2018年11月21日 (水)

狂言「愛すべき食いしん坊たち」

1dsc_0353_18  仕事を終えて、桐生市市民会館へ狂言を観に行く。地元で観られる機会はほとんどないし、2000円と破格の安さでもあり、逃すわけにはいきません。
 狂言大蔵流山本会による「岡太夫」と「栗焼」の2曲を上演。元NHKの葛西聖司アナウンサーが演目のあらましなどをナビゲートしてくれた後に開演しました。
 しかし、毎度のことではありますが、狂言役者の皆様は強烈なα波を発しているため、睡眠不足の我が身に容赦なく作用してしまったのです。「岡太夫」は序盤、嫁さんの実家に挨拶に行った婿さんが舅と酒を酌み交わしながら、わらび餅(綿をほぐして布で巻いたものとはいえ、狂言で小道具が出てくるのは珍しい)が「岡太夫」と呼ばれるようになったいわれを語るやりとりまでは覚えていますが、次に気付いた時は婿と嫁の夫婦喧嘩がオチに至る場面でした。肝心の夫婦のやり取りの辺りは眠ってしまい、次の上演の機会を待つしかありません。
 「栗焼」は人間国宝の山本東次郎さんと弟の則俊さんが熟練のやり取りを披露。狂言役者は60歳からが本物と言いますが、表情なんかも高齢じゃないと出てこない味は確かにあります。

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2018年10月31日 (水)

足尾銅山山元調査

 太田市に来て、仕事に関することで最も衝撃を受けたのは、足尾鉱毒事件の影響はまだ続いており、続いているどころか恐らく終わることがないと知ったことでした。
 栃木県にある旧足尾銅山から流出した重金属は、渡良瀬川を流れて太田市や桐生市などの水田に大きな被害をもたらしたのでした。小学5年生の頃、渡良瀬川が汚染された公害のニュースがあったなあとは覚えていましたが、それは太田市毛里田地区の農民が古河鉱業(当時)と交渉し、同社に初めて鉱毒被害の責任を認めさせたニュースだったのです。
 現在の古河機械金属は足尾銅山の閉山後も、旧銅山から流出する重金属を含んだ水を浄化してから渡良瀬川へ流しており、鉱毒の直接的な被害はありません。しかし、金属かすなどの堆積地が崩れでもすれば農業や水道に壊滅的な打撃を与えかねず、渡良瀬川鉱毒根絶太田期成同盟会のメンバーが年に1回、その管理状況を視察しています。
 太田へ来て以来、3年連続でこの山元調査を取材させてもらいました。
 今回はスケジュールがタイトで、紅葉が進んでいるのを眺めるゆとりもありませんでした。ここ数日、暖かかったので薄手の上着で来たら、やはり高地のせいで風が冷たく、日が傾いて気温が下がると寒くてかないません。
 緑化が滞っている場所をどうするかといった課題は残っていますが、古河側も決して消極的ではありません。しかしながら、旧銅山から地下水が出てくる限り、その中に重金属などが含まれることは半永久的に変わることはないとのことです。
 あの福島第一原発事故と全く同じ構図なのです。現役の堆積場は「あと100年以上使える」そうですが、150年後はどうするのでしょうか。技術の進歩があるとはいえ、時間に余裕のあるうちに対策を練り始めないと、先人たちの苦労が無駄になりかねないかもしれません。
 3年連続参加賞でペンをいただきました。会員でもないのに申し訳ないのですが、嬉しかったです。

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2018年10月28日 (日)

2等賞!

