2018年7月23日 (月)

左手生活37日

 6月17日(日)
 前日に引き続き、放送大学の面接授業「富岡製糸場と絹遺産群」を受講。今日はお楽しみの製糸場、高山社、田島弥平旧宅をバスで巡っての見学です。
1dsc_0093_14  車を前橋に置いて、まずは富岡製糸場へ。僕らが高校生だった頃の日本史の教科書には錦絵の写真が載っていたけど、ほとんど同じ実物が残っているとは驚きだ。このことは20年ほど前だったか、泉麻人氏のエッセー集「大人の社会科見学旅行」(だったかな?)で読んで知り、いつかは見たいと思っていた念願がようやくかなったのです。
 世界遺産に決まった当時に比べれば観光客はだいぶ減ったそうですが、僕のように見たいと思いつつまだ見ていない人はいくらでもいるはず。来てみると、明治時代から高度成長期あたりまでに養蚕や絹産業がわが国にとってどれほど大きい存在だったかがよくわかります。その辺がもっと伝われば。見に来る人もまた増えるんじゃないでしょうか。この日は製糸場の動力源だった蒸気の「ブリュナエンジン」を動かすイベントを見学することもでき、ラッキーでした。
1dsc_0095_14  お昼は群馬県で最大級の道の駅「ららん藤岡」で。肉屋さんで注文製造のメンチカツバーガーとカレーパンを買い、なかなかおいしかった。
 午後はまず、養蚕方法の教育機関だった「高山社」(藤岡市)へ。幼少期を過ごした東京都国立市谷保地区も昔は養蚕農家が多かったと母は言いますが、僕は見た覚えが全くありません。「お蚕様」は8年ぐらい前の面接授業で見せてもらいました(数える際の単位が「頭」なのは今回初めて知った)が、蚕棚を見るのは初めて。
1dsc_0098_14  実が成っている桑の木もここで初めて見ました。もしかしたらこれまでにも目にしていたけれども、そうと認識していなかっただけかもしれません。何しろ、小学校で「桑畑」の地図記号は習っても、その実物を見たことはなかったほどだし。
 バスでいったん埼玉県を通り、群馬県ながら利根川南にある伊勢崎市島村地区にある旧田島弥平住宅へ。大きな二階屋。二階の屋根に排気口である「やぐら」がまっすぐつながっているのが島村地区の特徴で、高山社などでは「やぐら」がいくつかに分かれています。養蚕農家の建物としての特徴を知ると、「あそこは昔、養蚕農家だったんだ」とわかるようになるのが、新知識を得た時の楽しみです。
 事故は田島弥平旧宅でおきました。階段の一段目でどうしたことかバランスを崩してしまい、後方へ転倒してしまったのです。とっさに頭を打たないようにし、首に提げていたカメラを守ろうとしたのだとは思いますが、体をかばう際に右手を強くついてしまいました。手首が腫れたから「まずいな」とは思ったものの、指を動かすことができたので「ねんざかな」と判断し、そのまま見学を続行。前橋に戻って解散後、手の痛みをおして車を運転し、太田に戻りました。
 新聞の休日当番医欄を見ると、太田市は整形外科ではありません。市の広報紙を見ると、消防本部に電話すれば整形外科の医師が出ている総合病院を教えてくれるとあり、尋ねると、よりによって自宅から最も遠いイムス太田中央総合病院」だとのこと。電話すると、症状を聞いてから「じゃ来て下さい」となり、X線検査で「右手橈骨(とうこつ)と尺骨の遠位端骨折」と判明しました。手首の両端の骨ってことです。骨折部位がズレていたりすると、手術して金属プレートで固定するそうですが、そういう状態ではないので固定して自然につながるのを1か月ほど待つことに。
 シーネ(添え木)を付ける際、長袖シャツを着たままだったため、帰宅しても脱ぐことができず、夜はそのまま眠る羽目になった。
 6月18日(月)
