2018年4月 8日 (日)

岩宿博物館

 休刊日だというのに、隣接する(といっても遠い)みどり市の市長選が告示されるため、その手伝いに行く。望まれた任務は全く果たせませんでしたが、実際はというと「任務を果たせないこと」こそ望まれていたというか、「やったけどだめでした」という実績を残すことが任務だったのでした。
 「任務」は午前11時過ぎには完了してしまって手持無沙汰になったので、割と近くにある岩宿博物館を見学しにいきました。岩宿遺跡といえば、日本にも旧石器時代があったことを示す黒曜石の石器と土器が見つかった場所です。展示されているのは複製品がほとんどとはいえ、戦後間もない時期にこんな大発見があり、明治大学が調査した様子の写真を見ると、考古学にかける情熱みたいなものが伝わってくる気がします。
 博物館から数百メートル離れた岩宿遺跡も見に行きました。率直に言って、あまり感動する要素は見当たりませんでした。

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2018年4月 2日 (月)

猿ヶ京関所、名胡桃城址など

 宿泊した「湖城閣」という名前でわかる通り、猿ヶ京はダム湖に面しています。思い出のドライブインはたぶん南の方にあって、現在は日帰り温泉施設になっている建物じゃないかと思います。「湖城閣」は北の方で、ここへの進入路と国道17号の交差点に「猿ヶ京関所跡」がありました。
 滅多に来る場所じゃないので200円払って資料館を見学すると、意外にディープな歴史スポットでした。幕末に活躍した川路聖謨が佐渡奉行として赴任する際の通行手形や再現した食事のレシピ、良寛さまが通ったことを示す史料とか、なかなか見応えがあります。関所の建物自体、細工が見事な桟や欄間がよく残っていました。
 帰りは関越道を通らず、その昔の帰省と同じく国道17号を走ることに。どの辺りだったかわかりませんが、1969年夏の全国高校野球選手権決勝戦、三沢対松山商の延長18回引き分け試合は新潟から戻る際に車のラジオで聞いていました。暑かったし、何だか道も土埃っぽかったような覚えもあります。
 月夜野に着く前、名胡桃城址がありました。猿ヶ京関所資料館の人に勧められたので寄ってみたら、山城(というか砦)の造りがよくわかるように整備されていました。ここにも資料館があり、のぞいてみると上毛新聞に連載された「真田三代」の名胡桃城に関する章が展示されています。何となく面白そう。大河ドラマ「真田丸」はほとんど見ていなかったからわからなかったけど、ここは結構重要な場所だったのです。太田に帰ったら読んでみよう。
 せっかくだから、沼田城址も見に行く。結論を言うと、全体が公園化されていて、城址としてはしょぼい印象です。明治期の貴重な建物は立派でしたが。
 この先、渋川市の国道17号沿いに「永井食堂」というもつ煮定食で有名な店があるというので、昼食に寄るのを楽しみにしていました。ところが、道路工事で渋滞しており、やっと着いた店は店で駐車場が大混雑です。さっさと諦め、太田に戻って「いきなりステーキ」となってしまいました。

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2018年4月 1日 (日)

「織田信長と上野国」

 連休なので、思い立って新潟県境近くの猿ヶ京温泉へ遊びに行くことにしました。まずは群馬県立歴史博物館で開かれている企画展「織田信長と上野国」を見に高崎市へ。
 先日、上野三碑を見に行った時に初めて気づいたのですが、この博物館は国道354号バイパスからそう遠くありません。おととし12月に放送大学の面接授業で出かけた時は、高崎市といってもどこなのかさっぱりわかりませんでしたが、太田からバイパス一本で近くまで行けるとは驚きでした。
 企画展のタイトルは信長ですが、実際の主役は上野国に派遣された滝川一益です。司馬遼太郎の小説などでは、本能寺の変で信長という後ろ盾をなくした一益は北条軍に打ち負かされてほうほうの体で上方へ逃げ帰り、いっぺんに老けたとされています。
 残された書状などでは若干、事情が異なっていたようです。本能寺の変を知っても一益は動揺した様子を見せておらず、北条軍と激突した神流川の合戦も初日は滝川勢の勝ち、二日目はコテンパンにやられたとのことでした。
 もう一つ、一益は清須会議に間に合わなかったというのも以外でした。
 一益関連の資料はあまり多くないようで、展示は少々物足りません。面白かったのは、企画展入り口で「どの俳優が演じた信長がイメージに合うか」の人気投票を行っていたこと。直近の市川海老蔵が一番人気でしたが、僕は「国盗り物語」の高橋英樹さんに一票を入れました。

