2018年10月13日 (土)

2時間走

 2週間後に迫った上州太田スバルマラソンに備え、朝7時から1週前追い切り。調整遅れが甚だしく、せめて2時間走で距離をこなす。
 いつもの周回コースを3周するつもりでしたが、東武小泉線の跨線橋を引き返してきたら気が向いて太田市運動公園へ向かう。今日の午後1時キックオフのラグビートップリーグ「パナソニックワイルドナイツ対リコーブラックラムズ」戦の市民無料券配布にどれくらい人が集まっているのか偵察するのが目的です。
 1周1470mのトリムコースに入ると、野球場付近がにぎわっていました。こちらでは女子ソフトボールの日本リーグ「ビックカメラ対太陽誘電」戦が行われるのです。その前に中学生の試合もあるようで、女の子たちがたくさんいました。
 序盤は7分台でしたが、トリムコースに入ってから調子が上がって6分40秒台に。この調子で走り通せれば、急仕上げとはいえ出走態勢は整う感じがします。トリムコースは陸上競技場と同じ厚さで舗装されているから走りやすい。
 1時間半を過ぎた辺りで運動公園の外に出て自宅を目指す。4kmぐらいですが、脚色が鈍って6分50秒台に。2時間は超えたけど、切りのいい所で18kmで終了。
 いつもならガストへ行ってモーニングとドリンクバーで水分補給なのですが、今日はセブンイレブンのパンとアイスコーヒーで朝昼兼食。

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ラグビートップリーグ観戦

 本日のメーンイベントは太田市運動公園陸上競技場で午後1時キックオフのパナソニックワイルドナイツ対リコーブラックラムズ戦。ラグビーの試合を生で観戦するのは32年前、母校が日本選手権を制覇した時以来です。
 運動公園には駐車場が少ないので、ちょっと離れたパワーモールおおたに止めさせてもらった。この間、それなりに高額な買い物をしたんだから勘弁してください。会場まで徒歩1km、朝はここを走ったのに、歩くと遠く感じるのが不思議。

 自由席の入口はスタンドの両端で、帰りやすい南側から入場しました。すると、こちらはリコーブラックラムズの応援席だったのです。大田はパナソニックワイルドナイツの地元だし、ラグビーを見たくなったのはNHKの相葉くんの番組にワイルドナイツの堀江と田中が出ていたのを見たのがきっかけだったんだけど、かと言ってパナソニックに何の義理もないので、このままリコーを応援することに。
 それが何と、リコーブラックラムズが26対17で勝ってしまったのです。ワイルドナイツは地元太田で30連勝中だったそうですが、よもや敗れる場面を目の当たりにするとは。でも応援した甲斐があったし、リコーのアフロ応援団長の頑張りには情をほだされるものがありました。意外と言ったら失礼なのかもしれないけど、リコーのTシャツを来たサポーターが結構いて、アウェー感はあまりなかったです。
 試合終了後にはサポーターをグラウンドに招き入れて選手が写真を一緒に撮ってくれたりサインをしてくれたりと、ファンサービスに努めていました。こちとらは会場を後にしていたのですが。

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2018年9月25日 (火)

渡辺淳一「花埋み」

 わが国の女性で初めて開業医試験に合格した荻野吟子は「埼玉県の3偉人」だそうですが、今の熊谷市にあった生家の長屋門はなぜか群馬県千代田町の光恩寺にあります。この謎解き記事を書くために、吟子の評伝小説「花埋(うず)み」を読みました。
 吟子の名を初めて知ったのは、高校を卒業する年のNHK大河ドラマ「獅子の時代」のガイド本でだったと思います。放映期間の4分の3は浪人中だったので、ドラマに吟子が登場したかどうか知りませんが、「学問の師にプロポーズされた」エピソードが紹介されており、妙に印象深かったのでした。
 「花埋み」にはその場面も描かれていますが、それを含めて次々とのしかかる試練とそれをはねのけ続ける吟子の努力と行動力に、ただただ畏怖するばかりでした。文部科学省上層部の息子を不正入学させていたばかりか、女子受験生に不当なハンディキャップを背負わせていた東京医大の問題が明らかになった時、読売新聞の夕刊コラム「よみうり寸評」が「東京で医院を開き、女性への偏見とも闘った荻野の訴えをどう聞くか」と突きつけていましたが、まさしくその通りと思わずにいられません。
 渡辺淳一の小説を読んだのはこれが初めて。正確に言えば、ごく一部だけを読んでのけぞるほど驚いたことがあります。
 それは1991年3月、読売新聞に連載されていた「うたかた」のとある回。それまでこの小説には全く目を通していませんでした。東京で地方版のレイアウトを担当していたある日、暇つぶしに偶然手に取った小説の小ゲラ(その部分だけを印刷したもの)を読み始めたら、それこそ目の玉が飛び出すかと思うほどの衝撃を受けたのでした。
 当時29歳だったし、似たような場面は官能小説で目にしていました。とはいえ、まさか全国紙の連載小説に堂々と…。ネタバレ防止のため、これ以上は控えておきます。