1dsc_0101_14  朝、徒歩で太田駅へ向かう。駅からタクシーでイムス太田中央総合病院へ行こうと思っていたら、駅北口に病院名の書かれたマイクロバスが止まっていた。無料送迎バスだ。「そりゃそうだろ、あんなに遠くて公共交通機関もないんだから、バスぐらい出さなきゃ患者なんか来やしないだろうな」と思いつつ、ありがたく利用させていただきました。
 先生の見立ては昨日と同じ。シャツを脱ぐためシーネをいったん外して欲しいと要望したら、応じてくれた。
 市役所では会う人ごとにご心配をいただき、その度に無様な説明をするのが情けなかった。昼食は市役所敷地内にある福祉ベーカリー「スワン」で調理パンを買って食べる日々になりそう。
 夕食は「とりせん」八幡町店まで歩いて行って、総菜などを購入。目の前のセブン―イレブン太田高校西店は、雨の日用にとっておかないと。右手は使いづらいので、左手で箸を使う。どうにかインゲンぐらいはつかめるようになった。この時期なのでシャワーだけでも体を洗えるのは助かる。
 6月20日(水)
 自宅から事実上の勤務先である記者クラブのある市役所まで徒歩15分。晴れてて暑いのは辛いけど、雨はまた大変だ。今日は午前中、取材先まで20分ほど雨の中を歩く。いつもならクラブで執筆だけど、ノートパソコンの持ち歩きは重いため、だいたい16時頃に支局へ戻ってから仕事となる。となると、15時台に歩くことになり、晴れてりゃ暑いし、雨なら濡れて不快度が増す。
 買い物も片道10分ほどの歩きなので、1日1万歩はだいたい達成するようになった。走れない以上、せめてこれくらいはしとかないと。
 6月23日(土)
 代理デスクで前橋へ。当然、電車利用。土曜日の朝は伊勢崎駅での東武線とJR両毛線の接続が悪く、20分ほど待たされる。
 デスク業務は無事に終わったが、その時間には終電もとっくに出てしまっているため、前橋駅近くのベルズイン前橋に泊まった。こちらがけが人だったせいはあるにせよ、スタッフがとても親切だったのが印象的だった。翌朝のビュッフェでは、従業員の女性が飲み物などをわざわざ持ってきてくれたばかりでなく、チョコレートまでいただいてしまった。今度利用する時に、何かお返しをしよう。
 6月25日(月)
 毎週月曜日は午前9時に病院でX線撮影をし、患部の経過観察。今日は大泉町で町長の定例記者会見があり、初めて東武小泉線に乗って東小泉駅まで行き、乗り換えて「盲腸線」の終点西小泉駅まで行き、10分ほど歩いて町役場に到着した。骨折しなければやらずじまいになったであろうことができたこと自体はよかったなと、前向きに考えよう。帰りは、これまたお初のコミュニティーバスで太田駅へ。
 6月27日(水)
 昨日から2日間、またしても放送大学の面接授業「次世代自動車産業と環境問題」を受講。初日は群馬学習センターで、前橋駅からバスで向かったら、どうも受講生とおぼしき人が「県民会館前」で降車ブザーを押したので一緒に降りたら、運賃が150円だった。いつもは次の「若宮1丁目」で降りていて、運賃は200円。バス停からの距離はちょっと長いくらいで、明らかに50円差は大きい。勉強になった。って、授業の方はどうした。
 群馬学習センター周辺は飲食店が少ないが、スーパー店内にベーカリーがあり、イートイン席もあるのでここを利用。
1dsc_0103_14  2日目の今日は地元太田にあるSUBARUの迎賓館、というか福利厚生施設の「雄飛荘」が会場。お昼はここのレストランのお弁当で、右手が使いづらい身としては特にご飯を食べるのが大変だったけど、周りの受講生も高齢なせいか食べるのがゆっくりだったおかげで、こちらも残さずに食べることができた。
 午後はSUBARU群馬製作所矢島工場にあるビジターセンターを見学。いろいろな車種を一つのラインで製作しており、車の生産もさることながら、この製造ラインの制御や設計をした人々の構想力のすごさに圧倒されてしまった。
 6月29日(金)