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猿ヶ京温泉

 歴史博物館を出た後、前橋へ向かおうとすると「絶品スープスパゲティー」といった看板につられてその店に入る。戸を開いた時にやめればよかったのだが、つい奥まで行ってしまった。どうもゲーセンだかパチンコ屋だかの食堂が一般客も迎え入れているようだった。
 仕方なくナポリタンを注文。待たされる、音はうるさい、タバコの臭いがすると最悪だったけど、出てきたナポリタンは540円としてはなかなかの出来。パスタの街・高崎侮るべからず、でした。
 前橋支局に書類を置いて一路、猿ヶ京温泉へ。子供の頃、父の実家がある現在の新潟県十日町市へお盆に帰省する時は、一家四人でマイカー利用。エアコンのない時代だったから、暑さと渋滞をいくらかでも避けるため、夜中に車を走らせて田舎へは朝に着く旅程でした。
 子供だったから車の中ではほとんど寝ていましたが、父はたいてい猿ヶ京温泉のドライブインで未明に休憩しました。母方の祖父も同行した時、ここでエビフライ定食をごちそうになったのが忘れられない思い出です。それで猿ヶ京にこだわっているのです。
 昔はなかった関越自動車道の月夜野インターで下り、昔と同じく国道17号を北へ。猿ヶ京温泉の旅館「湖城閣」には15時頃に到着しました。
 日曜日なので客は少なく、大浴場や露天風呂もほぼ独占状態。混浴の樽風呂なんてのもありましたが、この日は女性客がいなかったので気楽でした。
 夕食は上州牛のすき焼きがメーンでしたが、あいにくとそれほど印象には残らず。

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2018年3月27日 (火)

56年余りの人生初の出来事

 仕事帰りにスーパー「とりせん」(埼玉北部、群馬、栃木が勢力圏)八幡町店に寄り道し、ガラポンの列に並びました。1回の買い物額1000円(税別)につき1個押してくれるスタンプ5個につき1回、ガラポンを回せるのです。
 狙いは下から2番目の缶ジュースだったのですが、5回挑戦したうちの1回が何と一等賞で、店員さんが鈴を鳴らして祝福してくれました。いや恥ずかしかったこと。
 一等賞は500mlの「綾鷹」1ケース(24本入り)。後で同じ商品の価格を見たら1530円(税別)でした。
 運動会、模擬テストその他、これまで56年余りの人生で「一等賞」をいただいたのはこれが初めてです。
 表示上の公開日時よりずっと後に書いていますが、この翌朝、在阪当時の「親分」の訃報が知らされました。まだ65歳、昨年4月には高知まで快気祝いに出かけたのが、会った最後になろうとは。同11月に大阪へ遊びに出かけた際、かつての職場の先輩たちがたくさん集まってくれ、その場で親分とみんな電話で話したのが最後の会話でした。

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2018年3月22日 (木)

