2015年9月26日 (土)

「つながりの会」(その5)

 加藤秀俊先生ゆかりの方々の集まり「つながりの会」の総会が、東京・六本木の国際文化会館で。例年はランチ懇談会でしたが、今回は加藤先生の近著「メディアの展開」(中央公論新社)が5月に出版されたことを記念し、合評会+茶話会というスタイルに。
 この、いわば夏休みの課題図書を、買ったのは早かったものの、読むのはつい後回しになってしまい、結局、ほぼ半分までしかたどり着かなかったのでした。宿題をやり残して2学期を迎えたような気分です。
 しかしながら、どうも同じような状況の人は少なからずいたと見え、合評会は少々盛り上がりに欠けた気がします。実態は先生のサイン会になってしまった感じで、申し訳ありませんでした。
 茶話会では、ニフティサーブの「現代文化生活研究会(FBUNKA)を支えてくれていたKさんや、かつて仕事でお世話になったCDIの疋田正博さんらとよもやま話。疋田さんと同じく京大時代の教え子で今回初参加のSさんの話で、FBUNKA系の幹事になっているPさんとのつながり(それもかなり昔)がわかるなど、思いがけない「つながり」があるのを、またしても感じた一日でした。

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2014年9月27日 (土)

第1回「つながりの会」ゼミ

 加藤秀俊先生の門下生および縁のあった人が年に一度集まる「つながりの会」が、回を重ねて「せっかくだからランチ会だけではなく、先生の謦咳に接する時間も持ちたい」という機運が高まり、数か月に一度、15人程度の「ゼミ」を開くことになりました。
 その第1回がこの日行われ、夜勤前だったので参加させてもらいました。それにしても、学習院大などの門下の皆さんは偉い。僕ら、FBUNKA(=旧ニフティサーブの「現代生活文化研究会」のメンバーは、「ご隠居(=加藤先生)」に、いわば一緒に遊んでもらうことしか考えていないのに、卒業してから30年以上たっていても、結局、勉強サイドに戻ってくるんだから。
 「ゼミ」といっても研究の場ではなく、さりとて世間話の場でもなく、今回は「東と西」というテーマで語り合うことに。主には東日本と西日本の違い、実際の話は東京と京都・大阪、さらには東京・京都、その他の地域の細部にわたる違い、序列化などの話題が尽きることなく挙がってきて、次回もこの続きをやることに。
 冒頭、加藤先生が京都で暮らしていらした当時のエピソードをいくつか紹介してくださった中で、梅棹忠夫さんが「江戸落語のマクラに『大家といえば親も同然』というのがあるが、あれは全くわからん。大家と店子というんは単なる契約関係で、自分は大家に対してそんな卑屈な気持ちは持っとらん」と語っていたというのが強く印象に残りました。
 大阪で暮らした経験で、一番初めに東日本との決定的な違いを感じたのは、賃貸住宅の契約でした。「敷金2か月、礼金1か月、仲介料1か月」はどこでもそうなのかと思い込んでいたら、関西は大違い。100万円もの保証金を払うことは珍しくなく、それが退去する時にも返って来ないのには驚いたものです。その分、借家人の権利は結構強いようで、それが梅棹さんの話にも出ている感じがしました。
 ちなみに、その当時の梅棹さんの大家さんだったのは会田雄次さんだったとのこと。
          ◇
 「つながりゼミ」が始まった直後に御嶽山噴火のニュースが入ってきたのに、スマホはバッグの中だったので気づかず。15時半過ぎに会場の国際文化会館から出た後にようやく気付き、夜勤はいつもより張り詰めた勤務に。

 

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2014年8月 9日 (土)

