2019年1月24日 (木)

慰労会

 新年連載の慰労会をやろうと、前橋から取りまとめ役のOさんが太田へやって来て、わが支局で頑張ったN君と3人で太田駅南口の「鳥陣」で一杯。
 この面子で昨年11月、やはり太田で打ち合わせがてら飲みに行こうとしたのが「鳥陣」でしたが、月曜定休だったため、行き当たりばったりで近くの「おかめ」なる店に突入。何の期待もなかったけど、「1000円で3品選べる」というシステムだったので、3人で9品選んで適当に飲み、大いに満足したのでした。 

 といって、今回も「おかめ」というわけにはいかず、「鳥陣」となったのですが、お二人には十分に満足していただけて良かった。決して安くはないけれど、価格なりにおいしい店なので、無茶飲みする手合いでなければとても楽しめるのです。
 前橋で歓送迎会があっても、車ででかけることが多いから飲酒の機会は少ない。まあ飲める量が知れているから、飲酒したからといって何が変わるわけではないけれど、若い人たちの仕事にまつわる不満とか考えとかをなかなか聞けないのも確か。気楽にメシでも食べられるといいんだけど、年寄りとじゃ気づまりなんだろうな~。

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2019年1月 1日 (火)

有馬記念から元日まで

 12月22日(土)
 連休2日目、午前中は外を走るつもりだったけど、曇ってきたのでジムのトレッドミルで10キロ。暖房が効いていて夏場より暑いくらいだった。終了後は併設の「源泉 湯乃庵」で冬至の柚子湯に入る。お昼過ぎだったので、柚子の香りを十分に満喫しました。夜は開成馬券師とLINEで有馬記念の検討。

 12月23日(日)
 時間をかけてあれこれ考えた有馬記念は、1番人気レイデオロとジャパンカップ2着のキセキを軸にした3連複を中心に勝負したのですが、惨敗。罰走に出る代わりに普段、ほとんど使っていない住宅2階の掃除と年賀状の宛名印刷を済ませた。宛名印刷は罰感ゼロだけど。

 12月24日(月)
 デスク代理で前橋へ行く前に北関東道太田強戸PAで昼食と帰省土産のお買い物。ニンニク焦がし醤油ラーメンをいただいたけど、次に食べることはないだろうな。ここはやっぱり上州麦豚のトンテキに勝るものはないのだろうか。
 デスク代理といってもやることはあまりなく、仕事関係の年賀状書きに時間を使う。

 12月25日(火)
 外国人材の共生策を政府が決めたことを受け、地元首長の反応取り。たぶん年内最後の仕事らしい仕事。
 12月26日(水)
 業務の合間の年賀状書き終了。ついでに洗車も済ませた。風は吹いていたけど、気温が多少なりとも高い日中じゃないとやる気が起きないし。
 12月27日(木)
 お昼は伊勢崎市のベトナム料理店で連載用写真撮影。フォーや生ココナッツミルク(実に穴をあけてストローで飲む)その他をご馳走になってしまったうえ、「ベトナムの菜っ葉の漬物」(正式名はわからないけど、とにかく自分好みの味です)を持ち帰りでいただいてしまった。このお礼に次の夏、サクランボを贈ることにしよう。事務を処理して世間より一日早く、個人的には仕事納め。

 12月28日(金)
 部屋掃除、洗濯、ゴミ出し、その他に手間取って、太田を午前10時過ぎに出発。船橋の旧宅には正午過ぎに到着した。引っ越して以来、年に一度のベランダ掃除。今年は台風襲来が多かったせいで、汚れ方がとりわけひどい。午後2時過ぎに片づけた後、ホープフルSで勝負するため中山競馬場へ出撃するつもりだったけど、風が冷たすぎて断念。さっさと君津の実家へ帰った。そのホープフルSは珍しく的中。焼け石に水でも終わり良ければ総て良し。

 12月29日(土)
 帰省仕事初日は窓掃除。足腰が弱くなった老親に代わり、1・2階の窓をすべて拭く。お腹が空いたとはいえ、前夜の残りのカレーを2杯食べたのは失敗でした。夕方のジョギング中になっても催してしまいそうで、予定していた10キロを7キロで中止するはめに。

 12月30日(日)
 帰省仕事2日目は室内清掃。1階は普段、ルーロでそれなりに掃除をしているものの、使ってない2階の掃除機がけ、階段やフローリングのクイックルワイパーがけをやった。しかし、クイックルワイパーで取れるほこりや髪の毛の量には限界があり、結局1階各室も掃除機がけ。夕方のジョギングは12キロ。

