2017年2月11日 (土)

金山城址発掘調査現地説明会

 太田市にある金山錠は、関東の山城では非常に珍しい石垣を持っています。今年度の発掘成果を紹介する現地説明会があり、出かけてきました。
 「城好き」を自称しながら、赴任以来、一度も金山城に行ったことがなかった理由はこの際、弁明いたしません。今回も半分は仕事みたいなものですが、あくまでも休日に個人的な興味で出かけたことに。
 金山という山は、ランニングで時折走った松風峠をその一部としていますが、頂上は200m以上あり、松風峠の最高点より100mほど高いのです。今回は諸事情により、金山城址ガイダンスセンターから歩いて登ったので、たぶん120mぐらいは上がったと思います。予定していたランニングは中止でしたが、結構な運動にはなりました。
 石垣は見事でしたが、どうも大部分は復元(にしても、積み方がきれい過ぎる)のようで、野趣には欠ける印象です。現説では、山城にとっての排水の重要性を強調し、発掘で巧みな構造の側溝や暗渠、それに防御壁も兼ねたと思われる側壁の役割などを解説してくれ、大いに頷かされました。

 山頂にある新田神社にお参りして、城の遺構などを見て歩いた後、ガイダンスセンターに戻ろうとして大弱り。ガイダンスセンターへ行く道の矢印が見当たらないのです。比較的近いと思われる金龍寺に下り、そこからセンターへ上っていくというあほらしい遠回り(といっても500mくらい)をさせられました。なってないんだよな~、こういう所が。

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2015年4月18日 (土)

善光寺前立本尊御開帳

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 旅のメーンイベントは善光寺参り。数え年で七年ぶりという前立本尊の御開帳がお目当てです。
 善光寺に詣でたのは、中学1年の夏休みの家族旅行以来のこと。上野から軽井沢辺りまで急行で立ちっぱなしで、かなりくたびれた思い出がありますが、今回は友人の運転する車で3時間ほどで到着し、40年の歳月を思わずにはいられません。
 御開帳については何の予備知識もなく、現地での説明を受け売りすると、写真の中央に写っている回向柱と本堂に安置されている前立本尊と「善の綱」でつながっていて、回向柱に触ると、前立本尊と結縁で叶うと信じられているのだそう。並ぶこと30分ほどで触ったのですが、実はそういう由来と知ったのは後からでした。(^-^;
 前立本尊の参拝はもういいかと一瞬、思ったものの、案外、行列になっていなかったので参拝券(500円)を買って本堂内陣に入ってみました。中は人、人、人。待つこと1時間ちょっとで前立本尊に手を合わせることができました。
 ここまで来たら、お戒壇めぐりを楽しまずに帰るわけにはいきません。暗闇の回廊を壁づたいに歩き、ご本尊の真下にある「極楽の錠前」に触ると、ご本尊と結縁されて極楽往生が約束されるという。
 入ってみて、それこそ本物の真っ暗闇を初めて体験しました。渋滞しているからゆっくりと進まないと前にいるE氏にぶつかるし、かと言って前が進んだ気配もわかりません。壁づたいに時々曲がったりするから方向もわからなくなってしまったけど、どうにか錠前を触ることもでき、前ともそう離れることなく外へ出ました。
 ここ何年かでは、一番ワクワクした経験かもしれません。

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2014年11月16日 (日)

