2018年4月 8日 (日)

岩宿博物館

 休刊日だというのに、隣接する(といっても遠い)みどり市の市長選が告示されるため、その手伝いに行く。望まれた任務は全く果たせませんでしたが、実際はというと「任務を果たせないこと」こそ望まれていたというか、「やったけどだめでした」という実績を残すことが任務だったのでした。
 「任務」は午前11時過ぎには完了してしまって手持無沙汰になったので、割と近くにある岩宿博物館を見学しにいきました。岩宿遺跡といえば、日本にも旧石器時代があったことを示す黒曜石の石器と土器が見つかった場所です。展示されているのは複製品がほとんどとはいえ、戦後間もない時期にこんな大発見があり、明治大学が調査した様子の写真を見ると、考古学にかける情熱みたいなものが伝わってくる気がします。
 博物館から数百メートル離れた岩宿遺跡も見に行きました。率直に言って、あまり感動する要素は見当たりませんでした。

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2018年3月27日 (火)

56年余りの人生初の出来事

 仕事帰りにスーパー「とりせん」(埼玉北部、群馬、栃木が勢力圏)八幡町店に寄り道し、ガラポンの列に並びました。1回の買い物額1000円(税別)につき1個押してくれるスタンプ5個につき1回、ガラポンを回せるのです。
 狙いは下から2番目の缶ジュースだったのですが、5回挑戦したうちの1回が何と一等賞で、店員さんが鈴を鳴らして祝福してくれました。いや恥ずかしかったこと。
 一等賞は500mlの「綾鷹」1ケース(24本入り)。後で同じ商品の価格を見たら1530円(税別)でした。
 運動会、模擬テストその他、これまで56年余りの人生で「一等賞」をいただいたのはこれが初めてです。
 表示上の公開日時よりずっと後に書いていますが、この翌朝、在阪当時の「親分」の訃報が知らされました。まだ65歳、昨年4月には高知まで快気祝いに出かけたのが、会った最後になろうとは。同11月に大阪へ遊びに出かけた際、かつての職場の先輩たちがたくさん集まってくれ、その場で親分とみんな電話で話したのが最後の会話でした。

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2018年3月22日 (木)

40年ぶりの再会

 小学校の同級生だったT沢君と40年ぶりに再会しました。
 T沢君は2年生の時に転校してきて、同じ頃に転校してきたN尾君と仲良しでしたが、とある日の帰り道、僕も一緒になって3人で仲良くなり、N尾君のお母さんが始めた英語塾で一緒に勉強するようになりました。同じクラスだったのは2年生の時だけでしたが、英語塾のおかげでずっと付き合っていたのです。
 T沢君は6年生の2学期に転校し、その後会ったのは2度だけ。最後は高校1年生の時、駿台予備校の夏期講習か実力テストで偶然、御茶ノ水駅近くで会った覚えがあります。
 その後、T沢君は群馬大学医学部に進んだとまでは聞いていましたが、年賀状のやり取りなどしていなかったので消息は知らずにいました。
 僕が太田市に引っ越して3か月ほどたった2016年12月頃、市の「広報おおた」の最終ページに地元の医師たちが交代で書いているコラムを見たら、顔写真が何となく見覚えのある人でした。改めて氏名を見ると、T沢君だったのです。驚いたのなんの。太田で産婦人科医院を開いていたのでした。
 かといって、一人のオッサンとしては産婦人科医院はどうも訪ねにくい。昨年6月、たまたま市内の別の産婦人科医と顔を合わせる機会があり、「実はT沢先生と幼馴染なんです」と話したら、この先生が話をつないでくれたらしく、秋になってT沢君がわが事務所を訪ねてくれました。残念ながら僕は不在だったので、こちらから折り返し電話をし、日中は市役所の市政記者室にたいていいることなどを話しました。
 年が明けてから草津白根山の噴火などであわただしく、T沢君に連絡もできずに時間だけがたっていましたが、今日、T沢君が市政記者室に来てくれたのでした。
 子供の頃の友達たちの消息など、知っている限りのことを話して、懐かしいひと時を過ごしました。それにしても、医者にしてはあまりにもラフな格好で、見てくれだけではこの人が医者だと見抜ける人はまずいないだろうなと思うほど。体面を気にしないのは、患者さんにも気楽な印象を持たれていいのかもしれません。
 折を見て、ゆっくりと昼飯でも食べながらまた話そうと思っています。