 12月31日(月)
 3日目は1・2階洗面所のオキシ漬け。時間はかかるけど、汚れ落としは楽で確実だからいい。姪がお節料理を届けに来てくれたので、1日早いけどお年玉をあげた。夕方のジョギングは14キロ。不完全ながらビルドアップ走の形になったのはよかった。
 テレビ東京の「懐かしのメロディー」的な番組(正式名称失念)に中村雅俊や太田裕美が出ていて、曲は1970年代後半から80年代にかけてが中心。紅白歌合戦よりよほど馴染みやすい。ってことは即ち、自分が高齢者の仲間入りしているのを無意識に認めているのだろうか。
 今夜に限れば、最大の楽しみはメイウェザーと那須川天心の対戦でしょう。1ラウンドでメイウェザーがノックアウト勝ちでしたが、この時間帯の視聴率は紅白にかなり迫ったのでは。

 1月1日(火)
 新年あけましておめでとうございます。最後の仕事は浴室のオキシ漬け。洗い場の方は排水口の栓(ポリ袋に水を入れた代用品)が少々甘く、3時間ほどでほぼ流れてしまったミスはあったものの、汚れ落としは問題なく終わった。
 ニューイヤー駅伝、群馬県で働くようになったおととしから見るようになったけど、青学一強の箱根駅伝よりレースはずっと面白い。
 夕方のジョギングは11キロ。途中、300段超の階段を上って人見神社で初詣。去年は行かなかったけど、母の入院や自分の骨折が重なったのはそのせいか。今年はちゃんと賽銭を投じて、家族の健康と無事を祈りました。

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2018年11月17日 (土)

ジュビロ磐田メモリアルハーフマラソン前夜祭

 京都駅から「こだま」で1時間半ちょっと、浜松駅で東海道線にさっと乗り換えて磐田駅に到着。改札を出ると、K兄貴がお出迎えしてくれました。
 いつもだと駅前のロータリーに止めた車で待ってくれているのですが、何と自宅を出る際にスマホだと思って手にしていたのは小銭入れだったとのこと。道理で、磐田駅到着予定を知らせたメールに返信がなかったわけです。「歳だね~」と苦笑いするK兄貴に、僕は京都でランニングシューズなどを入れたバッグを忘れた話をして、お互い様だと笑い合いました。
 今回の前夜祭は5年前、大繁盛のためか注文した品がほとんど出てこなかった「凛や」。K兄貴は間違いのないコースを予約しておいてくれ、結果から言えば問題なく、コストパフォーマンスのよい料理が提供されたのでした。
 磐田在勤当時に、市役所などで広報を担当していた公務員OB・OG7人が集まっていただき、昔話や近況で盛り上がりました。思えば、磐田から浜松へ異動したのが昭和64年1月1日。その6日後に昭和天皇が崩御して「平成」の御世を迎えたのでした。引っ越し先の都合で、1月半ばまでは磐田で暮らしていました。
 当時、トンボの生息種が日本一だった桶ヶ谷沼の保護活動に関心があり、東京へ異動した後も「桶ヶ谷沼を考える会」の会合に参加するため毎年、磐田へ来てはK兄貴たちのご厚意で広報OB・OGの皆様との集まりを開いていただいているのです。来磐名目はその後、ジュビロ磐田戦観戦、そしてマラソンへと変わったものの、平成のほぼ毎年、連続して会が続いているのは、本当にありがたいことです。

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2018年10月31日 (水)

足尾銅山山元調査

 太田市に来て、仕事に関することで最も衝撃を受けたのは、足尾鉱毒事件の影響はまだ続いており、続いているどころか恐らく終わることがないと知ったことでした。
 栃木県にある旧足尾銅山から流出した重金属は、渡良瀬川を流れて太田市や桐生市などの水田に大きな被害をもたらしたのでした。小学5年生の頃、渡良瀬川が汚染された公害のニュースがあったなあとは覚えていましたが、それは太田市毛里田地区の農民が古河鉱業(当時)と交渉し、同社に初めて鉱毒被害の責任を認めさせたニュースだったのです。
 現在の古河機械金属は足尾銅山の閉山後も、旧銅山から流出する重金属を含んだ水を浄化してから渡良瀬川へ流しており、鉱毒の直接的な被害はありません。しかし、金属かすなどの堆積地が崩れでもすれば農業や水道に壊滅的な打撃を与えかねず、渡良瀬川鉱毒根絶太田期成同盟会のメンバーが年に1回、その管理状況を視察しています。
 太田へ来て以来、3年連続でこの山元調査を取材させてもらいました。
 今回はスケジュールがタイトで、紅葉が進んでいるのを眺めるゆとりもありませんでした。ここ数日、暖かかったので薄手の上着で来たら、やはり高地のせいで風が冷たく、日が傾いて気温が下がると寒くてかないません。
 緑化が滞っている場所をどうするかといった課題は残っていますが、古河側も決して消極的ではありません。しかしながら、旧銅山から地下水が出てくる限り、その中に重金属などが含まれることは半永久的に変わることはないとのことです。
 あの福島第一原発事故と全く同じ構図なのです。現役の堆積場は「あと100年以上使える」そうですが、150年後はどうするのでしょうか。技術の進歩があるとはいえ、時間に余裕のあるうちに対策を練り始めないと、先人たちの苦労が無駄になりかねないかもしれません。
 3年連続参加賞でペンをいただきました。会員でもないのに申し訳ないのですが、嬉しかったです。

