2018年6月 9日 (土)

つながりの会

 ようやく朝ランを再開、といっても通常コースを一回り7キロ弱でおしまい。
 午後から六本木の国際文化会館で「つながりの会」に出席するため、バスで熊谷に行き、湘南新宿ラインで上京しました。渋谷方面に行く時は、上越新幹線よりこちらのほうが楽だし時間も大して変わりません。
 朝ランのせいで眠かったのでグリーン券を購入。ところが、やって来た電車を見てびっくり。グリーン車がほぼ満席じゃないですか。辛うじて一人分空いていたので座れたけど、立っている乗客が結構いました。総武線じゃ通勤時間帯を除けばグリーン車満席なんて見たことがなかったのに。
 六本木に着いて、まずは腹ごしらえでチェーン店らしきスパゲティの店へ。改めて群馬県のスパゲティはレベルが高いと感じました。東京のチェーン店には味、量、値段すべて完勝でしょう。
 「つながりの会」とは社会学者・加藤秀俊先生と縁のある人々の集まりです。今回は古市憲寿氏も参加していて、「あぁ、彼がテレビなんかでよく見る人か」なんて思っていました。出版されたばかりの加藤先生の本について感想を語り合う会なのに、恥ずかしながら読まずに来てしまったため、下を向いているばかり。宿題を忘れて先生に当てられないことを祈っている時と同じ状態でした。
 会の後半は重森三果さんの新内節を聴かせていただきました。確か10年ほど前、京都で開いたFBUNKAのオフ会以来でしたが、声が低くなったというか太くなったというか、記憶の中のイメージと全然変わっていてびっくりしました。修業を積まれた成果なのでしょうか。
 終了後、東京・八重洲で、同期の親友E氏と一杯。近々、「終活」関連のベンチャー企業を設立するという。仕事生活の締めくくり方は分かれたけれども、成功を期待したい。

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2018年5月11日 (金)

母の入院

 4月22日(日)

 前橋での代理デスクを終えて午前1時半過ぎに帰宅。8時過ぎに起きたら実家から電話があり、腰痛の悪化した母親が数日間寝たきり状態という。
 楽しみにしていた東京・NHKホールでの「砂の器 シネマコンサート」を見に行くのをやめて急きょ帰省した。一進一退だった自律神経失調症が一挙に悪い方へ進んだようだ。
 大きい病院での診察を姉が強く勧め、母も渋々納得。こちらは些細な家事手伝いをして、明日は君津市役所へ介護サービスの申し込みへ。
 4月23日(月)
 父と共に市役所へ出かけ、担当課で介護保険の申し込み手続きを聞く。申請書をもらって帰宅。この時はそんなものかと思っていたけど、後に埼玉県和光市での地域包括ケアの実態を学び、君津市はいかにもおざなり対応の典型だったと感じた。後は姉と父に任せて太田へ戻った。
 4月26日(木)
 君津中央病院の検査で、母は腰椎を3か所圧迫骨折していたとわかり、GW明けに手術することになった。桃井かおりさんが出ている新聞広告の「いつのまにか骨折」だ。「背が縮んだ感じがする」と母が言っていた時に反応できなかったのが悔やまれる。それにしても、かかりつけの医者は骨粗しょう症予防薬を処方しておきながら、どうしてちゃんと検査することを勧めなかったのだろうか。ヤブと断じざるを得ない。
 5月6日(日)
 
渋滞回避でGW後半2日目の4日に帰省。船橋の旧宅へ風通しに寄ったら、前の職場の後輩K君が亡くなったと知らせがあった。肝臓がんの治療をしながら仕事を続けていたが、病魔には勝てなかったか。
君津に帰省しようとしたら京葉道路が大渋滞。母の見舞いは5日に延期した。

