2019年2月 3日 (日)

映画「陸軍前橋飛行場」

 決してサボりではなく業務の一環として、太田市薮塚本町文化ホールで上映された「陸軍前橋飛行場」を観ました。
 公開されたのは昨年8月下旬でしたが、太田市での上映は今回が初めて。現在、イオンモール高崎がある辺り、旧群馬町だった高崎市堤ヶ岡地区に戦時中、陸軍が前橋飛行場を突貫工事で建設し、ここから戦争末期には特攻隊員が飛び立ち、最後には米軍の爆撃を受けたとのこと。近在の僧侶が当時つけていた日記のうち、私的な部分を除いた「村日記」をまとめており、その記述と往時を覚えている住民たちの声に基づいたドキュメンタリーです。
 上映は午前10時半から。前売り券を持っていなかったので、朝のうちに買い物とルンバでの掃除を済ませ、会場には10時頃に到着。当日券の購入は一番乗りだったようで、いささか拍子抜けしました。もうちょっと関心を持たれていると思ったんだけどな~。
 そこそこ席は埋まっていたものの、57歳の僕より若い人がいたのかどうか。終了後、飯塚俊夫監督が「前橋飛行場を知る人たちが高齢化し、その証言を今記録して将来に残したい」といった話をしていましたが、「この映画を観ていた人たちも遠からずお迎えが来てしまうのでは」と、失礼ながら暗澹たる気分にさせられたのでした。午後の回に、少しは若い人たちが来ていてくれていたらいいのですが。
 太田市(当時は太田町)や大泉町(同小泉村)にあった中島飛行機の工場が空襲を受けた話も出てきました。知識としては知っていても、米軍が撮影した写真を見たり、体験者の証言を聞いたりすれば、70年以上前の恐怖をいささかなりとも感じずにはいられません。こちらは戦争なんかやる気がなくたって、危なっかしい近隣諸国が変なちょっかいを出して来たら、愚かしい惨事が繰り返されてしまうのでしょうか。
 厭な想像ばかりが膨らみましたが、機会があれば多くの人がこの映画を見てくれることを願わずにはいられません。

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2019年1月24日 (木)

慰労会

 新年連載の慰労会をやろうと、前橋から取りまとめ役のOさんが太田へやって来て、わが支局で頑張ったN君と3人で太田駅南口の「鳥陣」で一杯。
 この面子で昨年11月、やはり太田で打ち合わせがてら飲みに行こうとしたのが「鳥陣」でしたが、月曜定休だったため、行き当たりばったりで近くの「おかめ」なる店に突入。何の期待もなかったけど、「1000円で3品選べる」というシステムだったので、3人で9品選んで適当に飲み、大いに満足したのでした。 

 といって、今回も「おかめ」というわけにはいかず、「鳥陣」となったのですが、お二人には十分に満足していただけて良かった。決して安くはないけれど、価格なりにおいしい店なので、無茶飲みする手合いでなければとても楽しめるのです。
 前橋で歓送迎会があっても、車ででかけることが多いから飲酒の機会は少ない。まあ飲める量が知れているから、飲酒したからといって何が変わるわけではないけれど、若い人たちの仕事にまつわる不満とか考えとかをなかなか聞けないのも確か。気楽にメシでも食べられるといいんだけど、年寄りとじゃ気づまりなんだろうな~。

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2019年1月20日 (日)