40年ぶりの再会

 小学校の同級生だったT沢君と40年ぶりに再会しました。
 T沢君は2年生の時に転校してきて、同じ頃に転校してきたN尾君と仲良しでしたが、とある日の帰り道、僕も一緒になって3人で仲良くなり、N尾君のお母さんが始めた英語塾で一緒に勉強するようになりました。同じクラスだったのは2年生の時だけでしたが、英語塾のおかげでずっと付き合っていたのです。
 T沢君は6年生の2学期に転校し、その後会ったのは2度だけ。最後は高校1年生の時、駿台予備校の夏期講習か実力テストで偶然、御茶ノ水駅近くで会った覚えがあります。
 その後、T沢君は群馬大学医学部に進んだとまでは聞いていましたが、年賀状のやり取りなどしていなかったので消息は知らずにいました。
 僕が太田市に引っ越して3か月ほどたった2016年12月頃、市の「広報おおた」の最終ページに地元の医師たちが交代で書いているコラムを見たら、顔写真が何となく見覚えのある人でした。改めて氏名を見ると、T沢君だったのです。驚いたのなんの。太田で産婦人科医院を開いていたのでした。
 かといって、一人のオッサンとしては産婦人科医院はどうも訪ねにくい。昨年6月、たまたま市内の別の産婦人科医と顔を合わせる機会があり、「実はT沢先生と幼馴染なんです」と話したら、この先生が話をつないでくれたらしく、秋になってT沢君がわが事務所を訪ねてくれました。残念ながら僕は不在だったので、こちらから折り返し電話をし、日中は市役所の市政記者室にたいていいることなどを話しました。
 年が明けてから草津白根山の噴火などであわただしく、T沢君に連絡もできずに時間だけがたっていましたが、今日、T沢君が市政記者室に来てくれたのでした。
 子供の頃の友達たちの消息など、知っている限りのことを話して、懐かしいひと時を過ごしました。それにしても、医者にしてはあまりにもラフな格好で、見てくれだけではこの人が医者だと見抜ける人はまずいないだろうなと思うほど。体面を気にしないのは、患者さんにも気楽な印象を持たれていいのかもしれません。
 折を見て、ゆっくりと昼飯でも食べながらまた話そうと思っています。

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2018年3月14日 (水)

危機一髪

 館林市と西隣の邑楽町にまたがる多々良沼という、ハクチョウの越冬地があり、ここでヨシ焼きが行われました。
 ヨシ焼きといえばもっと東の渡良瀬遊水地が有名ですが、広大なだけに遠巻きに見物することになっています。一方、多々良沼はかなり炎の近くで眺めることができるのです。
 9時に沼のあちこちで点火し、沼の西端で通称「ガバ沼」という、数多くのハクチョウが羽を休めている辺りも火が煙が回ってくると、驚いて飛び立ちます。その様子をアマチュアカメラマンたちがパシャパシャと撮るわけです。
 僕もあちこちでもうちょっと迫力のある絵が撮れないかと動き回っていると、携帯電話が鳴り始めました。出ると、到着した後に名刺交換したばかりの、ヨシ焼きを担当する団体の代表の方が「あなたの車が燃えそうになっています。早く戻って来てください」という。
 指定された集合場所に駐車していたのですが、確かに沼の際ではありました。たぶん600mぐらい走って戻ると、「燃えそう」は大げさとしても、風が吹いたらあるいは危なっかしい感じではありました。急いで車を移動させ、仕事的にはもう終わっていたので、そのまま現場を立ち去りました。
 長年、ジョギングに励んできましたが、実生活で役に立ったのは初めてでした。

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2018年3月11日 (日)