1dsc_0301_18  上州太田スバルマラソンのお楽しみは、レース後の大抽選会です。特賞はスバルの軽自動車、1~3等賞もなかなか高価な品で、一番下の賞はゼッケンの下一桁の数字2種ですから、5人に1人は何かしら賞品をいただけるのです。
 5日前にスーパー「とりせん」のガラポンで特賞をゲットし、「いい流れ」が来ているから下一桁賞はもらえるんじゃないかと期待して会場の陸上競技場で座っていました。3等賞(一般と高校生以下10人ずつ)から来賓が抽選して当選者のゼッケン番号と氏名をコール。参加者は5000人近くですから、そう簡単には当たりませんけど、ここでコールされなければより良い賞品が当たるのですから、呼ばれなくてよかったなどと思ってしまいます。
 続いて2等賞。8番目に何と、わが名が呼ばれたのです。
 驚いたですね~。
 賞品はGショック。この抽選会、1等賞以上はコールされた後に名乗り出ないと当選取り消しとなってしまうのですが、2等賞まではコールされれば当選確定です。全抽選の終了後、ありがたく頂戴いたしました。

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2018年10月26日 (金)

「無敵艦隊」

 先週の日曜日に働いた代休を取り、午前中は28日の上州太田スバルマラソンに向けて前々日追い切り。トレッドミルで10km、疲れを残さないよう9.1km/hで走り、ラスト1kmのみ10.1km/hにペースアップした。いきなり1キロアップだったせいもあるけど、想定レースペースはちょっときつかった。目標2時間10分ぐらいかな、今回は。
 午後は太田市美術館・図書館でプレミアム・フライデーに開かれる「金曜名画座」で第1部の「無敵艦隊」を鑑賞。初めて来たら、ほぼ高齢者ばかりとはいえ60人近く観客がいたのには驚いた。床が平らな視聴覚室なので、後方の椅子には厚めのクッションが置かれていたのはありがたかった。
 ビビアン・リーが出演していることだけしか知らされておらず、見ていて「たぶんあれがそうかな」と思ったらその通りだった。その「あれがそうか」のお相手役がローレンス・オリビエだとは全く気付かず。二枚目だったけどね。
 女王エリザベス(昔の人)がスペインと諜報戦を展開し、来襲したアルマダを打ち負かしたって話ですが、1937年の公開当時はそれなりにシリアスな映像だったのかもしれないけど、今日的にはラブコメディーのようにしか見えない感じも。ただ、女王エリザベスは嫉妬心もあれば癇癪もあるなど欠点はあるけれども、君主として心細さも度量も備わっており、魅力的に描かれていました。
 第2部は「クレオパトラ」でしたが、普通の椅子に長時間座っているのはくたびれるので見るのはやめて、イオンシネマ太田で「散り椿」を見ることに。

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2018年10月23日 (火)

ガラポンで特賞!

 今夜は前橋で東京に異動する後輩の送別会があり、夕方から車で出かける。北関東道太田強戸スマートICへ向かう途中、いつも買い物をしている地元スーパー「とりせん」で「お楽しみ大抽選会」が開かれているのを思い出し、八幡町店へ立ち寄りました。
1dsc_0269_18  一番下から2番目の缶ジュースが当たれば御の字、一番下のスナック菓子でも自分としては十分です。無欲のままゆっくりとガラガラを回すと、3個続けてスナック菓子の白玉、4個目にあまりきれいではない見慣れぬ色の玉がコロリ。店員さんも訝し気な表情を浮かべた後、確認のうえ「おめでとうございます。特賞です!」と告げてくれ、思い出したように鈴を鳴らしてくれました。駆けつけた店長さんからギフトカード1万円分を頂戴しました。
 3月に「1等賞」が当たった店で、よもや同じ年のうちに「特賞」が当たるとは。これまでガラポンではポケットティッシュぐらいしかもらったことがないのに、突如の強運ぶりに驚くばかり。いい運勢を使い果たしてしまいやしないかと心配です。
 ギャンブル好きの前橋支局長にこの話をすると、「いや、これは流れが自分に来ていると考えるべきですよ」と励ましてくれました。本当にそうだったと週末に知ることになろうとは、この時は夢にも思っていませんでした。

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2018年10月13日 (土)