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2018年9月24日 (月)

御巣鷹の尾根

 お彼岸でもあり、御巣鷹の尾根へ慰霊登山することにしました。
 日航ジャンボ機墜落事故は入社する前の年の夏に起こってしまいました。群馬県民になったからには必ずお参りに行こうと思いつつ、2年が過ぎても行けずにいたままでした。
 後輩に行き方を教えてもらい、北関東自動車道から関越自動車道下仁田ICへ行き、そこから上野村の御巣鷹の尾根入り口まで1時間半程度。思っていたほど遠くはありません。
 登山口近くの駐車場へ向かう上り坂で、タイヤが小石を踏んだような音がしました。時々あることながら、何となくいつもと違う音だったような気もしたのですが、止めた車を見ても傾いてはおらず、パンクの心配はないとみて登山道へ。
 歩きでも上り坂には弱いのですが、道がよく整備されているおかげで30分程度で「昇魂之碑」へ。「ここだったのか」と思いつつ、谷を見渡しても「あの日」の痕跡はもはやわかりません。持参した線香に火をつけ、亡くなった人々の無念を思い、尊い犠牲が生かされたおかげで自分が今日まで33年間、空の旅を無事に楽しめたことを感謝しながら手を合わせました。

 

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何年ぶりか

 慰霊登山を終えたのが午後1時半過ぎ。いくらか空腹でもあり、登山口入り口の近くにある「上野村ふれあい館」でお昼にしようと思ったら、鮎の塩焼きが並んでいました。
 鮎ってこんなに大きかったっけと思うほどでしたが、1匹500円。こちらが選んだ鮎をお兄さんが炙り直してくれ、建物入り口のベンチで頬張りました。渓流を見下ろせるテラスがあったことに後で気づき、ちょっと後悔。
 それにしても鮎の塩焼きなんて、食べるのは何年ぶりだろう。山間の観光地で串焼きにした魚を食べたのはイワナかヤマメだったし、宴会料理で出てくる鮎はもっと小さいし…。30年前、静岡県磐田市にいた頃は、市役所近くの「天宏」という店で鮎の塩焼き定食があって時々食べていたけど、ひょっとしたらそれ以来かもしれません。てことは30年ぶり…。
 帰りも関越自動車道経由にしようと思っていたのですが、なぜか「滅多に来ない地域なんだから、神流町とか群馬県南西部から埼玉県本庄市などを通ってみたらどうか」と思い、山中の一般道へ。すると「慰霊の園」という施設があり、寄ってみると、ジャンボ機事故で犠牲になった人の遺品などが展示されていました。
 「あの日」や「あの頃」について、いろいろと考えさせられた一日でした。