第3回ちよだ利根川おもてなしマラソン

 太田市から見ると南東の利根川沿いに位置する千代田町で開かれた10キロのレース「ちよだ利根川おもてなしマラソン」に出走しました。
 目標はネットで54分切り。結果は55分台後半と、昨年より一段と遅い不本意なタイムでした。グリーン六郷駅伝が昨年より遅かったんだから、距離が倍の大会でタイムが縮まるはずはありません。
 あえて言い訳をすれば、この大会の「おもてなし」が良過ぎた点にあります。10キロのレースだと、途中に給水ポイントが1か所なのがほとんどです。本大会はそれが2か所のうえ、給食サービスまであったのです。去年は給食、なかったような気がするけど、そうだとしたら一段と「おもてなし」が良くなったと言えます。
 しかも、そこで配布されたイチゴがおいしいこと。グリーン六郷駅伝のために上京した折、久し振りに東京駅構内の「果実園」でストロベリーパンケーキ(何と1400円也)をいただいたのですが、率直に言って「果実園」のイチゴよりおいしいという信じ難いレベルの味でした。
 最初の給水ポイントで不覚にもイチゴを1粒落としてしまって落胆したのですが、2か所目にもイチゴがあり、それを味わっていてロスしたタイムは10秒以上あったと思います。
 大勢に影響はありませんけど。
 終了後、豚汁のサービスに塩おにぎりが加わりました。こちらは冷たいせいもあってイマイチだったかな。でも、軽食として十分だったし、またしてもイチゴを1粒いただけたので大いに満足しました。参加賞は大きな白菜など。

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蘭展のはしご

 マラソン会場から太田市の「源泉湯乃庵」に直行して汗を落とし、荷物を自宅に置いて午後は前橋市と高崎市で開催されている二つの蘭展を見て回りました。
 本当はシャンゴ伊勢崎店で冬季限定のパスタをいただきたかったのですが、時間がもったいなかったのと、豚汁+おにぎりで全くの空腹でもなかったことから、シャンゴは寄らないことに。
 前橋市の岡田蘭園は新聞の記事を読んで初めて訪ねたのですが、種類などは実に見事ながら、あまり素人や初心者には向いていない雰囲気でした。一回りして即退散。狭いのはさることながら、初めての客が寛いで眺められる空気づくりを望みたいものです。
 そこへ行くと、高島屋高崎店で毎年この時期に開かれる「群馬洋らん展」は、デパートが会場であることもあり、気軽にのぞくことができます。船橋でもそうでしたけど、ここでも愛好家さんたちが丹精込めた見事な花に見とれるばかりで、形がめちゃくちゃになってしまったわが家の鉢とは比べようもありません。
 太田市に引っ越して以来、胡蝶蘭を2鉢とも枯らしてしまったので、今回は黄色い花がきれいなカトレヤ「フェアリーランド」を購入。高島屋から外へ出たらにわか雨で、東の空に完全なアーチ形の虹が見えました。

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2019年1月 1日 (火)

有馬記念から元日まで

 12月22日(土)
 連休2日目、午前中は外を走るつもりだったけど、曇ってきたのでジムのトレッドミルで10キロ。暖房が効いていて夏場より暑いくらいだった。終了後は併設の「源泉 湯乃庵」で冬至の柚子湯に入る。お昼過ぎだったので、柚子の香りを十分に満喫しました。夜は開成馬券師とLINEで有馬記念の検討。

 12月23日(日)
 時間をかけてあれこれ考えた有馬記念は、1番人気レイデオロとジャパンカップ2着のキセキを軸にした3連複を中心に勝負したのですが、惨敗。罰走に出る代わりに普段、ほとんど使っていない住宅2階の掃除と年賀状の宛名印刷を済ませた。宛名印刷は罰感ゼロだけど。

 12月24日(月)
 デスク代理で前橋へ行く前に北関東道太田強戸PAで昼食と帰省土産のお買い物。ニンニク焦がし醤油ラーメンをいただいたけど、次に食べることはないだろうな。ここはやっぱり上州麦豚のトンテキに勝るものはないのだろうか。
 デスク代理といってもやることはあまりなく、仕事関係の年賀状書きに時間を使う。

 12月25日(火)
 外国人材の共生策を政府が決めたことを受け、地元首長の反応取り。たぶん年内最後の仕事らしい仕事。
 12月26日(水)
 業務の合間の年賀状書き終了。ついでに洗車も済ませた。風は吹いていたけど、気温が多少なりとも高い日中じゃないとやる気が起きないし。
 12月27日(木)
 お昼は伊勢崎市のベトナム料理店で連載用写真撮影。フォーや生ココナッツミルク(実に穴をあけてストローで飲む)その他をご馳走になってしまったうえ、「ベトナムの菜っ葉の漬物」(正式名はわからないけど、とにかく自分好みの味です)を持ち帰りでいただいてしまった。このお礼に次の夏、サクランボを贈ることにしよう。事務を処理して世間より一日早く、個人的には仕事納め。