2時間走

 2週間後に迫った上州太田スバルマラソンに備え、朝7時から1週前追い切り。調整遅れが甚だしく、せめて2時間走で距離をこなす。
 いつもの周回コースを3周するつもりでしたが、東武小泉線の跨線橋を引き返してきたら気が向いて太田市運動公園へ向かう。今日の午後1時キックオフのラグビートップリーグ「パナソニックワイルドナイツ対リコーブラックラムズ」戦の市民無料券配布にどれくらい人が集まっているのか偵察するのが目的です。
 1周1470mのトリムコースに入ると、野球場付近がにぎわっていました。こちらでは女子ソフトボールの日本リーグ「ビックカメラ対太陽誘電」戦が行われるのです。その前に中学生の試合もあるようで、女の子たちがたくさんいました。
 序盤は7分台でしたが、トリムコースに入ってから調子が上がって6分40秒台に。この調子で走り通せれば、急仕上げとはいえ出走態勢は整う感じがします。トリムコースは陸上競技場と同じ厚さで舗装されているから走りやすい。
 1時間半を過ぎた辺りで運動公園の外に出て自宅を目指す。4kmぐらいですが、脚色が鈍って6分50秒台に。2時間は超えたけど、切りのいい所で18kmで終了。
 いつもならガストへ行ってモーニングとドリンクバーで水分補給なのですが、今日はセブンイレブンのパンとアイスコーヒーで朝昼兼食。

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ラグビートップリーグ観戦

 本日のメーンイベントは太田市運動公園陸上競技場で午後1時キックオフのパナソニックワイルドナイツ対リコーブラックラムズ戦。ラグビーの試合を生で観戦するのは32年前、母校が日本選手権を制覇した時以来です。
 運動公園には駐車場が少ないので、ちょっと離れたパワーモールおおたに止めさせてもらった。この間、それなりに高額な買い物をしたんだから勘弁してください。会場まで徒歩1km、朝はここを走ったのに、歩くと遠く感じるのが不思議。

 自由席の入口はスタンドの両端で、帰りやすい南側から入場しました。すると、こちらはリコーブラックラムズの応援席だったのです。大田はパナソニックワイルドナイツの地元だし、ラグビーを見たくなったのはNHKの相葉くんの番組にワイルドナイツの堀江と田中が出ていたのを見たのがきっかけだったんだけど、かと言ってパナソニックに何の義理もないので、このままリコーを応援することに。
1dsc_0263_18  それが何と、リコーブラックラムズが26対17で勝ってしまったのです。ワイルドナイツは地元太田で30連勝中だったそうですが、よもや敗れる場面を目の当たりにするとは。でも応援した甲斐があったし、リコーのアフロ応援団長の頑張りには情をほだされるものがありました。意外と言ったら失礼なのかもしれないけど、リコーのTシャツを来たサポーターが結構いて、アウェー感はあまりなかったです。
 試合終了後にはサポーターをグラウンドに招き入れて選手が写真を一緒に撮ってくれたりサインをしてくれたりと、ファンサービスに努めていました。こちとらは会場を後にしていたのですが。

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2018年9月25日 (火)