 何と梅雨明け。例年なら7月20日頃なのに3週間も早い。シーネをして包帯ぐるぐる巻きとはいえ、梅雨の間はそれほど気温も上がらないから何とかしのげるだろうともくろんでいたのに、あっさりと前提が崩れて猛暑到来とは…。
 予選リーグ3試合で2点取れば合格だろうと思っていたサッカーW杯の日本が、思いがけない健闘で決勝トーナメント進出のチャンスをつかみ、夜中に目が覚めたついでにポーランド戦の後半を観戦した。ポーランドに1点先制された後、もう1試合でセネガルがコロンビアに負けている状況を踏まえて日本は自陣でボール回しに終始した結果、決勝進出を決めました。
 その昔、夏の甲子園で松井秀喜選手を5打席連続敬遠して星稜高校に勝った明徳義塾高校の馬淵史郎監督に、誰かインタビューしないかな。「少しは、俺の気持ちがわかったか」とでも答えてほしい。
 7月4日(水)
 前夜は前橋で会議というのに、今朝は邑楽町役場まで撮影に行かなければならない。行き方を調べた結果、コミュニティーバスで自宅付近から町役場に行き、10分で仕事を済ませて、太田駅方面へ向かうコミュニティーバスで戻るのが効率がよいとわかり、朝8時10分過ぎに家を出た。コミュニティーバスだけにあちこち寄り道?するので、今まで知らなかった道を通ったり、公共施設の所在地がわかったりで、ためになることも多い。この日最大の収穫?は、上毛新聞に載っていた「邑楽町内にある『猫バス』に見える樹木群」のありかが、コミュニティーバスの路線から偶然発見できたことだった。
 肝心の写真はスペースの都合で没。これも仕事にはつきまとう不運。
 7月8日(日)
 今季最後の面接授業「地域金融機関の現状と課題」で昨日から群馬学習センターに通う。群馬県の第二地銀「東和銀行」の幹部らによる講義で、吉永国光頭取の発案により7年も続いいるという。二日目の最後は吉永頭取が講義し、岩手県の副知事をしていた約20年前、岩手大学内にあった学習センターに学生として通った思い出話をしていた。
 その当時、盛岡支局にいた僕は地方版で生涯学習をテーマにした連載を担当し、その中で吉永副知事にインタビューしたことがある。講義終了後、あいさつをしてそのことを話すと、たいそう驚かれた。巡り合わせって、あるものです。
1dsc_0110_14  7月9日(月)
 X線検査により、肘までカバーしていたシーネが手首までの短いものに替えてくれた。本当は右手を少しでも洗って、積もった垢を落としたかったんだけどな~。それでもあと1週間の辛抱だと思っていたら、「来週は海の日で休みだから、再来週ね」と先生が無情の宣告。この先生、当病院では月曜日しか診察しないのでした。シーネを外すぐらい別の先生でもできそうなもんだけど、そうもいかないのだろうか。患者は弱し。
 おかげで、22日に富津市である法事には包帯巻いたまま参列することになってしまった。両親や親類には心配させないようにしたかったが、うまくごまかせなくなったのは残念無念。
 7月15日(日)
 昨日は市役所で「ごみ問題」をテーマにした住民協議会の第1回会合があり、炎天下を歩いて取材に行った。無作為抽出した市民に案内を送り、参加を希望した人が委員になって問題を他人事ではなく「自分のこと」として議論するのが趣旨なのですが、昨年も別テーマで実施していて少々新味に欠けるきらいがあり、記事は没に。
 15日夜、「とりせん」八幡町店へ買い物に出かけたついでに、昨日から開かれている「太田まつり」を少しのぞいた。伝統行事でもないから特に取材はしなかったけど、ここで暮らしている人々にとっては年に一度の祭りが楽しみなのは多少なりとも感じられた。
 7月17日(火)