旧赤松家

 食事の後、せっかくなので旧赤松家を見学することに。M兄貴も「改めて見たことはない」と言うし、K兄貴と合流するまでの時間つぶしにはうってつけでした。
 赤松家とは、明治時代の海軍中将・赤松則良の邸宅です。旧幕臣で咸臨丸の乗組員でもあった則良は、幕府瓦解後、この辺りに移住し、磐田原の茶園を開墾した人でした。明治政府に仕え、海軍の造船部門で活躍したとのこと。長女が森鴎外の最初の夫人だったとか、孫が初代の磐田市長になったとか、この辺りでは「赤松さん」といえば今も敬意を払われる存在です。
 僕がいた頃は煉瓦の塀も古びたままで、中の様子など伺うこともできませんでしたが、実に広い屋敷です。米蔵や図書蔵など、明治時代の建物がどのような特徴を持っていたのかがよくわかる建物がきれいに保存されており、時間をかけて見物できてよかったと思いました。
1dsc_1248 上部や横が切れちゃってますけど、これが旧赤松家の門と門番所です。「フランス積み」と呼ばれる煉瓦造りで、窓のアーチなどが美しい。
 この後、磐田グランドホテル内の「天神の湯」で、ようやくさっぱり。14時ぐらいとなると、ほかのお客さんも1人か2人で、ほぼ独占状態。昨年もそうでしたが、ここの黒湯は体の芯から温まる感じです。
 15時前、K兄貴宅に乱入。これも去年と同じ、違うのは見るレースが「エリザベス女王杯」だってことぐらい。残念ながら、3人とも渾身の予想が外れてしまいました。流れとはいうもののの、秋のG1が5戦連続で重賞未勝利馬の勝利とはね~。
 楽しかった二日間、磐田・袋井の皆様、本当にどうもありがとうございました。

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2014年11月11日 (火)

Eテレ「知恵泉」

 火曜日の23時にEテレの番組を見る人なんて、いったい何人いるんでしょうか。
 かねがね、番組表を見ては何と読むのか気になっていたEテレの「知恵泉」。早出の今朝、5時半から再放送があると知り、録画予約して(そんな奴はなお少ないだろう)出かけ、帰宅してから見てみると…。
 「制作費はないし、どうせ誰も見てねーし」感ありあり。でも、往々にしてテレビ番組はこういう方が面白い気がします。番組が始まってから1年半ほど経っているそうですが、今まで見ていなかったのが大いに悔やまれます。
 まさか、あの人が作務衣姿とはね~。
1033 本文とは関係ありませんけど…「フランベー」(@谷津バラ園)

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2012年8月12日 (日)

沖方丁「天地明察」

 「歴史小説を読む時には、年表や地図をそばに置いておく」とは、畏友tkkaku氏の言で、うならせられたものの、自らは実行せぬままでいました。
 ようやく6月に吉川弘文館の「日本史年表・地図」を、先月には山川出版社の「詳説日本史図録」を購入し、畏友の示唆から8年!もたってから環境を整えた次第。日本史年表・地図はは35年も前の我が高校時代にもあったけど、4年前に刊行が始まった詳説日本史図録の充実した内容には目を見張らせられます。たった890円、高校の副読本とはいえコストパフォーマンスの良さでは究極と断言できます。
 この詳説日本史図録の「元禄文化3…諸学問の発達」というページにある表で、和算の関孝和と暦学の渋川春海(安井算哲)が並んでおり、その生まれ年はほぼ同じです。
 この表がきっかけではないにせよ、二人が同い年だったかもしれない点に着目して小説「天地明察」を構想した沖方丁(うぶかた・とう)氏の慧眼ぶりには、全く驚かされました。
 囲碁、地学・天文学、算術…どれも苦手だとか知識がないことばかり。僕のような読者は少なからずいるだろうに(と信じたい)、すんなりと読めます。
 この秋には、岡田准一と宮崎あおいらが出演する映画が公開されます。たぶん6年以上前と思われるこの小説の書き始めの段階で、映画化の際はこの二人が出演することを織り込み済みだったと思わされるほど、はまり役になるのは確実でしょう。こうしたことも含め、様々な布石が敷かれていることに気付かされる作品で、久しぶりに読み終えてすぐ二度読みを始めてしまったのでした。

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2012年5月21日 (月)