 5日は朝5時前に起床して庭の草むしり。ゴミ袋一杯にとったけど、全体ではまだまだ。洗濯物干し、母の見舞い、父とスシロー、アピタで買い物、ケーズデンキでルンバもどきのパナソニック「ルーロ」購入、でんわ館で母用携帯電話購入、再び見舞い、伝丸で夕食。
 6日朝も5時起きで庭の草むしり。朝ご飯の後、2階は掃除機、1階はルーロで掃除。さすがパナ、騒音はルンバよりかなり小さい。母の見舞い、父と幸楽苑で昼食。
 競馬NHKマイルカップは惨敗。ニュージーランドトロフィーで2着になった時に「これは」と見込んだケイアイノーテックを買わずに勝たれてしまうとは。夕食後、同期の元同僚から様々な情報提供。太田まで2時間12分のレコードタイムで到着。くたびれた。

 5月7日(月)
 太田市内の取材先で毛虫に刺された。車のドアを開いて傘をさした際、近くのスギの木に当たり、その時に落ちてきた毛虫が首にたかっていたらしい。
 それに気づかず、たぶん5分以上、首をはい回りやがった。のどの左側が若干赤くなり、かゆみと時々チクリとした痛みを感じる。毛虫に刺されたのは生まれて初めて。床に払い落とした奴には容赦なく復讐した。

 9日に皮膚科医院で診てもらい、塗り薬をもらう。結果として1か月以上、薬のお世話になった。
 5月11日(金)

 「いつの間にか骨折」の母は、骨折でできた隙間に医療用セメントを注入する手術が無事終了。父も配食サービスの便利さを納得してくれたようだ。家の掃除は「ルーロ」で間に合っているようだし、どうにも負担を減らせないのは洗濯か。
 

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2018年4月 1日 (日)

「織田信長と上野国」

 連休なので、思い立って新潟県境近くの猿ヶ京温泉へ遊びに行くことにしました。まずは群馬県立歴史博物館で開かれている企画展「織田信長と上野国」を見に高崎市へ。
 先日、上野三碑を見に行った時に初めて気づいたのですが、この博物館は国道354号バイパスからそう遠くありません。おととし12月に放送大学の面接授業で出かけた時は、高崎市といってもどこなのかさっぱりわかりませんでしたが、太田からバイパス一本で近くまで行けるとは驚きでした。
 企画展のタイトルは信長ですが、実際の主役は上野国に派遣された滝川一益です。司馬遼太郎の小説などでは、本能寺の変で信長という後ろ盾をなくした一益は北条軍に打ち負かされてほうほうの体で上方へ逃げ帰り、いっぺんに老けたとされています。
 残された書状などでは若干、事情が異なっていたようです。本能寺の変を知っても一益は動揺した様子を見せておらず、北条軍と激突した神流川の合戦も初日は滝川勢の勝ち、二日目はコテンパンにやられたとのことでした。
 もう一つ、一益は清須会議に間に合わなかったというのも以外でした。
 一益関連の資料はあまり多くないようで、展示は少々物足りません。面白かったのは、企画展入り口で「どの俳優が演じた信長がイメージに合うか」の人気投票を行っていたこと。直近の市川海老蔵が一番人気でしたが、僕は「国盗り物語」の高橋英樹さんに一票を入れました。

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猿ヶ京温泉

 歴史博物館を出た後、前橋へ向かおうとすると「絶品スープスパゲティー」といった看板につられてその店に入る。戸を開いた時にやめればよかったのだが、つい奥まで行ってしまった。どうもゲーセンだかパチンコ屋だかの食堂が一般客も迎え入れているようだった。
 仕方なくナポリタンを注文。待たされる、音はうるさい、タバコの臭いがすると最悪だったけど、出てきたナポリタンは540円としてはなかなかの出来。パスタの街・高崎侮るべからず、でした。
 前橋支局に書類を置いて一路、猿ヶ京温泉へ。子供の頃、父の実家がある現在の新潟県十日町市へお盆に帰省する時は、一家四人でマイカー利用。エアコンのない時代だったから、暑さと渋滞をいくらかでも避けるため、夜中に車を走らせて田舎へは朝に着く旅程でした。
 子供だったから車の中ではほとんど寝ていましたが、父はたいてい猿ヶ京温泉のドライブインで未明に休憩しました。母方の祖父も同行した時、ここでエビフライ定食をごちそうになったのが忘れられない思い出です。それで猿ヶ京にこだわっているのです。
 昔はなかった関越自動車道の月夜野インターで下り、昔と同じく国道17号を北へ。猿ヶ京温泉の旅館「湖城閣」には15時頃に到着しました。
 日曜日なので客は少なく、大浴場や露天風呂もほぼ独占状態。混浴の樽風呂なんてのもありましたが、この日は女性客がいなかったので気楽でした。
 夕食は上州牛のすき焼きがメーンでしたが、あいにくとそれほど印象には残らず。