 カメラのレンズが故障していたことが判明。連載用に取材した人の顔写真がびっくりするくらいのボッケボケ。オートフォーカスではあり得ないし、ファインダーではちゃんとピントは合っていたのに。要は一眼レフのような光学ファインダー(=レンズを通した画像が見える)ではなく、レンズを通さない独立したファインダーなので、ファインダー内はピントが合っていてもレンズの方は全く動いていなかったってことらしい。
 6月17日に転倒した際、カメラをかばったつもりだったけど、知らない間にどこかぶつけてしまったのだろうか。ビックカメラのサイトでオリンパスのズームレンズを購入することに。とても薄いパンケーキ型なのには驚いた。
 7月18日(水)
 太田駅構内で取材を終えた後、午後3時過ぎから約20分歩いて支局に帰ったら、これが「本町通り死の彷徨」だった。軽い熱中症とまではいかなくても、その寸前だったのかもしれない。きのうも東武伊勢崎線の世良田駅ホームで、日陰ながら約30分電車を待っていたら、それだけでクラクラしてしまった。もはや「猛暑」どころではなく「暴暑」だ。
 7月21日(土)
 夕方、高速バスで君津に帰省。老父には右手骨折の事情を説明し、実際はもう治っていて2日後にはシーネを外せるから心配ないと伝えた。老母は同じ月曜日に退院するから、家に帰ってきてから話してもらおうと勝手に思いこんでいたが、老父は何と僕がシャワーを浴びている間に携帯で即、話していた。
 結局、老母にも電話で事情説明。いくつになっても親ってのは子供の心配をしてしまうのかね。
 7月22日(日)
 午前中、富津市の寺で法事。気温30度を超す猛暑とはいえ、群馬県よりは明らかに低い。日なたで立っていたって我慢できないってことはない。上着を着てないからだけど。老母が入院した頃、足を捻挫した姪は依然として正座できないといい、思いがけぬ重症だったようだ。この姪の厄年は強力だったのか、3代にわたって骨折や捻挫に見舞われた。
 別会場に移ってお斎をいただく。「まためい」2人がすっかり大きくなっていた。上は来年小学生、下は今3歳。見た感じ仲良し姉妹だけど、父親たる甥っ子は「家じゃしょっちゅうけんかしてます」だって。
 夕方、上越新幹線で東京から熊谷へ向かおうとして、先日利用登録したSuicaの「タッチでゴー」(JR東日本管内の新幹線自由席なら在来線同様にスイカだけで乗れるサービス)を使おうとしたら、なぜか自動改札で止められてしまった。やむなく自由席券を別途購入して入ろうとしたら、今度はスイカを受け付けない。どういうことだと改札の職員に丁重に詰問すると、何だかよくわからない説明をしてスイカに記録された購入履歴を一部削除し、「熊谷駅で現金精算してください」ということになった。納得しがたいが、乗りたい新幹線を逃すわけにはいかない。新幹線で車内精算し、スイカで払えた。不思議だね。
 熊谷駅からは太田駅行きのシャトルバスに乗り継ぐ。日暮れ時の熊谷は、日中の千葉よりもずっと暑かった。
 7月23日(月)
 長かった37日間のシーネ生活も今日でおしまい。いつも通り、8時35分太田駅発のバスでイムス太田中央総合病院へ行き、X線撮影で橈骨と尺骨がそれぞれくっついているのを確認し、無罪放免となった。しかし、問題はこれから。何しろ手首が曲がらない。「よく動かさないと、一生曲がらないままになっちゃいますよ」と先生は脅かす。素直に聞いてリハビリに励むのみ。
 太田駅行きのバスを待つ間、トイレで右手の垢を落とす。ま、出るわ出るわ、排水管が詰まったりしないよう、ほどほどでやめておいた。
 快気祝い?ランチは「いきなりステーキ」。夕方、38日ぶりに行った「源泉 湯乃庵」で体重を量ったら、何と73キロ台! 骨折前より3キロほど減っていた。いくら走っても74キロ台後半がやっとだったのに、ゆっくりとよくかんで食べたせいで、食事量が少なくても空腹感を催さなかったのかもしれない。
 左手生活がもたらしてくれた思いがけぬプレゼントだった。