NHKネットクラブ「再放送ウォッチ!」

 7月23日に放映されたNHKスペシャル「祇園祭~至宝に秘められた謎~」 は、とても良い番組でした。
 大阪で勤務していた10年前、初めて見に行った祇園祭では強烈な印象を受け、鉾の曳き初めから巡行までの1週間くらいは、時間があれば出かけて大汗をかきながら写真を撮って回ったものです。
 その中で、特に不思議だったのは、一部の鉾の前懸け(=タペストリーみたいなもの)などに、西洋からの輸入品が使われていたことです。それも江戸時代から使われていたとのこと。
 「鎖国で、キリシタン禁教なのに、なんで堂々とこんな絵を掲げられたんだろう」。勤務先で京都の歴史などに詳しい先輩に尋ねてみても、「そりゃ、京都は町衆の力が強かったからじゃないの」と、アバウト極まる答しか得られませんでした。
 番組はこの謎に迫り、僕にとっての10年来の疑問を解き明かしてくれました。昔の先輩の言っていたことも、まあ当たりではありました。
 当日、この番組の録画予約を忘れていて、途中からの録画となってしまいましたが、9日午前1時から再放送があり、即録画予約。
 ところが今朝、レコーダーを調べると、全然録画されていません。まさか失敗…。実は、台風11号が接近しているため、再放送は中止されていたのでした。
 当日録画した分を消去しちゃった自分のおっちょこちょいぶりが悔やまれましたが、気を取り直して「NHKネットクラブ」の「再放送ウォッチ!」に、この番組を登録しておきました。再放送が決まればメールで知らせてくれるサービスで、なかなか便利です。

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2014年7月19日 (土)

つながりの会(その4)

 加藤秀俊先生の京大、学習院大、中部大での門下生の方々と、パソコン通信当時のニフティサーブの「現代生活文化研究会(=FBUNKA)」の面々らが一堂に集まる「つながりの会」が、東京・六本木の国際文化会館でありました。総勢35人ほど参集。
 例年、ランチ会だけだったのが、今回は午前中に「授業」、ではないけれど加藤先生が宮本常一氏との思い出を語った後に自由討論をしてからランチ会にという趣向。宮本氏の「忘れられた日本人」のうち「土佐源氏」を読んでくるように、と事前にお達しがあり、僕は前日に段ボール箱から引っ張り出してやっと読む始末。付け焼刃癖は直りません。門下生の皆様はほぼノート持参。僕はフィールドワークの基本通り、その場ではメモを取らないことに…した訳ではなく、ノートや手帳を持っていないだけでした。
 加藤先生の印象では、宮本常一氏は「とにかく聞き上手な人だった」とのこと。秋田県だったか、農村調査に同行した際、いぶかしむお百姓さんに「旅の者じゃが」と答えただけで、すぐに打ち解けた話を始めていたとのこと。「この人には何だか話したくなっちゃうような、そんな雰囲気が宮本さんにはあった」そうです。
 「土佐源氏」は高知県梼原村という山奥の、橋の下で暮らしていた目の不自由な老人が、若い頃の女性遍歴を物語った話で、1世紀ぐらい前の日本にはまだこんなことがあったのかといろいろ気付かされる内容です。民俗学の祖・柳田国男の代表作「遠野物語」がいわば又聞きなのに対し、宮本氏は自分で訪ねて行って話を収集しただけに、「土佐源氏」のように一人称で語る物語を書けたといい、ゼミでフィールドワークを課された学習院大OBの皆さんは頷くことしきり。
 自由討論は、FBUNKA勢の発言が目立ち、その故が話があちこちに逸れがちでしたけど、逸れた挙げ句に出てきた葬儀ビジネスの話が興味深く、「病院にはたいてい2、3の業者が入っていて、入院患者が亡くなると、順番に霊安室に運んで、たいていはその業者が葬儀を仕切ることになっている」なんて話は、昨今のベネッセの個人情報流出事件と相俟って、個人情報を握っていることの価値を感じさせられました。
 ランチ会の席順はくじ引きで、何と「1番」を引いてしまい、加藤先生の隣で親しくお話をさせていただく光栄に預かりました。また、この会で、勤め先の後輩女性と初めて挨拶し、改めて「つながりの会」らしさを実感させられました。

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2014年3月11日 (火)

星の王子様ミュージアム

1dsc_0760  箱根・仙石原にはいろいろな美術館がある中、唯一行っていなかったのが「星の王子様ミュージアム」。お叱りを覚悟で言えば「女子供だまし」の典型だろうと思い込んでいて、今回、姪が行きたがったため、「やっぱりな」と思いつつ、消極的に出かけたのでした。
 ところが、これほど見事に「勝手な思い込み」を後悔させられたことはないくらい、見ごたえのある内容だったのです。
 そもそも、「星の王子様」を読んだことがありません。先代の三遊亭円楽師匠が若い頃、「笑点」で名乗りに使っていたのが印象に残っているだけでした。
 結構、哲学的な物語の世界もさることながら、作者サン・テグジュペリの生涯とその時代を紹介するコーナーは圧巻です。第1次世界大戦後から第2次世界大戦にかけての飛行機乗りたちの時代、とくれば宮崎駿の「紅の豚」の世界じゃないですか。
 恥ずかしながら、この年になってようやく「紅の豚」の背景にサン・テグジュペリがあったことを、初めて知ったのでした。