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2018年10月28日 (日)

2等賞!

1dsc_0301_18  上州太田スバルマラソンのお楽しみは、レース後の大抽選会です。特賞はスバルの軽自動車、1~3等賞もなかなか高価な品で、一番下の賞はゼッケンの下一桁の数字2種ですから、5人に1人は何かしら賞品をいただけるのです。
 5日前にスーパー「とりせん」のガラポンで特賞をゲットし、「いい流れ」が来ているから下一桁賞はもらえるんじゃないかと期待して会場の陸上競技場で座っていました。3等賞(一般と高校生以下10人ずつ)から来賓が抽選して当選者のゼッケン番号と氏名をコール。参加者は5000人近くですから、そう簡単には当たりませんけど、ここでコールされなければより良い賞品が当たるのですから、呼ばれなくてよかったなどと思ってしまいます。
 続いて2等賞。8番目に何と、わが名が呼ばれたのです。
 驚いたですね~。
 賞品はGショック。この抽選会、1等賞以上はコールされた後に名乗り出ないと当選取り消しとなってしまうのですが、2等賞まではコールされれば当選確定です。全抽選の終了後、ありがたく頂戴いたしました。

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2018年10月23日 (火)

ガラポンで特賞!

 今夜は前橋で東京に異動する後輩の送別会があり、夕方から車で出かける。北関東道太田強戸スマートICへ向かう途中、いつも買い物をしている地元スーパー「とりせん」で「お楽しみ大抽選会」が開かれているのを思い出し、八幡町店へ立ち寄りました。
1dsc_0269_18  一番下から2番目の缶ジュースが当たれば御の字、一番下のスナック菓子でも自分としては十分です。無欲のままゆっくりとガラガラを回すと、3個続けてスナック菓子の白玉、4個目にあまりきれいではない見慣れぬ色の玉がコロリ。店員さんも訝し気な表情を浮かべた後、確認のうえ「おめでとうございます。特賞です!」と告げてくれ、思い出したように鈴を鳴らしてくれました。駆けつけた店長さんからギフトカード1万円分を頂戴しました。
 3月に「1等賞」が当たった店で、よもや同じ年のうちに「特賞」が当たるとは。これまでガラポンではポケットティッシュぐらいしかもらったことがないのに、突如の強運ぶりに驚くばかり。いい運勢を使い果たしてしまいやしないかと心配です。
 ギャンブル好きの前橋支局長にこの話をすると、「いや、これは流れが自分に来ていると考えるべきですよ」と励ましてくれました。本当にそうだったと週末に知ることになろうとは、この時は夢にも思っていませんでした。

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2018年10月13日 (土)

2時間走

 2週間後に迫った上州太田スバルマラソンに備え、朝7時から1週前追い切り。調整遅れが甚だしく、せめて2時間走で距離をこなす。
 いつもの周回コースを3周するつもりでしたが、東武小泉線の跨線橋を引き返してきたら気が向いて太田市運動公園へ向かう。今日の午後1時キックオフのラグビートップリーグ「パナソニックワイルドナイツ対リコーブラックラムズ」戦の市民無料券配布にどれくらい人が集まっているのか偵察するのが目的です。
 1周1470mのトリムコースに入ると、野球場付近がにぎわっていました。こちらでは女子ソフトボールの日本リーグ「ビックカメラ対太陽誘電」戦が行われるのです。その前に中学生の試合もあるようで、女の子たちがたくさんいました。
 序盤は7分台でしたが、トリムコースに入ってから調子が上がって6分40秒台に。この調子で走り通せれば、急仕上げとはいえ出走態勢は整う感じがします。トリムコースは陸上競技場と同じ厚さで舗装されているから走りやすい。
 1時間半を過ぎた辺りで運動公園の外に出て自宅を目指す。4kmぐらいですが、脚色が鈍って6分50秒台に。2時間は超えたけど、切りのいい所で18kmで終了。
 いつもならガストへ行ってモーニングとドリンクバーで水分補給なのですが、今日はセブンイレブンのパンとアイスコーヒーで朝昼兼食。