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2018年5月11日 (金)

母の入院

 4月22日(日)

 前橋での代理デスクを終えて午前1時半過ぎに帰宅。8時過ぎに起きたら実家から電話があり、腰痛の悪化した母親が数日間寝たきり状態という。
 楽しみにしていた東京・NHKホールでの「砂の器 シネマコンサート」を見に行くのをやめて急きょ帰省した。一進一退だった自律神経失調症が一挙に悪い方へ進んだようだ。
 大きい病院での診察を姉が強く勧め、母も渋々納得。こちらは些細な家事手伝いをして、明日は君津市役所へ介護サービスの申し込みへ。
 4月23日(月)
 父と共に市役所へ出かけ、担当課で介護保険の申し込み手続きを聞く。申請書をもらって帰宅。この時はそんなものかと思っていたけど、後に埼玉県和光市での地域包括ケアの実態を学び、君津市はいかにもおざなり対応の典型だったと感じた。後は姉と父に任せて太田へ戻った。
 4月26日(木)
 君津中央病院の検査で、母は腰椎を3か所圧迫骨折していたとわかり、GW明けに手術することになった。桃井かおりさんが出ている新聞広告の「いつのまにか骨折」だ。「背が縮んだ感じがする」と母が言っていた時に反応できなかったのが悔やまれる。それにしても、かかりつけの医者は骨粗しょう症予防薬を処方しておきながら、どうしてちゃんと検査することを勧めなかったのだろうか。ヤブと断じざるを得ない。
 5月6日(日)
 
渋滞回避でGW後半2日目の4日に帰省。船橋の旧宅へ風通しに寄ったら、前の職場の後輩K君が亡くなったと知らせがあった。肝臓がんの治療をしながら仕事を続けていたが、病魔には勝てなかったか。
君津に帰省しようとしたら京葉道路が大渋滞。母の見舞いは5日に延期した。

 5日は朝5時前に起床して庭の草むしり。ゴミ袋一杯にとったけど、全体ではまだまだ。洗濯物干し、母の見舞い、父とスシロー、アピタで買い物、ケーズデンキでルンバもどきのパナソニック「ルーロ」購入、でんわ館で母用携帯電話購入、再び見舞い、伝丸で夕食。
 6日朝も5時起きで庭の草むしり。朝ご飯の後、2階は掃除機、1階はルーロで掃除。さすがパナ、騒音はルンバよりかなり小さい。母の見舞い、父と幸楽苑で昼食。
 競馬NHKマイルカップは惨敗。ニュージーランドトロフィーで2着になった時に「これは」と見込んだケイアイノーテックを買わずに勝たれてしまうとは。夕食後、同期の元同僚から様々な情報提供。太田まで2時間12分のレコードタイムで到着。くたびれた。

 5月7日(月)
 太田市内の取材先で毛虫に刺された。車のドアを開いて傘をさした際、近くのスギの木に当たり、その時に落ちてきた毛虫が首にたかっていたらしい。
 それに気づかず、たぶん5分以上、首をはい回りやがった。のどの左側が若干赤くなり、かゆみと時々チクリとした痛みを感じる。毛虫に刺されたのは生まれて初めて。床に払い落とした奴には容赦なく復讐した。

 9日に皮膚科医院で診てもらい、塗り薬をもらう。結果として1か月以上、薬のお世話になった。
 5月11日(金)

 「いつの間にか骨折」の母は、骨折でできた隙間に医療用セメントを注入する手術が無事終了。父も配食サービスの便利さを納得してくれたようだ。家の掃除は「ルーロ」で間に合っているようだし、どうにも負担を減らせないのは洗濯か。
 

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2017年5月 9日 (火)