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2013年7月20日 (土)

つながりの会(その3)

 京大、学習院大、中部大での加藤秀俊先生の門下生の方々と、ニフティサーブの「現代文化生活研究会=FBUNKA」で先生との縁ができた仲間の集まり「つながりの会」のランチ会が、六本木「国際文化会館」のレストラン「SAKURA」で開かれました。
 総勢30人ほど。FBUNKAの仲間ばかりでなく、かつて仕事で大変お世話になった方、そのきっかけになった商品科学研究所(かつてあったセゾン系のシンクタンク)に勤めていた方、そのご亭主でわが勤務先の大先輩もいらして、自分としても不思議な「つながり」のある魅力的な集まりです。
 くじ引きで決まったテーブルにはF勢3人とG勢3人。G勢にはご夫妻がいらっしゃり、その間に我が席が割り込んでしまう間の悪さはあったものの、学習院大加藤ゼミでのフィールドワークの思い出話はとても興味深い内容でした。東北弁が聞き取れなかったことに始まり、早池峰でイタコの口寄せのような、トランス状態になるおじいさんのお話、ソアラをあげるから婿に来てくれと懇願されたとか、密度の濃い時間だったことが本当によくわかります。羨ましい気もするけど、G勢から見ると加藤先生を「ご隠居」なんてぞんざいに呼んでいるF勢の気楽さは…どう映っているのでしょうか?
 話が尽きず、館内のカフェに場所を移して、午後4時過ぎまで続いて解散。目先のことばかり気にしている仕事だけの日々にあって、知的な刺激にあふれた貴重なひとときでした。
 会が3年続いたことで、「つながりの会」での「つながり」がだいぶ深まった気がします。加藤先生、そして世話役を快く引き受けてくださったA先輩ご夫妻をはじめとする幹事の皆様には、大いに感謝です。
 

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2012年7月27日 (金)

つながりの会(その2)

 お誘いを受けて、昨夏に続き、六本木の国際文化会館にあるレストラン「SAKURA」で、「つながりの会」のランチ会に出席。といっても、東西線の遅れもあって10分ちょっと遅刻してしまいました。1時間半と短い席だっただけに、皆様申し訳ありませんでした。
 加藤秀俊先生の門下生だった方々を中心に、ニフティサーブの「現代文化生活研究会=FBUNKA」で縁づいた我々も仲間に加わり、この日の午後に開かれる「林雄二郎先生記念シンポジウム」の前に、ランチ会を開くことになった次第。
 遅刻という「けがの功名」で、門下の皆様を差し置いて加藤先生の隣の席を占めてしまい、いささか恐縮な思いもしつつ、あれこれ興味深い話をうかがいました。大学で教えている方から「今はゼミでコンパなんかほとんどありません」と聞かされたのにはびっくり。個別に話をして、ようやくどんなことを考えているのかがわかるといった実情を知ると、大学の先生も自分の研究どころじゃないだろうなと思ってしまいます。
 かぼちゃの冷たいスープ、鮮魚(何だか忘れたけど白身)のポワレと季節の野菜  ブイヤベース風のソース、チョコレートタルト ヨーグルトのシャーベット添え、といただき、最後のアイスコーヒーは件のシンポジウム開会が迫っていたため、急いで飲んでおしまい。
 