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偶然に救われたか

 「慰霊の園」を出て、神流町や下久保ダムなどを通り、いったん埼玉県本庄市に入って利根川の南側を東へ向かう。しかし、わがお古のカーナビは北側の伊勢崎市へ渡る「坂東大橋」を知らなかったため、さらに東の埼玉県深谷市へと進んで行き、結局「上武大橋」を渡って群馬県側に出るはめになってしまいました。
 タイムロスは15分くらいあったかもしれません。おかげでガソリンも減ったので、いつも利用している源泉湯乃庵近くのセルフスタンドで給油することに。
 祝日だったからかもしれませんが、いつもはいない店のお兄ちゃんが「無料で空気圧を調べますが」と言うので、「よろしく頼む(そうは言わなかったけど)」と一言。すると、全体に低めだったうえ、右後輪だけ極端に低いとのこと。
 調べてもらったら、細いクギが刺さっていました。補修で2700円とのことでしたが、10年近くたっているタイヤだけに、いずれ全取っ換えは必至なので、4本全て新品にしました。交換には30分ぐらいかかるので、その間に湯乃庵でひと風呂浴びてきました。
 戻ってくると、バッテリーもかなり危ない状態だとのこと。中古で買って以来、交換したことないから無理もありません。即交換。さらに、ATオイルも古いと指摘され、この際だから交換。結局、総額5万4千円以上の出費となったのでした。
 御巣鷹の尾根からの帰り道、もし高速道路を選んだら、走行中にタイヤがバーストした恐れだってあったのでした。あの時、一般道で帰ろうと思ったのは御巣鷹の御霊がわざわざ慰霊に来てくれた僕を事故に遭わせられないと仕向けたのだろうかと、信心ゼロながらつい考えずにはいられませんでした。

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2018年9月 9日 (日)

第8回草津熱湯マラソン

 前日、草津ナウリゾートホテルにチェックインした際、フロントで「朝食ビュッフェをランチに振り替えることもできますが」と尋ねられたのに、つい「そのままで結構です」と答えてしまいました。朝食ビュッフェは充実していたのですが、控えめにしたつもりでもレース2時間前としては結果として食べ過ぎで、結果として響いてしまったのでした。
 前夜からの雨はスタート前にほぼ上がり、湿度は高いものの霧と曇り空でコンディションはまずまず。スタート地点はホテルから徒歩5分。ホテルのチェックアウトが11時だから、9時20分スタートの10キロなら、1時間ちょっとで走って部屋に戻れば、さっとシャワーを浴びても間に合うのです。つまり、荷物預かりとか雨の中で待たされるとかが無縁のVIP待遇に近いのです。
 とはいえ、総高低差120m超のコース。それも序盤は下る一方で、2.5キロ過ぎから上り続けだから厳しい。草津バスターミナルから湯畑へ向かう坂なんて、2月の出張時には「湯畑坂路」と名付けて、京都マラソンや東京マラソンのトレーニングの足しにしていたくらいですから、あそこを駆け降りるのは転ぶのが怖い。路面はぬれてるし。
 実際、3キロ地点から4キロ地点まで60m以上上る坂は辛かった。5キロ地点までは更に30m上る。「5キロ過ぎたら歩こう」と思って走り、そこまでたどり着くと「あと1キロ頑張るか」となり、どうにか自分をごまかしつつ7キロを過ぎて、またしても上り下りを含みつつ60m下り。折り返しの上り坂で一杯になり、500mくらいを戦略的徒歩。下りに転じた辺りで再度走り始め、最後の上り坂は頑張って走り続け、1時間11分6秒でフィニッシュ。
 胃の中に消化されていない食べ物が残っているのを実感しながらでは、戻しはしないかと気が散ってしまい、それで目標タイムより1分以上遅れた気がします。
 記録証の発行などを済ませた段階で10時40分。ホテルまで急ぎ歩きで戻ろうとしたのですが、けいれん気味だったので、部屋に戻ったのは10時48分過ぎ。大急ぎでシャワーを浴びて汗を落とし、ドライヤーで頭を乾かし、荷物を持ってフロントの列に並んだのは11時ちょっと過ぎ。同じような人がそこそこいて、30分も遅れなければ大目に見てもらえたのかもしれません。
 レース後にもらった爽健美茶を飲む暇もなく、喉が渇いていたので、ホテルの売店で草津温泉サイダー(200円)を購入。走った後のサイダー、生き返ったような心地よさです。このままさっさと帰ろうかと思っていましたが、商品の温泉無料券(またロハ話だよ)を利用してからにしようと、ホテルの無料送迎バス(またまたタダ)で湯畑へ行き、「御座之湯」に入りました。かなり込んでいましたが、湯船に入ったり出たりを繰り返すうちに洗い場の混雑も解消し、頭も体も洗ってサッパリとすることができました。
 再び、送迎バスでホテルに戻りましたが、どうも空腹感が今ひとつなので、とりあえず帰ることに。行きと同じく高速道路は使わず、カーナビが渋川伊香保IC前で予測した自宅到着時刻より、結果として10分ぐらいしか遅れませんでした。伊香保や四万、草津、万座などの温泉へは、太田からは高速道路を使わなくてもよさそうです。