渡辺淳一「花埋み」

 わが国の女性で初めて開業医試験に合格した荻野吟子は「埼玉県の3偉人」だそうですが、今の熊谷市にあった生家の長屋門はなぜか群馬県千代田町の光恩寺にあります。この謎解き記事を書くために、吟子の評伝小説「花埋(うず)み」を読みました。
 吟子の名を初めて知ったのは、高校を卒業する年のNHK大河ドラマ「獅子の時代」のガイド本でだったと思います。放映期間の4分の3は浪人中だったので、ドラマに吟子が登場したかどうか知りませんが、「学問の師にプロポーズされた」エピソードが紹介されており、妙に印象深かったのでした。
 「花埋み」にはその場面も描かれていますが、それを含めて次々とのしかかる試練とそれをはねのけ続ける吟子の努力と行動力に、ただただ畏怖するばかりでした。文部科学省上層部の息子を不正入学させていたばかりか、女子受験生に不当なハンディキャップを背負わせていた東京医大の問題が明らかになった時、読売新聞の夕刊コラム「よみうり寸評」が「東京で医院を開き、女性への偏見とも闘った荻野の訴えをどう聞くか」と突きつけていましたが、まさしくその通りと思わずにいられません。
 渡辺淳一の小説を読んだのはこれが初めて。正確に言えば、ごく一部だけを読んでのけぞるほど驚いたことがあります。
 それは1991年3月、読売新聞に連載されていた「うたかた」のとある回。それまでこの小説には全く目を通していませんでした。東京で地方版のレイアウトを担当していたある日、暇つぶしに偶然手に取った小説の小ゲラ(その部分だけを印刷したもの)を読み始めたら、それこそ目の玉が飛び出すかと思うほどの衝撃を受けたのでした。
 当時29歳だったし、似たような場面は官能小説で目にしていました。とはいえ、まさか全国紙の連載小説に堂々と…。ネタバレ防止のため、これ以上は控えておきます。

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2018年9月24日 (月)

御巣鷹の尾根

1dsc_0207_17  お彼岸でもあり、御巣鷹の尾根へ慰霊登山することにしました。
 日航ジャンボ機墜落事故は入社する前の年の夏に起こってしまいました。群馬県民になったからには必ずお参りに行こうと思いつつ、2年が過ぎても行けずにいたままでした。
 後輩に行き方を教えてもらい、北関東自動車道から関越自動車道下仁田ICへ行き、そこから上野村の御巣鷹の尾根入り口まで1時間半程度。思っていたほど遠くはありません。
 登山口近くの駐車場へ向かう上り坂で、タイヤが小石を踏んだような音がしました。時々あることながら、何となくいつもと違う音だったような気もしたのですが、止めた車を見ても傾いてはおらず、パンクの心配はないとみて登山道へ。
 歩きでも上り坂には弱いのですが、道がよく整備されているおかげで30分程度で「昇魂之碑」へ。「ここだったのか」と思いつつ、谷を見渡しても「あの日」の痕跡はもはやわかりません。持参した線香に火をつけ、亡くなった人々の無念を思い、尊い犠牲が生かされたおかげで自分が今日まで33年間、空の旅を無事に楽しめたことを感謝しながら手を合わせました。

 

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何年ぶりか

1dsc_0236_17  慰霊登山を終えたのが午後1時半過ぎ。いくらか空腹でもあり、登山口入り口の近くにある「上野村ふれあい館」でお昼にしようと思ったら、鮎の塩焼きが並んでいました。
 鮎ってこんなに大きかったっけと思うほどでしたが、1匹500円。こちらが選んだ鮎をお兄さんが炙り直してくれ、建物入り口のベンチで頬張りました。渓流を見下ろせるテラスがあったことに後で気づき、ちょっと後悔。
 それにしても鮎の塩焼きなんて、食べるのは何年ぶりだろう。山間の観光地で串焼きにした魚を食べたのはイワナかヤマメだったし、宴会料理で出てくる鮎はもっと小さいし…。30年前、静岡県磐田市にいた頃は、市役所近くの「天宏」という店で鮎の塩焼き定食があって時々食べていたけど、ひょっとしたらそれ以来かもしれません。てことは30年ぶり…。
 帰りも関越自動車道経由にしようと思っていたのですが、なぜか「滅多に来ない地域なんだから、神流町とか群馬県南西部から埼玉県本庄市などを通ってみたらどうか」と思い、山中の一般道へ。すると「慰霊の園」という施設があり、寄ってみると、ジャンボ機事故で犠牲になった人の遺品などが展示されていました。
 「あの日」や「あの頃」について、いろいろと考えさせられた一日でした。

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