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2018年3月17日 (土)

北海道物産展

 2か月半ぶりに帰省。太田へ戻る途中、本社の診療所に寄り道する予定なので、今回も電車です。
 船橋の旧宅で風通しなどをした後、東武百貨店船橋店でこの時期恒例の北海道物産展をのぞく。デパートのない太田では、イオンあたりで駅弁大会があるのがせいぜいで、いろいろな食べ物を選べる物産展は貴重です。
 両親の夕食用に豊平館のステーキ弁当を購入。ミニサイズと普通サイズの価格差が300円ぐらいなのはなぜだろう。ミニが高級肉なのか、普通サイズがお得なのか。毎度のことながら、北菓楼のおかき数種類も買って帰り、両親には喜んでもらえました。

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2018年3月14日 (水)

危機一髪

 館林市と西隣の邑楽町にまたがる多々良沼という、ハクチョウの越冬地があり、ここでヨシ焼きが行われました。
 ヨシ焼きといえばもっと東の渡良瀬遊水地が有名ですが、広大なだけに遠巻きに見物することになっています。一方、多々良沼はかなり炎の近くで眺めることができるのです。
 9時に沼のあちこちで点火し、沼の西端で通称「ガバ沼」という、数多くのハクチョウが羽を休めている辺りも火が煙が回ってくると、驚いて飛び立ちます。その様子をアマチュアカメラマンたちがパシャパシャと撮るわけです。
 僕もあちこちでもうちょっと迫力のある絵が撮れないかと動き回っていると、携帯電話が鳴り始めました。出ると、到着した後に名刺交換したばかりの、ヨシ焼きを担当する団体の代表の方が「あなたの車が燃えそうになっています。早く戻って来てください」という。
 指定された集合場所に駐車していたのですが、確かに沼の際ではありました。たぶん600mぐらい走って戻ると、「燃えそう」は大げさとしても、風が吹いたらあるいは危なっかしい感じではありました。急いで車を移動させ、仕事的にはもう終わっていたので、そのまま現場を立ち去りました。
 長年、ジョギングに励んできましたが、実生活で役に立ったのは初めてでした。

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2018年3月11日 (日)

はるな梅マラソン&長岡寺ライブ

1dsc_0615  6時半に朝食をとって、7時半過ぎにホテルを出発。指定の駐車場には順調に到着して、シャトルバスでスタート会場へ。
 大会規模からして荷物預かりはないのかと思っていたら、ちゃんとありました。いろいろと行き届いていて、いい運営だと感心させられました。
 本当はハーフマラソンに出たかったけど、申し込みが遅くて11キロの部になりました。コース図を見ると、ハーフは5キロ~10キロ地点で100m以上上るきついコースです。それを考えると11キロでよかったと思ったら甘かったのでした。11キロも途中に激坂があり、この坂の3分の1は歩かざるを得なかったのです。タイムは1時間7分台。平坦コースなら1時間ってとこですが、坂にやられました。
 着替えなど後始末をして駐車場に戻ったのは11時40分過ぎ。急いで太田に帰ってきたのが13時10分頃。シャワーを浴びて仕事モードに切り替え、東日本大震災復興支援ライブが開かれる長岡寺(ちょうこうじ)へと向かう。
 ここで黙とうの様子や、福島県浪江町から避難しているシンガーソングライター牛来(ごらい)美佳さんのステージなどを取材して、支局に引き返して出稿などを完了したのが18時過ぎ。
 11キロ走って昼食抜きで働いてきつかったのは確かですが、あの日、被災した方々はみんなこんな具合だったのだろうかと思わされました。夕食にありつけるだけでも、被災地とは大違いではありますが。

