ異動した後も「桶ヶ谷沼を考える会」の会合に参加するため毎年、磐田へ来てはK兄貴たちのご厚意で広報OB・OGの皆様との集まりを開いていただいているのです。来磐名目はその後、ジュビロ磐田戦観戦、そしてマラソンへと変わったものの、平成のほぼ毎年、連続して会が続いているのは、本当にありがたいことです。

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2018年10月31日 (水)

足尾銅山山元調査

 太田市に来て、仕事に関することで最も衝撃を受けたのは、足尾鉱毒事件の影響はまだ続いており、続いているどころか恐らく終わることがないと知ったことでした。
 栃木県にある旧足尾銅山から流出した重金属は、渡良瀬川を流れて太田市や桐生市などの水田に大きな被害をもたらしたのでした。小学5年生の頃、渡良瀬川が汚染された公害のニュースがあったなあとは覚えていましたが、それは太田市毛里田地区の農民が古河鉱業(当時)と交渉し、同社に初めて鉱毒被害の責任を認めさせたニュースだったのです。
 現在の古河機械金属は足尾銅山の閉山後も、旧銅山から流出する重金属を含んだ水を浄化してから渡良瀬川へ流しており、鉱毒の直接的な被害はありません。しかし、金属かすなどの堆積地が崩れでもすれば農業や水道に壊滅的な打撃を与えかねず、渡良瀬川鉱毒根絶太田期成同盟会のメンバーが年に1回、その管理状況を視察しています。
 太田へ来て以来、3年連続でこの山元調査を取材させてもらいました。
 今回はスケジュールがタイトで、紅葉が進んでいるのを眺めるゆとりもありませんでした。ここ数日、暖かかったので薄手の上着で来たら、やはり高地のせいで風が冷たく、日が傾いて気温が下がると寒くてかないません。
 緑化が滞っている場所をどうするかといった課題は残っていますが、古河側も決して消極的ではありません。しかしながら、旧銅山から地下水が出てくる限り、その中に重金属などが含まれることは半永久的に変わることはないとのことです。
 あの福島第一原発事故と全く同じ構図なのです。現役の堆積場は「あと100年以上使える」そうですが、150年後はどうするのでしょうか。技術の進歩があるとはいえ、時間に余裕のあるうちに対策を練り始めないと、先人たちの苦労が無駄になりかねないかもしれません。
 3年連続参加賞でペンをいただきました。会員でもないのに申し訳ないのですが、嬉しかったです。

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2018年10月28日 (日)

2等賞!

1dsc_0301_18  上州太田スバルマラソンのお楽しみは、レース後の大抽選会です。特賞はスバルの軽自動車、1~3等賞もなかなか高価な品で、一番下の賞はゼッケンの下一桁の数字2種ですから、5人に1人は何かしら賞品をいただけるのです。
 5日前にスーパー「とりせん」のガラポンで特賞をゲットし、「いい流れ」が来ているから下一桁賞はもらえるんじゃないかと期待して会場の陸上競技場で座っていました。3等賞(一般と高校生以下10人ずつ)から来賓が抽選して当選者のゼッケン番号と氏名をコール。参加者は5000人近くですから、そう簡単には当たりませんけど、ここでコールされなければより良い賞品が当たるのですから、呼ばれなくてよかったなどと思ってしまいます。
 続いて2等賞。8番目に何と、わが名が呼ばれたのです。
 驚いたですね~。
 賞品はGショック。この抽選会、1等賞以上はコールされた後に名乗り出ないと当選取り消しとなってしまうのですが、2等賞まではコールされれば当選確定です。全抽選の終了後、ありがたく頂戴いたしました。

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