金環日食

1095 午前7時30分過ぎ、東京メトロ日比谷線の築地駅の出口を上がるとすぐ見える歩道橋の上は、既に人でいっぱい。みんな考えることは一緒だな~。
 いつもより少し早い電車に乗って、築地本願寺の境内で金環日食を観察しようと思ったのですが、いかんせん観察用メガネを持っていません。観察できたのは日食ではなく、日食を目にして喜んでいる人々のほうでした。
 薄曇りだから、木漏れ日なんてどこにもないし…。諦めて場外市場で朝ごはんを食べに行くことにして、未練がましく空を見上げたら、雲の加減で日食(もう金環日食は終わっていたと思う)が肉眼でもわかったのです。う~ん、もうちょっと粘って見ていたら金環日食の状態も見えたのかも。
 18年後は、ちゃんと日食メガネを買って準備するとしよう。

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2012年5月 4日 (金)

鉄砲洲稲荷神社例大祭

1007 仕事を終えた16時半過ぎ、新橋演舞場の横をお神輿が通っていました。鉄砲洲稲荷神社の例大祭が行われており、氏子である銀座六・七丁目東地区の町内神輿のようです。
 しばし見物の後、数寄屋橋へ向かい、静岡から上京中のMさんと落ち合い、西銀座デパート2Fの「雛鮨」で一杯。というより、食べ放題の寿司を堪能しました。
 お互いそれほど飲む方ではないので、こういう方が楽しめるのですが、年甲斐もなく調子に乗りすぎたためか、店を出る頃はお腹が苦しいの何の。幸い、電車・バスともギリギリ寝過ごさずに済んで無事に帰宅。

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2011年1月 4日 (火)

「JIN-仁-」

 書き忘れてましたが、暮れにTBSで再放送(総集編?)していた「JIN-仁-」。初日は見ておらず、2日目だけ、それも途中から見たのですが、結構面白かった。放映中は「龍馬伝」よりも高く評価する向きもあったそうですが、それも頷ける。
 「JIN」=(「花神」+「幕末未来人」+「ジパング」)/3
ってとこでしょうか。僕らオールド世代にしてみれば。
 先月、勤務先の同期E氏と大阪へ「てっさてっちり道中」に出かけた際、改修工事中の適塾横にある緒方洪庵像を見た歴女たちが「JINに出てた人でしょ?そっくり〜」などと盛り上がっているのを耳にして、世代ギャップを痛感させられたものでした。
 その記憶があったせいで、見る気になったようなものです。
 「龍馬伝」は、勝海舟が出てくる辺りはほとんど見ていませんでした。昨年初め、「たぶん外す」と危惧した武田鉄矢がどんな具合だったのか、わからずじまいですけど、「JIN」での緒方洪庵役はハマってたと思います。そりゃ、江戸に出府した洪庵は頭を剃っていたはずだとかツッコミ所はありますけど、僕ら「花神」世代が抱く洪庵のイメージとはほぼズレがない印象です。
 坂本龍馬も内野聖陽の方がピッタリ来ていた感じ。これは時代劇でのキャリアの差でやむを得ないか。

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2010年7月17日 (土)