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林雄二郎先生記念シンポジウム

 「つながりの会」のランチ会の後、そのまま国際文化会館で午後1時から開かれる「林雄二郎先生記念シンポジウム」に参加しました。この日は午後4時半から仕事なので、それまでの時間つぶし、というのが正直な参加の理由です。
 恥ずかしながら、林雄二郎さんという方について、名前は何となく聞いたことがあるけれども、どんな方だったのかについては何も知りませんでした。会場で配布されたパンフレットに収録されていた加藤秀俊先生のエッセーを読んで、どうやらまたしても「もっと前に知っていれば…」と悔やまれる人を見つけた思いをさせられました。
 シンポジウム冒頭での加藤先生のお話は、主催者側の期待とはやや違ってしまったようですが、「今ここに林さんがいたら、こんな会話をしただろう」という前置きをされたうえで、なかなか痛い所を衝いてくる内容でした。
 先のエッセーで、林さんと加藤先生のいわばオッチョコチョイがきっかけで泥縄式に「日本未来学会」が1968年に出来た経緯が紹介されていましたが、そこでは「バラ色の未来を描いていたわけではない」ということに始まって、その当時の未来だった今日をどう見るか、というのが加藤先生の主眼です。
 その当時の未来、つまり「その当時」がモダンならば「ポストモダン」とされるものですが、山本夏彦氏だったか、「核家族の完成こそがポストモダンである」と喝破した言葉を引いて、例えば「オレオレ詐欺」の被害が止まらない背景をえぐり出していました。
 いわく、核家族化の完成とは「親の面倒を子が見るという思想」の消滅である。普段から親子の行き来がないから、子供が何をしていてどういう状態なのかを知らないどころか、電話の声が自分の子の声だと聞き分けられない。その間隙を衝いて成り立っているのが「オレオレ詐欺」である。
 もちろん、本当にそうかどうかは被害者を統計的に調べなければわからないこととはいえ、こうした背景を考えもせずにいた身としては、ホームスチールをされたようなショックでした。その後も、我ら50歳代以下のポストモダン人=新人類と、体系なき秩序とでも言うべき新人類社会?への批判に、聞く側としては全く耳が痛いばかりです。
 休憩時間に、かつて仕事でお世話になったCDIの疋田正博さんにそんな感想を漏らすと、「なに、あれは加藤先生のいつものやり口ですよ」と、あっさり受け流したもの。疋田さんも極めて柔軟な考えの持ち主ながら、やはり一本、筋の通った方だけに、そう簡単にはぐらついたりしません。おかげで加藤先生の「毒?」は少々中和されたものの、己が周りに振り回されやすい新人類であると、ひどく痛感させられたのでした。
 シンポジウムはその後、林さんが生前取り組んでいた「未来社会」「ノンプロフィット・マネジメント」「民間国際交流」の3つのテーマに分かれ、参加者も交えたワークショップを展開したのですが、仕事もあって残念ながら中座。70年代に「ロッキング・オン」を創刊した橘川幸夫さんが復刻した林さんの「情報化社会」を購入して、勤務先へ。
 橘川さんがこの本を読んだ感想の手紙を林さんに出したことがきっかけでお付き合いが始まったと振り返っていましたが、こうしたエピソードを聞くにつけ、林雄二郎さんとは何とも面白い人物だったんだなあと、思わずにはいられません。
 

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2011年7月20日 (水)

印刷博物館

110720_2  案内では所要約2時間だった脳MRI検査が割とあっさり終わってしまい、クリニックを出た時には午前10時半にもなっていなかった。台風6号の接近で心配だった雨も全然降っておらず、この際なので印刷博物館を見学しに行く。クリニックから歩いて5分ほどだし、こういう機会でもないとなかなか訪ねることもないし。
 しかし、本日は展示替えのため、見られたのは通常展示の部分のみでした。間が悪いと言えばそうですけど、印刷の歴史は仕事に関係することでもあるので、そこをじっくりと見られるのも、またとない機会ではあります。
 本日の収穫。「ゲラ」はgalley(ギャレー)のことだと初めて知りました。今では、試し刷りのことを称してゲラを言いますが、本来は組んだ活字を収める枠箱を指す言葉なのだそう。galleyと聞くと、航空機の狭いキッチンを思い出しますが、一定のスペースに隙間なくきっちりと物を収納する様子と、活字を組んだ枠箱のイメージには重なるものがあります。
 そうそう、イメージの重なり合いから言葉の意味を探るといえば、「電子書見台」による解体新書についての解説もなかなか面白かった。江戸時代の蘭学導入における一大エポックであると同時に、印刷史上でも重要な出来事だったとの視点は、こうした博物館ならではのことです。

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