魔女の一撃

 朝、靴下を履こうと右足を上げた直後、不意に腰から下が外れるんじゃないかと思うような痛みが走りました。「魔女の一撃」とはよく言ったものです。
 すぐに動作を止めたのがよかったのか、元々その程度の症状だったのか、腰回りにいくらか痛みは残っていても歩くことはできます。こうした症状は今年1月の六郷グリーン駅伝の際にもありましたが、今回はいつもより重い気がしたので、出勤前に比較的近くにある「浜町接骨院」に寄りました。
 ここの雰囲気がまた、大きめのラーメン屋というかマクドナルドというか、客が来ればスタッフ一同で「こんにちわ」。マッサージを終えた先生がアルコールとエアーで消毒して「消毒終わりました」と言うと、全スタッフが返事をするといった調子で、流れ作業感が強烈です。実際、同じ患者には同じ先生がずっと担当するようですが、多くの客を効率よくさばくこ1とに重きを置いている気がします。
 こちらとしては、予約とか気にしなくていいメリットもありますが。
 診立ての方は、猫背気味になって一番下の腰椎の隙間が伸びきってしまったために、痛みが走ったのだろうとのこと。机に脚を上げて本を読んだりしていたのがまずかったかな。

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2016年12月19日 (月)

「通し狂言 仮名手本忠臣蔵」

1dsc_0104_11  慌ただしい時期に平日休みが付いていたので、国立劇場で上演中の歌舞伎「通し狂言 仮名手本忠臣蔵」の第三部を観に行きました。
 平日を潰せば後に響くことは百も承知で上京したのはなぜか。この第三部は八段目から十一段目までですが、この十段目が滅多に上演されないので、どうしても観たかったのです。
 プログラムに出ている読み物によれば、戦後70年間に十段目が演じられたのはこれまで4回だけのようです。この調子だと、今回見逃したら生きている間に十段目が上演される機会はないかもしれません。
 「天川屋義平は男でござる」という啖呵は有名なのに、どうして上演されないのか。かつて聞いたところでは、「全体としてあまり面白くないから不評」なんだそうです。観た感想を言えば、そんなことはないと思うのですが。
 十一段目、高師直邸に討ち入った浪士の一人が池に落ちる場面で、かつらが外れてしまうハプニングがありました。10月に桐生市で聞いた素浄瑠璃の会では三味線の糸が切れましたが、今年は何だかハプニングづいていたのかもしれません。
 ちょっとショックなことも。イヤホンガイドのプリペイドカードである「くまどりんカード」が、何と有効期限切れでした。最後に利用してから2年以上たつと無効になってしまうのですが、よもやそんなに使っていなかったとは。確か、あと10回分以上は残っていたはずなのに…。
 公演終了後、大手町の本社内にある診療所に寄り道してインフルエンザの予防接種を受け、太田に戻りました。

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2016年6月13日 (月)

切腹?

 「上意。その方、同僚たちに思いやりをかけることもなく、漫然と勤務ローテーションを作ること3年以上、人心の荒廃極みに達したにもかかわらず、何の手立ても施さずにいるのは、もはや許し難し。市中引き回しのうえ打ち首を申し渡すべきところ、罪一等を減じて切腹申し付ける」…。
 と言われた訳じゃありませんが、腹部にプクッとしたしこり状のものがいくつかできていて、何となく気になったので、職場近いクリニックで診察を受けたら、ほとんどは何の心配もない「脂肪腫」だとの診立てでした。しかし、2か所は押すと若干痛く、「これは血管腫かもしれないから、気になるなら取りましょう」と話が進んでしまって本日、「切腹」と相成りました。
 職場を早退し、近くのクリニックで午後2時から、2か所開いて、計45分程度で終了しました。実にあっさりしたもの。手術の時間より、会計まで待たされたり、処方箋薬局に行ったりする時間のほうが長かったのでした。
 本当はオペ室とか期待していたのに、診察室に入ると「じゃ、上半身裸になって、そこのベッドに仰向けになって」だと。局所麻酔だし、点滴もないし、多少は現代的だったのは「電気メス」だけ。とはいえ、除去した血管腫らしきものはピーナッツ半分くらいのサイズかと思っていたのに、それよりは大きくてちょっとびっくり。
 来週、抜糸する時には病理検査の結果も出ているそうですが、まず無罪放免なのが普通みたいです。

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2016年5月21日 (土)

今ごろ花粉症?