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2018年9月 8日 (土)

草津再訪

 8日から夏休み後半6日間を取得。9日の草津熱湯マラソン出走のため、8日は前日輸送で草津入りすることにしました。
 休みとはいえ朝刊各紙のスクラップ指定などをためることはできず、出発はお昼過ぎに。久しぶりにシャンゴ伊勢崎店へ寄り道し、月替わりセットメニューを楽しみました。サラダ、スパゲティ、メインディッシュ、デザート、ドリンクで1280円(税別)ですから、相当お得です。
 午後1時40分過ぎ、いざ草津へ。遠回りする高速道路を通っても、渋川へほぼ一直線で行ける国道17号バイパス(上武道路)と時間は大してかわらないんじゃないかと思い、上武道路へ。何だかお金をかけないことばかりに執心しているみたいですが、そう見られても仕方ありません。
 草津町には16時過ぎに到着。前日にゼッケンなどを受け取ると、町内の温泉無料利用券をもらえるのです。また、ロハの話になってしまった。
 宿泊したのは草津ナウリゾートホテルです。1~2月の本白根山噴火取材で滞在したのは「草津温泉リゾートホテル」でした。「ナウ」の2文字があるだけで料金は随分と高いのですが、リゾート感は段違いです。2文字がない方には、取材拠点だった町役場や湯畑へ歩いて行けるメリットがあり、ホスピタリティーは優劣つけがたいので、良しあしは一概には言えませんが。
 温泉タダ券をどうするか。ここはホテルから歩いて行ける「西の河原温泉」へ行ってみることに。熱湯マラソンのコースの一部でもあり、坂の厳しさを偵察する意味もあったのですが、率直に言って徒歩でも十分に大変でした。温泉は大きな露天風呂のみで、洗い場はありません。「ナウ」じゃない方のホテルの温泉は硫黄臭がまったくありませんでしたが、ここはほどほどに硫黄の臭いが漂い、ようやくイメージ通りの草津温泉に浸かれた思いです。
 ナウリゾートホテルの大浴場は硫黄臭ほとんどゼロでしたが、熱さはなかなか。気温20度弱だからいいけど、25度以上だったら汗が引かなくて大変だろうな。温泉に入りやすい点では、9月上旬がベストシーズンかもしれません。
 夕食はビュッフェ。知っている限り、ビュッフェとしては最高レベルでした。もちろん、世の中にはもっと上はいくらでもあるんでしょうけど、寿司を頼んでから握ってくれるビュッフェは個人的には初めてです。

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2018年8月29日 (水)