 12月28日(金)
 部屋掃除、洗濯、ゴミ出し、その他に手間取って、太田を午前10時過ぎに出発。船橋の旧宅には正午過ぎに到着した。引っ越して以来、年に一度のベランダ掃除。今年は台風襲来が多かったせいで、汚れ方がとりわけひどい。午後2時過ぎに片づけた後、ホープフルSで勝負するため中山競馬場へ出撃するつもりだったけど、風が冷たすぎて断念。さっさと君津の実家へ帰った。そのホープフルSは珍しく的中。焼け石に水でも終わり良ければ総て良し。

 12月29日(土)
 帰省仕事初日は窓掃除。足腰が弱くなった老親に代わり、1・2階の窓をすべて拭く。お腹が空いたとはいえ、前夜の残りのカレーを2杯食べたのは失敗でした。夕方のジョギング中になっても催してしまいそうで、予定していた10キロを7キロで中止するはめに。

 12月30日(日)
 帰省仕事2日目は室内清掃。1階は普段、ルーロでそれなりに掃除をしているものの、使ってない2階の掃除機がけ、階段やフローリングのクイックルワイパーがけをやった。しかし、クイックルワイパーで取れるほこりや髪の毛の量には限界があり、結局1階各室も掃除機がけ。夕方のジョギングは12キロ。

 12月31日(月)
 3日目は1・2階洗面所のオキシ漬け。時間はかかるけど、汚れ落としは楽で確実だからいい。姪がお節料理を届けに来てくれたので、1日早いけどお年玉をあげた。夕方のジョギングは14キロ。不完全ながらビルドアップ走の形になったのはよかった。
 テレビ東京の「懐かしのメロディー」的な番組(正式名称失念)に中村雅俊や太田裕美が出ていて、曲は1970年代後半から80年代にかけてが中心。紅白歌合戦よりよほど馴染みやすい。ってことは即ち、自分が高齢者の仲間入りしているのを無意識に認めているのだろうか。
 今夜に限れば、最大の楽しみはメイウェザーと那須川天心の対戦でしょう。1ラウンドでメイウェザーがノックアウト勝ちでしたが、この時間帯の視聴率は紅白にかなり迫ったのでは。

 1月1日(火)
 新年あけましておめでとうございます。最後の仕事は浴室のオキシ漬け。洗い場の方は排水口の栓(ポリ袋に水を入れた代用品)が少々甘く、3時間ほどでほぼ流れてしまったミスはあったものの、汚れ落としは問題なく終わった。
 ニューイヤー駅伝、群馬県で働くようになったおととしから見るようになったけど、青学一強の箱根駅伝よりレースはずっと面白い。
 夕方のジョギングは11キロ。途中、300段超の階段を上って人見神社で初詣。去年は行かなかったけど、母の入院や自分の骨折が重なったのはそのせいか。今年はちゃんと賽銭を投じて、家族の健康と無事を祈りました。

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2018年12月21日 (金)