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2018年2月25日 (日)

東京マラソン

 太田に引っ越してから1年半ぶりに船橋の「わが家」で寝泊まりし、6時過ぎに出発。総武線の各駅停車で座って行き、作戦通り?四ツ谷駅のトイレで用足しを済ませてから新宿駅へ。
 スタート会場の東京都庁へ歩く。かつて仕事で何度も通った道だけど、歩くのは16年ぶりぐらいでしょうか。来し方を思えば、幾ばくかの感慨がないでもありません。
 着替えを済ませて手荷物を指定のトラックに預けるまではスムーズでしたが、小用を済ませるのに30分以上かかり、整列にはギリギリ間に合いました。号砲からスタートラインにたどり着くまで15分ほど、スタート時の紙吹雪を拾ったら桜の花びらの形でした。
 曇り空でほぼ無風、マラソンには絶好のコンディションです。序盤7キロぐらいが下り基調で残りはほぼ真っ平なコースで、ともかく突っ込み過ぎずに進むことが肝心ですが、周囲は飛ばす飛ばす。つられないように心の手綱を引っ張るのですが、こちらもいくらか掛かっていたかもしれません。
 大学に入った頃は今の防衛省近く(当時は自衛隊市谷駐屯地)に住んでいたので、新宿から靖国通り、市ヶ谷、飯田橋と進む辺りは懐かしい思いがします。仕事帰りに飲み屋街に寄った神田、日本橋を過ぎて北上する辺りから浅草にかけては、あまり思い出のない一帯でしたが、13キロ過ぎの蔵前付近(だったと思う)で、反対側の沿道から大きな声で名前を呼ばれたのです。ここで知り合いがいる認識はなく、手を振ってありがたい応援にこたえておきましたが、声援をいただけるのは本当にうれしい。
 実のところ、走り始めてから先週の疲れがまだ残っていることがわかり、どこで脚色がいっぱいになってしまうのか不安でした。会社の先輩カメラマンのIさんが中間点過ぎの門前仲町で待っているのは知っていたので、せめてそこまでは持たせたい。富岡八幡宮を折り返して門前仲町付近に戻ってきたら、いたいたIさん。ノッポのカメラマンだからすぐわかるし、Iさんもこちらのウェアを知っていたのですぐ声を掛けてパシャパシャと撮ってくれました。
 Iさんは地元のランニングクラブのメンバーたちと出場者の応援に来ていて、僕は「ついで」だったのですが、寒い中待ち続けていたメンバーさんたちは快くハイタッチで励ましてくれました。皆さん、抽選で外れて残念だったのに、こんなに応援してくれて…。「こりゃ絶対に裏切れないな」と気持ちが引き締まりました。
 1回トイレに寄りましたが、ロスタイムは5分足らず。ここから30キロ地点までをバテないようにそーっと進めれば後はどうにかなると思い、その通りには進んだものの、やはり疲れていたのか、走ってきた道を戻っているという認識がほとんどありませんでした。京橋から銀座、ここも思い出深い場所ですが、懐かしがっている余裕はありません。日比谷公園の角を南に曲がる辺りでGPSウォッチが電池不足になってしまい、ラップタイムがわからなくなってしまいました。時計としては動いていたので、距離表示ごとにチェックしてペースを把握することはできました。
 「反対側の走路を戻ってきた人たちはサブ4だな~」などと思いつつ、こちらはあと11キロちょっと。バテてはいないけど、終盤にペースアップできる余裕はなさそうです。増上寺を過ぎ、母校のある田町を過ぎて、エアーサロンパスの配布があり、受け取ったのに何たること、キャップが外せません。無理やり取ったけど、ほぼ噴射することができず、時間の無駄になってしまいました。
 でも、気落ちしているわけにはいきません。品川駅北で折り返し、最後のひと踏ん張り。ここからは1キロが長かった。41キロを過ぎて丸の内仲通りの石畳は走りにくかったけど、ここの声援は本当に大きくて、どうしてこんなに応援してくれるのか感激したほど。どうにか5時間12分55秒でゴールにたどり着きました。
 曇りで気温が低いままだったうえ、風も強くなっていたので、走り終わった後に配られた薄いアルミシートがとてもありがたかったです。荷物受け取りはゴールからそう遠くない馬場先門でしたが、この辺りは閑散としていて寂しかったのが残念でした。遠くても日比谷公園は賑わっていたのかもしれません。
 着替えた後は速攻で東京駅へ。「果実園」の近くを通ったらものすごい行列ができており、ケーキ購入は断念。新幹線で熊谷駅に行き、今度は太田行きのバスを逃さず、いつも通りに「源泉湯乃庵」でゆっくりと体を休めて、2週連続のわが「お祭り」は無事に終わったのでした。