はるな梅マラソン&長岡寺ライブ

1dsc_0615  6時半に朝食をとって、7時半過ぎにホテルを出発。指定の駐車場には順調に到着して、シャトルバスでスタート会場へ。
 大会規模からして荷物預かりはないのかと思っていたら、ちゃんとありました。いろいろと行き届いていて、いい運営だと感心させられました。
 本当はハーフマラソンに出たかったけど、申し込みが遅くて11キロの部になりました。コース図を見ると、ハーフは5キロ~10キロ地点で100m以上上るきついコースです。それを考えると11キロでよかったと思ったら甘かったのでした。11キロも途中に激坂があり、この坂の3分の1は歩かざるを得なかったのです。タイムは1時間7分台。平坦コースなら1時間ってとこですが、坂にやられました。
 着替えなど後始末をして駐車場に戻ったのは11時40分過ぎ。急いで太田に帰ってきたのが13時10分頃。シャワーを浴びて仕事モードに切り替え、東日本大震災復興支援ライブが開かれる長岡寺(ちょうこうじ)へと向かう。
 ここで黙とうの様子や、福島県浪江町から避難しているシンガーソングライター牛来(ごらい)美佳さんのステージなどを取材して、支局に引き返して出稿などを完了したのが18時過ぎ。
 11キロ走って昼食抜きで働いてきつかったのは確かですが、あの日、被災した方々はみんなこんな具合だったのだろうかと思わされました。夕食にありつけるだけでも、被災地とは大違いではありますが。

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2018年3月10日 (土)

上野三碑めぐり

 あす11日は高崎市で行われる「はるな梅マラソン」に出走し、終わった後は梅林めぐりでもしようと思っていたら、「3・11」取材を免れることはできず、太田へとんぼ返りすることになりました。ゼッケン受け取りが当日朝なのを考えると、前泊するに越したことはありません。
 となると、前日の今日、何かそれらしいことをしたいもの。伊勢崎のシャンゴで昼食をとりつつ、生「上野三碑」を見に行こうと思いつきました。
 「上野三碑」とは高崎市にある「多胡碑」「山上碑」「金井沢碑」のこと。いずれも7~8世紀の石碑で、漢字で仏教の広がりや先祖の追善などが記されています。
 何と2017年10月、世界記憶遺産に登録されたばかりですが、その道に詳しい人と群馬県民以外には知られていないんじゃないかと思います。僕自身、「三碑」の存在は知っていても、個別の名称はちゃんと言えませんでした。
 地図を見ると、三碑は車で1時間もあれば回れそうな場所にあります。まず、カーナビの電話番号検索で多胡碑記念館へ。三碑そのものはいつでも見学可能ですが、ガラス越しになります。今の時期だけ、ガラス戸を開いて公開しているのが貴重なチャンスというわけです。
1img_20180310_203445  結局、到着が16時を過ぎてしまった3か所目の金井沢碑だけ「生」でのご対面を果たせませんでしたが、三碑の由来を知ることができてよかったと思います。
 宿泊はアパホテル高崎駅前。大浴場があるのはいいとして、アパホテルのシングルってこんなに狭かったっけという印象です。セミダブルベッドで寝心地はよかったけど、ゴロゴロ付きのスーツケースなんか持っている人には辛い感じです。
1dsc_0611  夕食は高崎オーパ内の「からあげセンター」で「山賊焼き定食デラックス」。ミニラーメン付きということでしたが、ミニどころか十分、普通サイズでした。量が多すぎて、明日のレースに差し支えると思われるほど。

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2018年2月 9日 (金)

また草津~計9日目

 2度目の草津噴火警戒滞在も今日でおしまい。この日は臨時町議会があり、町長が草津国際スキー場のロープウェー廃止と中腹から上のゲレンデの閉鎖を公式に表明しました。
 何らかの異論が出るかと思ったら、どの町議も「やむなし」との判断でした。やはりロープウェーのゴンドラに噴石が直撃した以上、それを再び動かそうというのは無理筋だということです。
 観光だけが頼りの小さな町で、大きな収益源だったロープウェーと一部のゲレンデを失うのは経営上、手痛いのは素人目にも明らかですが、安全確保ができない以上、仕方ないでしょう。こうした感想は他人事だから書けるのですが、当事者としてそうと決めるのはどれほど厳しかったことか。
 原稿と写真を出した後、前橋に寄ってゲラを確認し、太田に戻ったのは夜1時過ぎでした。

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