「ボヘミアンラプソディー」

 新年連載の原稿を出し終わり、統一地方選の準備は残っているとしても年内の仕事はほぼひと段落ついたので、本日から3連休です。好天無風の午前中はゆっくりめの23キロ走。本当はもうちょっと頑張りたかったけど、この連休が愛媛マラソンに向けての集中トレーニングなので、無理はせず。
 源泉湯乃庵で汗を落とし、初めて会員限定メニューの昼食をいただく。鶏唐揚定食だけど、ドリンクバー付きで500円は確かに安い。
 休みでも仕事の電話がかかってくるのには閉口するけど、こればかりは仕方ない。
 時間があったので、イオンシネマ太田へ「ボヘミアンラプソディー」を観に行く。リピーター続出だそうですが、平日の太田なら満席ってことはありません。とはいえ、ここで映画を観た中では最も入りが良かったのは確かです。
 クイーンは売れ始めたのは、中学生になって洋楽に興味を持ち始めた頃でした。ジャストな世代なのに、あまり関心を持っていませんでした。カッコよかったのはハードロックで、クイーンは軟弱っぽかったし…。
 当時の記憶では、クイーンはギタリストのブライアン・メイのバンドという印象でした。フレディ・マーキュリーはエアロスミスのボーカリスト、スティーブン・タイラーと顔の見分けがつかないとかぐらいの覚えしかなくて。曲も「キラー・クイーン」以外はほとんど認識がなかったのです。
 映画を観て「あ、これもクイーンだったか」と思った曲がいくつもあって、ジャスト世代としては恥ずかしい限り。でも、そういう人が案外多いこともリピーター続出の一因ではないかと思います。
 もし若い頃、「クイーンっていいなあ」と思って聴いていたら、別の人たちが演じているクイーンを見てどう思うのだろう。単なるそっくりさんではなく、本人たちらしく見えるのは大したものです。個人的にはドラマーのロジャー・テイラー役が好印象でした。
 ビートルズやローリングストーンズでこうした映画を作っても「似てない」とか「違う」とか酷評されちゃうんだろうな。クイーンだと、その辺りのほどがよかったのかもしれません。

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2018年11月21日 (水)

狂言「愛すべき食いしん坊たち」

1dsc_0353_18  仕事を終えて、桐生市市民会館へ狂言を観に行く。地元で観られる機会はほとんどないし、2000円と破格の安さでもあり、逃すわけにはいきません。
 狂言大蔵流山本会による「岡太夫」と「栗焼」の2曲を上演。元NHKの葛西聖司アナウンサーが演目のあらましなどをナビゲートしてくれた後に開演しました。
 しかし、毎度のことではありますが、狂言役者の皆様は強烈なα波を発しているため、睡眠不足の我が身に容赦なく作用してしまったのです。「岡太夫」は序盤、嫁さんの実家に挨拶に行った婿さんが舅と酒を酌み交わしながら、わらび餅(綿をほぐして布で巻いたものとはいえ、狂言で小道具が出てくるのは珍しい)が「岡太夫」と呼ばれるようになったいわれを語るやりとりまでは覚えていますが、次に気付いた時は婿と嫁の夫婦喧嘩がオチに至る場面でした。肝心の夫婦のやり取りの辺りは眠ってしまい、次の上演の機会を待つしかありません。
 「栗焼」は人間国宝の山本東次郎さんと弟の則俊さんが熟練のやり取りを披露。狂言役者は60歳からが本物と言いますが、表情なんかも高齢じゃないと出てこない味は確かにあります。

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2018年11月11日 (日)

面接授業「観測天文学入門」

 10日から放送大学群馬学習センターの面接授業「観測天文学入門」を受講しました。
 高校時代の3大苦手科目は物理・地学・数学でした。赤点を取ってしまったのは物理でしたが、1年生の時の地学もひどいものでした。「天の赤道」とか「黄道十二宮」とか言われても何のことやらさっぱり…。
 言い訳をすると、教科書に載っている銀河の写真を見ていると、この点にもなっていない小さな星が太陽より大きいとしたら、それよりはるかに小さい地球上に散在する人類の、そのまた何十億分の一に過ぎない自分の小ささが想像できず、厭になっていたのが大きな原因でした。
 なのに今回受講を決めたのは、初日の授業が高山村の県立ぐんま天文台で行われるためです。国内でもかなり立派な反射望遠鏡があり、それを見てみたかったのです。
 授業内容は省略して、この日のお楽しみの観望会は夜7時から。まずまず雲もなく、月も明るくなく、コンディションに恵まれたのですが、いかんせん寒い。10日の日中は前橋で気温が20度ほどあって若干暑いくらいだったので、防寒着は用意していなかったのです。
 大反射望遠鏡で見たのは火星でしたが、ちょっと雲がかかっていたせいか、あまり感激しませんでした。もう一つの反射望遠鏡では何だか星雲(名前失念)がなかなかきれいに見えました。一番よかったのは、ボランティアで愛好家の方々が見せてくれた双眼鏡でのプレアデス星団(すばる)です。
 「レンズに写真貼ったんですか」と聞いてしまいそうになったほど、くっきりと見えたのです。六連星どころか星の数は10個以上はあったと思います。そうそう、天の川を見たのはたぶん45年ぶりぐらいじゃないかな。
 やはり寒いので8時前には退散しました。天文台から駐車場まで10分ほど階段を下りるのですが、その間、次から次へと上ってくる人たちがいたのには驚きました。この寒くて暗い中、わざわざここまで来るとは。天文ファンって結構いるのかな。
 11日は前橋の学習センターで望遠鏡の組み立て実習など。ろくに出席も取らず、レポートなしで合格にしてくれたいい授業でした。