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2018年9月25日 (火)

渡辺淳一「花埋み」

 わが国の女性で初めて開業医試験に合格した荻野吟子は「埼玉県の3偉人」だそうですが、今の熊谷市にあった生家の長屋門はなぜか群馬県千代田町の光恩寺にあります。この謎解き記事を書くために、吟子の評伝小説「花埋(うず)み」を読みました。
 吟子の名を初めて知ったのは、高校を卒業する年のNHK大河ドラマ「獅子の時代」のガイド本でだったと思います。放映期間の4分の3は浪人中だったので、ドラマに吟子が登場したかどうか知りませんが、「学問の師にプロポーズされた」エピソードが紹介されており、妙に印象深かったのでした。
 「花埋み」にはその場面も描かれていますが、それを含めて次々とのしかかる試練とそれをはねのけ続ける吟子の努力と行動力に、ただただ畏怖するばかりでした。文部科学省上層部の息子を不正入学させていたばかりか、女子受験生に不当なハンディキャップを背負わせていた東京医大の問題が明らかになった時、読売新聞の夕刊コラム「よみうり寸評」が「東京で医院を開き、女性への偏見とも闘った荻野の訴えをどう聞くか」と突きつけていましたが、まさしくその通りと思わずにいられません。
 渡辺淳一の小説を読んだのはこれが初めて。正確に言えば、ごく一部だけを読んでのけぞるほど驚いたことがあります。
 それは1991年3月、読売新聞に連載されていた「うたかた」のとある回。それまでこの小説には全く目を通していませんでした。東京で地方版のレイアウトを担当していたある日、暇つぶしに偶然手に取った小説の小ゲラ(その部分だけを印刷したもの)を読み始めたら、それこそ目の玉が飛び出すかと思うほどの衝撃を受けたのでした。
 当時29歳だったし、似たような場面は官能小説で目にしていました。とはいえ、まさか全国紙の連載小説に堂々と…。ネタバレ防止のため、これ以上は控えておきます。

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2018年9月24日 (月)

御巣鷹の尾根

1dsc_0207_17  お彼岸でもあり、御巣鷹の尾根へ慰霊登山することにしました。
 日航ジャンボ機墜落事故は入社する前の年の夏に起こってしまいました。群馬県民になったからには必ずお参りに行こうと思いつつ、2年が過ぎても行けずにいたままでした。
 後輩に行き方を教えてもらい、北関東自動車道から関越自動車道下仁田ICへ行き、そこから上野村の御巣鷹の尾根入り口まで1時間半程度。思っていたほど遠くはありません。
 登山口近くの駐車場へ向かう上り坂で、タイヤが小石を踏んだような音がしました。時々あることながら、何となくいつもと違う音だったような気もしたのですが、止めた車を見ても傾いてはおらず、パンクの心配はないとみて登山道へ。
 歩きでも上り坂には弱いのですが、道がよく整備されているおかげで30分程度で「昇魂之碑」へ。「ここだったのか」と思いつつ、谷を見渡しても「あの日」の痕跡はもはやわかりません。持参した線香に火をつけ、亡くなった人々の無念を思い、尊い犠牲が生かされたおかげで自分が今日まで33年間、空の旅を無事に楽しめたことを感謝しながら手を合わせました。

 

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何年ぶりか

1dsc_0236_17  慰霊登山を終えたのが午後1時半過ぎ。いくらか空腹でもあり、登山口入り口の近くにある「上野村ふれあい館」でお昼にしようと思ったら、鮎の塩焼きが並んでいました。
 鮎ってこんなに大きかったっけと思うほどでしたが、1匹500円。こちらが選んだ鮎をお兄さんが炙り直してくれ、建物入り口のベンチで頬張りました。渓流を見下ろせるテラスがあったことに後で気づき、ちょっと後悔。
 それにしても鮎の塩焼きなんて、食べるのは何年ぶりだろう。山間の観光地で串焼きにした魚を食べたのはイワナかヤマメだったし、宴会料理で出てくる鮎はもっと小さいし…。30年前、静岡県磐田市にいた頃は、市役所近くの「天宏」という店で鮎の塩焼き定食があって時々食べていたけど、ひょっとしたらそれ以来かもしれません。てことは30年ぶり…。
 帰りも関越自動車道経由にしようと思っていたのですが、なぜか「滅多に来ない地域なんだから、神流町とか群馬県南西部から埼玉県本庄市などを通ってみたらどうか」と思い、山中の一般道へ。すると「慰霊の園」という施設があり、寄ってみると、ジャンボ機事故で犠牲になった人の遺品などが展示されていました。
 「あの日」や「あの頃」について、いろいろと考えさせられた一日でした。

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