小栗上野介ゆかりの地巡り

 起床して支局まで歩いていき、朝刊各紙をチェックした後、車でガストに向かいモーニングを注文。すごく空いているのに、後から来たガキ連れの3世代家族が隣のテーブルを占領し、うるさいのなんの。朝っぱらから運が悪い。
 平日休みの今日は何をしようか。太田では見られない映画を高崎へ見に行こうかと思ったけど、午後からの上映までの時間つぶしが思いつきません。この際、高崎市北西部の倉渕地区へ行き、小栗上野介ゆかりの東善寺をお参りすることにしました。前橋から32キロ、太田へ行くのとほとんど同じ距離です。涼しいので、車の窓を全開して走る。
1dsc_0140_16  東善寺に着いた時は小雨。拝観料を払い、まず資料館へ。日米修好通商条約を批准するために訪米した際の現地の新聞(のコピー)などもさることながら、斬首される時に乗せられた駕籠があったのには驚きました。訪米にはここ権田村からも従者を連れて行ったそうで、中に「佐藤藤七」という、わが父と同じ名前の人(名主だったとのこと)がいたのを初めて知り、いっそう親しみが増しました。
 少し山を上って上野介の墓参り。やぶ蚊が多くてたまりません。猛暑に参っていたやぶ蚊どもにしてみれば、涼しくなっていい餌食がやってきたってとこでしょうか。
 本堂の展示パネルなどを見させていただく。小栗上野介への関心は大学に入った頃、星新一の「はんぱもの維新」を読んでからのことでした。司馬遼太郎の「花神」をはじめとする幕末ものにも時々登場してはいましたが、「はんぱもの維新」を読んで、日本の近代化構想プランを明確に描いていたのは小栗上野介が最初だったんだと思ったものです。東善寺の展示を見ると、星新一の短い小説が実によく史料を検討して書かれていたことを実感します。
 BS日テレの「歴史探偵」(だったかな?市川愛之助が司会の番組)で上野介を取り上げた回のビデオが放映されており、見てみることに。30分だろうと思ったら1時間でしたが、たまたま降った豪雨をうまくやり過ごす格好になりました。
 そう何度も来られないから、関連書籍を大人買いすると、応対した住職さんが「東郷平八郎元帥の額は見ましたか」と尋ねてくれました。ビデオで見てその気になっていて、つい忘れていたのでもう一度本堂に上がって見させてもらいました。お昼時でしたが、住職さんも時間があったのか、横須賀製鉄所(=今でいう鉄工所のこと。鉄そのものの生産施設ではない)と富岡製糸場、中島飛行機との関連性などあれこれとお話を聞かせていただきました。
1dsc_0149_16  こうなると、上野介が処刑された川原に残る「偉人小栗上野介 罪なくして此処に斬らる」と銘文が刻まれた慰霊顕彰碑を素通りして帰るわけにはいきません。まずは道の駅「くらぶち小栗の里」で野菜カレーを食べ、桑の実ジュースを飲んでから現地へ。駐車スペースがないので、倉渕郵便局に止めさせてもらい、200mぐらい歩いて慰霊顕彰碑へ。
 昭和の初め頃に建てられたそうですが、「官軍が罪のない人を斬るはずがない」と銘文にイチャモンがついたとのこと。それを収めたのが田中義一で、いずれはこの人も功績が見直されるようになるかもしれません。
 倉渕郵便局のある交差点に「←榛名湖」の表示がありました。まだ行ったことがなく、この際だから寄り道することに。山の上の湖、それだけで十分リゾート感があるのに、あまりすれていない印象があります。静養にはいい所かもしれません。温泉はないけど。
 榛名湖から下りて太田へ戻ろうとすると、途中に群馬県立「日本絹の里」という施設があり、せっかくだからここにも寄り道しました。養蚕から絹織物に至るまでの過程が丁寧に説明されていて勉強になります。多くの蚕に桑の葉を食べさせているのを見ることができ、「ムシャムシャ」ではないけど、「ジクジク」とでも書けばいいのか、蚕が桑の葉を食べる音まで聞こえて、養蚕を知らぬ身にはとてもわかりやすい展示でした。ミュージアムショップで、「足が冷える」とこぼしていた老母用に二重ソックスを購入。それなりに充実した8月最後の休日でした。

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2018年8月16日 (木)

醤油ラーメンかくあるべし

 本来は昨日15日からが夏休みでしたが、10日に発生した群馬県防災ヘリコプターの墜落事故などの影響もあり、1日だけ出番にして今日から4日間を休むことにしました。
 こうした事故があると、直接担当していなくても休みづらい雰囲気ができてしまいますが、そこを打開してやるのも年寄りの役目ではあります。デスクは夏休み返上で気の毒ですが、我々だってその頃はそんなもの。むしろ、休める人まで休まないでいたばかりに、後になって全員共倒れになったら目も当てられません。実際、ちょっとは僕に感謝してくれた若者もいたようですが。
 夏休みといってもどこへ旅行するわけでもなく、帰省して老親の様子を見るのと、3か月近く行っていない船橋のマンションの風通しぐらいしかすることはありません。外環道の三郷南ICから市川方面が6月に開通し、船橋や君津に行きやすくなったのは楽しみです。
1dsc_0123_16  船橋での風通しはさっさと済ませ、京葉道路のパサール幕張で昼ごはん。フードコートを歩いていると、竹岡ラーメンを受け継いだ感じのラーメン屋に行列ができており、スープの香りに惹かれて並んでしまいました。
 無化調とか何とか言いますけど、醤油ラーメンのスープは醤油色じゃないとダメだというのが私の信念?です。そんなに力みかえることじゃないですけど、ヘルシーさよりも色が選ぶ基準なのは間違いありません。これだけ醤油色のスープは本当に久しぶりです。まあ、しょっぱかったのは確かですけどね。

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