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2018年11月 3日 (土)

邑の映画会

 3日は午前中、太田市西部の尾島RCスカイポートで開かれる「RC航空ページェント」を取材。RCとはラジオコントロールのこと。無線操縦の模型飛行機の全国的な展示飛行会です。
 模型飛行機といったってエンジンは爆音を鳴らすし、ジェットエンジンだってあります。最新型は電動モーターだし、おもちゃのレベルではありません。見物人も結構いました。
 それが終わると、太田市の東隣にある邑楽町で開かれる「邑(むら)の映画会」を取材。お目当ては小栗康平監督の「FOUJITA」。画家・藤田嗣治の生涯を描いた作品です。
 「邑の映画会」は昨年まで、小学校の体育館が会場でした。手作り感にあふれた運営で良作を楽しんでいましたが、今回から新築なったばかりの町中央公民館の立派なホールが会場となり、音響も比べ物にならないほど素晴らしくなっています。映像美もさることながら、壁が震えるような轟音を感じられ、「この作品は体育館じゃ無理だったな」と思わずにいられませんでした。主役のオダギリジョー、かなり藤田嗣治になり切っていましたね。
 上映が終わったのは18時前。遊び半分みたいですけど、ちゃんと2本とも出稿して、翌日付の新聞に載ったのはRC航空ページェントだけでしたが、「邑の映画会」も後日、ちゃんと掲載されました。

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2018年10月31日 (水)

足尾銅山山元調査

 太田市に来て、仕事に関することで最も衝撃を受けたのは、足尾鉱毒事件の影響はまだ続いており、続いているどころか恐らく終わることがないと知ったことでした。
 栃木県にある旧足尾銅山から流出した重金属は、渡良瀬川を流れて太田市や桐生市などの水田に大きな被害をもたらしたのでした。小学5年生の頃、渡良瀬川が汚染された公害のニュースがあったなあとは覚えていましたが、それは太田市毛里田地区の農民が古河鉱業(当時)と交渉し、同社に初めて鉱毒被害の責任を認めさせたニュースだったのです。
 現在の古河機械金属は足尾銅山の閉山後も、旧銅山から流出する重金属を含んだ水を浄化してから渡良瀬川へ流しており、鉱毒の直接的な被害はありません。しかし、金属かすなどの堆積地が崩れでもすれば農業や水道に壊滅的な打撃を与えかねず、渡良瀬川鉱毒根絶太田期成同盟会のメンバーが年に1回、その管理状況を視察しています。
 太田へ来て以来、3年連続でこの山元調査を取材させてもらいました。
 今回はスケジュールがタイトで、紅葉が進んでいるのを眺めるゆとりもありませんでした。ここ数日、暖かかったので薄手の上着で来たら、やはり高地のせいで風が冷たく、日が傾いて気温が下がると寒くてかないません。
 緑化が滞っている場所をどうするかといった課題は残っていますが、古河側も決して消極的ではありません。しかしながら、旧銅山から地下水が出てくる限り、その中に重金属などが含まれることは半永久的に変わることはないとのことです。
 あの福島第一原発事故と全く同じ構図なのです。現役の堆積場は「あと100年以上使える」そうですが、150年後はどうするのでしょうか。技術の進歩があるとはいえ、時間に余裕のあるうちに対策を練り始めないと、先人たちの苦労が無駄になりかねないかもしれません。
 3年連続参加賞でペンをいただきました。会員でもないのに申し訳ないのですが、嬉しかったです。

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