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2018年2月24日 (土)

東京マラソン前日

 調教不足のまま京都マラソンで1年4か月ぶりのフルマラソンを走った反動が心配でしたが、回復は早くて週半ばには筋肉痛も治まっていました。これなら東京マラソンは5時間切りも可能ではと思いつつ上京して、午後からゼッケン受け取り会場の東京ビッグサイトへ。
1dsc_0604  3万人以上が参加する割には人通りが多くない。木曜日から受け付けているからさっさと手続した人が結構いるのかなと思ったら大間違い。誘導に従って建物の屋上に上がったら長蛇の列ができていた。
 穏やかな晴れだったからいいけど、雨が降っていたら、この段階で出走取消にしちゃいそうでした。30分ちょっとで屋内に進み、ゼッケンや参加賞のTシャツなどを受け取った後、警備用のリストバンドを巻かれて顔写真を撮影されました。
 万一の事態に巻き込まれたら有効だとは理解していても、こうまでして参加するほどのことなのかと疑問に感じずにはいられません。
 旧宅に宿泊するため船橋へ。船橋駅には南口にJR系のホテルが完成し、それに伴って駅ビルのシャポーも大改装されていました。レストラン街などは一新されていて、かつてあった店はほとんど撤退していました。しゃれた飲食店ばかりになっていましたが、どこも4桁メニューになっていました。ピーターパンで朝食用のパンを買って、夕食は新船橋のイオンにある懐かしの「唐庄酒家」で酸辣湯麵などでカーボローディング。

 

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2018年2月18日 (日)

判断ミス

 京都駅で鱧寿司を買って新幹線内でいただき、東京に着くまでの間、ちょっとはまどろんだのですが、いざ下車しようと立ち上がった時、両膝が固まったようになっていて驚きました。やっぱりフルマラソンは甘くありません。
 上越新幹線で熊谷まで行くのに、東京都内までの乗車券を持っているから、「特急券だけ買って下車の際、精算すればいいだろう」と思っていたら、自動改札ではねられてしまった。仕方なく窓口で乗車券を買い直したため、乗ろうとしていた列車の発車時刻が過ぎてしまった。次の列車も熊谷に止まるのでラッキーと思ったら、雪の影響で当初乗ろうとした列車も遅れていた。しかし、ホームが違うから疲れた脚で重い荷物を持って階段の上り下りをするのは嫌だなと、次の列車にそのまま乗ることにしました。
 これが判断ミス。時刻表通りなら、この列車でも熊谷駅から太田駅に行くバスに余裕で乗れますが、やはり雪の影響で遅れたため、熊谷駅到着時に「あと3分しかない」状態でした。
 疲れた体に鞭を打ってバス停に向かい、太田行きバスの運ちゃんに後方から手を振って合図したのに、気付かなかったのか無情にも出発してしましました。次のバスまで50分ほど待つため、駅構内のラーメン店で台湾ラーメンと炒飯を食べて時間つぶし。可もなく不可もなしでした。

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2018年2月17日 (土)

京都マラソン前日輸送

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