 朝から雲一つない晴天。土曜恒例のLSDは、予定していた大周回コースだと日焼けがひどくなりそうなので、先週に続いて木陰の多い長津川親水公園で6時40分から。キロ7分20秒前後のペースを保って計20キロを2時間27分で走り終えました。
 この時は大丈夫だったのに、昼前になかお鍼灸接骨院へ向かう際はくしゃみを連発し、着いた途端にティッシュを借りたほどです。治療中も鼻水が止まらず、先生に「風邪ですか」と心配される始末でした。
 帰宅してからもくしゃみは止まらず、この春はほとんど飲まず終いだった小青竜湯を服用して鼻水はやや治まったものの、くしゃみの方は夜まで続きました。
 大阪にいた当時、この時期にヒノキの花粉症に悩まされたことがありましたが、今回もそうなのかな~。
 昼食の後、東武百貨店で開かれている宮城・山形物産展をのぞいてみたら、「きぶどうジュース」が売られており、一杯(220円)いただく。もう20年も前、盛岡にいた当時に「山のきぶどう」というジュースにハマったことがありましたが、同じ味です。
 販売している宮城県の田所商店の方に尋ねると、きぶとうのジュースを生産しているのは岩手県久慈市の佐幸本店とこの店の2軒だけだとのこと。あれこれと話すうちに乗せられてしまい?、天然ものの山ぶどうジュース6本入りの箱を実家に送って、自分用に栽培ものの山ぶどうジュースを購入してしまいました。滋養が豊富な分、高いけど、ワインなんかに比べればかわいいもの←浪費の言い訳としては月並か。

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2016年4月23日 (土)

朝ラン再開その他

 2週間ぶりにランニングを再開。といっても、1時間で8キロとLSDペースの足慣らしです。
 昨年12月の風邪が長引いたせいで、館山若潮マラソンを1週前の30キロLSDだけで走った反動だったのか、腰の疲れがなかなか抜けず、左足は足底筋膜炎になってしまい、思い切って走るのをやめてみました。
 腰痛は腹筋と背筋の強さのバランスが崩れると起きやすいといわれます。コナミスポーツに通っていた頃はボディパンプやボディアタックなどの全身運動をやっていたのに、プレオン船橋に代わってからエクササイズに参加したのはたった1度だけ。通勤時の歩行距離も激減しており、こうした緩みが体に響いた原因に思えてきました。
 そこで、朝は雨降り以外は船橋駅までの徒歩通勤を復活し、木曜日だけですがボディパンプに参加することにしました。まあ、この程度でも積み重ねればそれなりにプラスになるのではと、甘い期待を寄せています。
 関係ないけど、この春、スギ花粉はそれなりに飛散していたのに、花粉症対策の漢方薬「小青竜湯」を服用したのは2回だけでした。鼻水やくしゃみなどの症状はあるにはありましたが、薬が必要だと思うほどではなく、ひょっとすると若干の体質改善があったのかもしれません。思い当たることといったら、定期的な鍼灸治療だけですが、その影響かどうかは何とも自身がありません。

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2016年2月 6日 (土)