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2018年3月17日 (土)

北海道物産展

 2か月半ぶりに帰省。太田へ戻る途中、本社の診療所に寄り道する予定なので、今回も電車です。
 船橋の旧宅で風通しなどをした後、東武百貨店船橋店でこの時期恒例の北海道物産展をのぞく。デパートのない太田では、イオンあたりで駅弁大会があるのがせいぜいで、いろいろな食べ物を選べる物産展は貴重です。
 両親の夕食用に豊平館のステーキ弁当を購入。ミニサイズと普通サイズの価格差が300円ぐらいなのはなぜだろう。ミニが高級肉なのか、普通サイズがお得なのか。毎度のことながら、北菓楼のおかき数種類も買って帰り、両親には喜んでもらえました。

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2018年3月10日 (土)

上野三碑めぐり

 あす11日は高崎市で行われる「はるな梅マラソン」に出走し、終わった後は梅林めぐりでもしようと思っていたら、「3・11」取材を免れることはできず、太田へとんぼ返りすることになりました。ゼッケン受け取りが当日朝なのを考えると、前泊するに越したことはありません。
 となると、前日の今日、何かそれらしいことをしたいもの。伊勢崎のシャンゴで昼食をとりつつ、生「上野三碑」を見に行こうと思いつきました。
 「上野三碑」とは高崎市にある「多胡碑」「山上碑」「金井沢碑」のこと。いずれも7~8世紀の石碑で、漢字で仏教の広がりや先祖の追善などが記されています。
 何と2017年10月、世界記憶遺産に登録されたばかりですが、その道に詳しい人と群馬県民以外には知られていないんじゃないかと思います。僕自身、「三碑」の存在は知っていても、個別の名称はちゃんと言えませんでした。
 地図を見ると、三碑は車で1時間もあれば回れそうな場所にあります。まず、カーナビの電話番号検索で多胡碑記念館へ。三碑そのものはいつでも見学可能ですが、ガラス越しになります。今の時期だけ、ガラス戸を開いて公開しているのが貴重なチャンスというわけです。
1img_20180310_203445  結局、到着が16時を過ぎてしまった3か所目の金井沢碑だけ「生」でのご対面を果たせませんでしたが、三碑の由来を知ることができてよかったと思います。
 宿泊はアパホテル高崎駅前。大浴場があるのはいいとして、アパホテルのシングルってこんなに狭かったっけという印象です。セミダブルベッドで寝心地はよかったけど、ゴロゴロ付きのスーツケースなんか持っている人には辛い感じです。
1dsc_0611  夕食は高崎オーパ内の「からあげセンター」で「山賊焼き定食デラックス」。ミニラーメン付きということでしたが、ミニどころか十分、普通サイズでした。量が多すぎて、明日のレースに差し支えると思われるほど。

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2018年2月18日 (日)

