2008年7月 3日 (木)

アクロス福岡

 出張先で読んだ毎日新聞に「博多のビルで飛び降り騒ぎ 」という記事が出ていた。
 前日2日の昼過ぎに、ビル12階のひさしに女性が立っているのを見つけ、消防署員らが必死に説得して救助したという話。現地の新聞は写真付きだったが、窓の下に取り付けられている幅1mもないようなひさしに、お騒がせ女(顔はモザイク処理)が座っていた。
 「いったいどうやったらこんな所に出て行けるんでしょうかねぇ」と地元の人に聞くと、「ああ、あのビルは階段状になっていて、外からだって入り込めるんじゃないかな」と、当然のように言う。
 そんな危なっかしい建物ってどんな具合なのか。仕事帰りに、現場であるアクロス福岡 を見に出かけた。
080703
 これが建物を南側から見た様子。確かに各階のひさしは梯子でつながっており、外から上って行けないことはない。毎日新聞西部本社はこのビルの真向かいだから、あんな臨場感のある記事を書けるわけだ。
 それにしても、屋上緑化とかもてはやされだしたのはここ数年のことだけど、13年も前にできたビルで実現していたとは先進的。建築物としての評価には、この通り 消極的なものもあるようですが。

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2006年8月 2日 (水)

吉村昭氏逝く

 8月2日(水)
 今朝の新聞に、前回の日記「長英逃亡」の作者である吉村昭氏と、社会学者の鶴見和子氏の訃報が掲載されていました。謹んでご冥福をお祈りします。
 岩手県と大いに縁の深いお二人の訃報が、同じ日の新聞に掲載されているのを見て、妙な縁のようなものを感じずにいられません。そして長英も岩手・水沢の出身。
 鶴見和子さんのお父上は戦後、厚生大臣を務めた鶴見祐輔氏です。その祐輔氏の岳父が、戦前に内相や外相、東京市長などを歴任し、「ボーイスカウトの父」とも呼ばれた後藤新平。実は、高野長英は後藤新平の大伯父です。
 前回、司馬遼太郎が長英を先覚者として高く評価していたことに触れましたが、後藤新平が関東大震災後に構想した東京復興計画は縮小を余儀なくされたものの、その通りに実現していれば今日の道路渋滞もだいぶ緩和されていたとさえ言われるほど、先見性に満ちていました。鶴見和子さんが弟の哲学者・俊輔氏らと戦後に創刊した「思想の科学」の先進性については、各紙の訃報や評伝で評価されている通り。
 先覚者の血筋ってのもあるんでしょうか。
 「長英逃亡」では、長英の幼名が「悦三郎」とあり、ひょっとして同じ水沢出身の政治家・椎名悦三郎氏も何か関係があるのかと思って調べてみたら、椎名家は長英と縁続きだとのこと。椎名悦三郎氏は後藤新平の甥で、新平の姉の婚家である椎名家の養子になったんだそうです。戦前の朝鮮支配を「深く反省する」との文言を入れて、難航していた日韓基本条約を巡る交渉を外相としてまとめた悦三郎氏も、やはり先見の明を感じさせる人です。
 一方、吉村昭氏は、岩手県田野畑村の名誉村民でした。吉村氏が太宰治賞を受けた「星への旅」は、田野畑村の断崖からの眺めから受けた直観から創作されたといい、「田野畑が作家としての原点」と語っていたそうです。田野畑村と関係のある作品も幾つかあります。
 「長英逃亡」は、氏があとがきで記している通り「ふぉん・しいほるとの娘」の執筆中、長英に関する史料に接したことがきっかけとなって書かれた小説です。しかし、長英の故郷である岩手県と深い縁ができていたことも、長英についての感心が深くなるのに影響していたのではないでしょうか。

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