虫歯にあらず

 久しぶりに早起きしなくてもいい土曜日の朝…のはずでしたが、7時過ぎに起床。これだから年を取ると嫌ですが、休日を存分に満喫するのも悪くはありません。
 午前中は今週2度目の鍼灸治療がメーンイベント。練習不足でマラソンを走った割には脹脛のダメージがあまりなかったものの、火曜日に鍼灸治療を受けたら、体の左側が歪んでいて、お尻の形が左右で違っているのが一目でわかるほどだという。マッサージされると、確かに痛い。
 このため、今週は完全休養して、もう一度鍼灸治療を受けることにしました。もちろん、前回より状態はマシになってはいましたが、先生は練習再開のゴーサインを明確に出してはくれません。来週の多摩川ロードレース出走も「10キロならね…」と、消極的な反応でした。ずっと担当してもらっている先生の言葉だけに、ここは自重が必要なのかも。
1dsc_0030_11  お昼に「まるは」で海老そば(=写真)を食べた後、東武百貨店で再び「らん展」を鑑賞してから、冬物最終バーゲンで「23区」のカジュアルコートを買う。物持ちが良すぎるせいで、コート類は相当色褪せてしまうまで着続けてしまう癖があります。「23区」を選んだのは、同百貨店内の数あるショップを見回った結果、ダブルファスナーを採用しているコートを売っていたのがここだけだったからでした。尋ねれば他のショップでもあったのかもはしれませんが。
 一旦帰宅。ケーブルテレビの電波受信状況検査が回ってくるのを待つ。17時半に歯科診療の予約を入れていたので、17時には外出しなければならないのに、なかなか来ない。16時半にようやく来て、形通りの検査でOKが出たので、予定通りに外出。
 数週間前、下の歯の1本が歯茎との境目が茶色くなっているのに気づき、虫歯だったら嫌なので診てもらうことにしたのです。結果は、虫歯ではなく、茶渋が付いてしまっただけとわかり、ひと安心。
 この後、2週続きで帰省。扶養家族である母親のマイナンバーを勤務先に伝えるため、「共通番号カード」をいちいちスマホで撮影しなければならないためです。面倒ばかりが増える感じです。

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2015年12月19日 (土)

思わぬPM2.5騒ぎ

 朝、起きてBS1のニュースを見ると、きのう(18日)に船橋市の沿岸部にある廃材置き場で発生した火災がまだ鎮火しておらず、しかもその煙のせいなのか、周辺地域の一部でPM2.5の濃度が「不要な外出は控える」レベルに上がったと報じていました。
 火災現場の北西にあるわが無頼庵の周辺は心配なさそうですが、昨夜は市川市行徳地区で濃度が高かったといい、風向き次第ではどうなるのかわかりません。予定していた外でのランニングは見合わせ、プレオン船橋のトレッドミルで走ることに。
 今月初めから、どうも右膝に違和感(ってほどではないものの、何もない訳でもない)があり、今日も走っている途中に若干、感じました。そのうち忘れちゃったけど。
 予約していた鍼灸治療の際、先生に相談すると、今回は右膝に鍼とお灸を施すことに。先生は、「右太もも前側の筋肉が凝っており、ストレッチを念入りにやってみてください」とアドバイスしてくれました。
 虚を突かれる思い。そう、アキレス腱やふくらはぎ以外のストレッチはかなりサボっていたのです。職場のランニング師匠も確か、ストレッチで膝痛が回復したと言っていたっけ。
1dsc_1921  原因らしきことがわかって安心し、船橋駅南側・本町通り沿いの「海老そばまるは」で海老炒飯とミニワンタンをいただく。エビの香りが強いのは好みが分かれるかもしれませんが、僕は好きな方。ただ、衣服ににおいがかなり残るのは如何ともしがたいです。
 午後は年賀状作成のはずが、できたのは結局、両親に頼まれた分だけ。年に一度しか使わない年賀状作成ソフトなので、毎年、使い方の勉強し直しなんだよな~。来年からは外注に戻すか。
1dsc_1925 オンシジューム・トゥィンクルもだいぶ蕾が膨らんできました。このくらいの段階が一番、楽しい。

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2015年8月24日 (月)

右目がかすむ原因は…

 仕事で年中、白い紙にプリントされたゲラ刷りに目を通すのですが、この1~2年くらい、たまに文字の一部がかすむというかぼやけるというか、そんな現象に悩まされています。片目ずつで見ると、悪いのは右目の方だとわかります。
 幼少時から飛蚊症で、15年以上前から、飛んでいる「蚊」(というか糸くず状のもの)が何となく太くなった感じがあり、この「蚊」が文字に重なるとぼやける気がします。
 病気だと嫌なので、眼科で診察してもらいました。眼球の状態、眼圧や視力の測定などを経て、先生から告げられたのは…。
 「老眼ですね」
 超ド近眼のせいで気付きにくかったのですが、53歳ならなっていて当たり前。勤務先近くの眼鏡屋さんの割引券を渡されておしまいでした。
 眼球そのものは全く異状がないとのことで、こちらは一安心です。

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