判断ミス

 京都駅で鱧寿司を買って新幹線内でいただき、東京に着くまでの間、ちょっとはまどろんだのですが、いざ下車しようと立ち上がった時、両膝が固まったようになっていて驚きました。やっぱりフルマラソンは甘くありません。
 上越新幹線で熊谷まで行くのに、東京都内までの乗車券を持っているから、「特急券だけ買って下車の際、精算すればいいだろう」と思っていたら、自動改札ではねられてしまった。仕方なく窓口で乗車券を買い直したため、乗ろうとしていた列車の発車時刻が過ぎてしまった。次の列車も熊谷に止まるのでラッキーと思ったら、雪の影響で当初乗ろうとした列車も遅れていた。しかし、ホームが違うから疲れた脚で重い荷物を持って階段の上り下りをするのは嫌だなと、次の列車にそのまま乗ることにしました。
 これが判断ミス。時刻表通りなら、この列車でも熊谷駅から太田駅に行くバスに余裕で乗れますが、やはり雪の影響で遅れたため、熊谷駅到着時に「あと3分しかない」状態でした。
 疲れた体に鞭を打ってバス停に向かい、太田行きバスの運ちゃんに後方から手を振って合図したのに、気付かなかったのか無情にも出発してしましました。次のバスまで50分ほど待つため、駅構内のラーメン店で台湾ラーメンと炒飯を食べて時間つぶし。可もなく不可もなしでした。

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2018年2月17日 (土)

京都マラソン前日輸送

 関西関係の記事はこちらで。

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2018年2月 6日 (火)

また草津~計6日目

 今日からまた草津白根山の噴火警戒要員で出張。装備はバッチリだから余裕だぜと、改めて新聞の天気予報欄を見ると、草津には雪マークが続いているじゃないですか。
 前回は初日こそ吹雪だったけど、2日目からは晴れていたのでそれほど苦労はしませんでした。噴火からはずっと雪が続いていたといい、その苦労がしのばれたものです。
 午後から車で草津町に向かうと、たまに雪が降る程度で実際はほぼ晴れでした。宿泊先も同じホテルです。町役場の報道控室がなくなって仕事場所に困っていた後輩(前回とは別人だが同姓)に部屋の机を提供し、一緒だと鬱陶しいだろうと僕は堂々と大浴場に向かいました。
 ついに、明るいうちに草津温泉に入れたのです!
 朝風呂オンリーだった前回、さすがに寒くて露天風呂には出られませんでしたが、その「夢」も果たせました。このホテルの露天風呂は結構深くて、小柄な人だと入るのが大変な感じです。
 部屋に戻ると、後輩の仕事もほぼ終わっていたので夕食に誘う。すると、「生姜焼き定食がお薦めの店があります」と好反応。警察官に教えてもらったという「暖(だん)」に早速行ってみました。
1dsc_0582  出てきた「生姜焼き定食」を見てびっくり。普通は肉が平べったいのに、厚さが2センチはありそうだったのです。ポークステーキとかトンテキと呼ぶ方がふさわしい感じで、1500円は結構お得感がありました。店は2階にあって湯畑の眺めもよく、すっかり観光客気分を味わったのでした。

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2018年1月30日 (火)

草津4日目

 本白根山の噴火から1週間。現地に近いロープウェーの駅には先輩と後輩が行き、僕は役場で、それぞれ黙とうを捧げる取材をして夕刊に出稿。こちらは屋内だからいいけど、現地は相当寒くて大変そうでした。当初、現地は後輩一人に任せるつもりだったのを、先輩が「俺も行ってみたい」と言い出してこうなったのですが、現場の空気みたいなものを感じられる場面が少ないだけに、ここも先輩に一本取られた気がします。
 問題の「震災1週間」は全国版に堪えられる内容にならず困っていたのを、デスクが「ロープウェー廃止方針でいったらどうか」とアドバイスしてくれました。なるほど、これならニュースだし、書くための材料もそろっています。それにしても、こちらは行き詰っていたのに、次の手を考え出せるデスクは、年次は下ながら大した奴です。
 夕方の町長ぶら下がり記者会見で、先輩に誘導質問をしてもらうと、町長も「今ここで廃止とは言えないが、重い決断をせざるを得ない」と十分な答えをしてくれ、朝刊記事はあっという間に出来上がりました。チェックは残っているとはいえ、夜は3人で近所のイタリアンレストランで懇談し、疲れをいやしました。

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