伊能忠敬記念館

 ここ2週間ほど、休日も放送大学の面接授業などがあってろくに休養がなく、疲れがたまっていたせいか、16日の夜は8時過ぎに就寝してしまった。そのお陰で今朝は6時過ぎに早起き。朝食、部屋掃除などを済ませても、まだ10時前だ。やはり夏は早起きに限る。
 新聞の地域版に「佐原の大祭始まる」という記事が出ていた。そうだ、1月に泊まりがけで受講した面接授業でも、この祭については時間をかけて説明していたっけ。京都・祇園祭の山鉾巡行は見に行けないけど、「日本一の山車祭」という佐原の大祭があるじゃないか(注:今年はたまたま日程が重なった)ってことで、午後から出かけることに。
 山鉾巡行の見ものが角を曲がる「辻回し」なら、佐原の大祭の見ものは山車をその場で回転させる「のの字回し」だそうで、これは夕方6時半からの披露という。あまり日陰のない街であり、日差しのきつい時間帯は1月に見られなかった「伊能忠敬記念館」を見学した。
 ここへ来るのは、小学校の社会科見学で訪れて以来だ。もう38年前、当時は現在の記念館ではなく、小野川を挟んだ向かい側にある旧宅の敷地内に記念館があった(建物はまだある)。あの時はひどいバス酔いで、校長先生が「忠敬(ちゅうけい、と読んでいたのは印象に残る)先生は云々」と、その偉大さを妙に力説していたことしか覚えていない。
 地図は社会科で扱うし、伊能忠敬も歴史上の人物だから社会科に出て来る(千葉県では道徳の副読本にも登場)せいもあって、何となく伊能忠敬=文系っぽいイメージを持っていたけど、記念館を見学して、れっきとした理系であることを認識させられた。50歳になって学び始めたのは天文学だし、測量は言うに及ばず。「校長先生、元々理科の先生だったから、あんなに力が入ってたんだなあ」と、改めて思い返す。
 もう一つ、伊能忠敬というと「量程車」を連想しますが、実際の測量には使われなかったと初めて知った。道路の凹凸がひどいと正確な距離を測れないからで、こちらは長らくの疑問が氷解した思いでした。
 地学が苦手だった僕には、測量の実際などを説明した展示を理解するのは困難でした。
100717  伊能忠敬が用いた測量器具の複製品は、旧宅でも展示されている(=写真)

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2010年3月20日 (土)

NHK「坂の上の雲」講演会

 申し込んでおいた「NHK 坂の上の雲講演会」(習志野商工会議所主催)を聴きに、習志野の日大生産工学部(元騎兵第十四連隊跡地)へ。講師はドラマのチーフプロデューサーを務める藤澤浩一さんとあって、600人近くの応募があったとか。
 先に質疑応答の内容を書くのも変ですが、やはり「どうして映像化の許可が出たのか」は、誰しも知りたいところ。藤澤プロデューサーは明確な答えこそ避けたものの、今年2月の「菜の花忌」で、司馬遼太郎夫人の福田みどりさんが「司馬さんが夢に出てきて『映像化を許可してよかったよ』と話してくれた」といった発言したのを引いて、「福田さんも許可はしたけど、作品を見るまで相当不安だったんだと思います」と話していました。
 結局、何が決め手だったのかはわからないけど、いろいろ紆余曲折があったことがうかがわれます。
 ドラマ化するうえで大変だったのは、
(1)戦争の場面をはじめ、規模が大きい
(2)外国の場面が多い
(3)司馬遼太郎がイメージした「明治という時代」をどう描くか
といったこと。
 それをカバーする方策の一つが、ドラマに「語り」を多く盛り込んだこと。原作のあとがきやエッセーなどから引用した「語り」で、見る人が司馬遼太郎の明治観を自然に抱けるようにしたという。
 もう一つはVFX技術。公式HPでも概略が紹介されていますが、講演会でももう少し詳しく紹介してくれました。驚いたのは、第一部で登場した巡洋艦「筑紫」、清国海軍の戦艦「定遠」、日清戦争の緒戦で東郷平八郎が撃沈して問題化した英国船「高陞号(こうしょうごう)」が、実は全く同じセットを使って撮影したという話。3艦は形も大きさも全く違いますが、船体の中央部だけセットを用い、前部や後部、煙突などはCGで継ぎ足して別物に仕立てたそう。ついでに言えば、セットは埼玉県川口市に作られ、海面もすべて合成とのこと。
 興味深かったのはキャスティングの決め方。藤澤プロデューサーが重視したのは「似ているか」という点でした。
 「正岡子規の香川照之さんは本当によく似ていると思います。本木雅弘さんと秋山真之は一見、それほどでもないけど、髭をつけると似てます。香川さんと子規とは違って、撮影が進むにつれて真之に似てきた感じがします」
 とのこと。一方、秋山好古と阿部寛は「顔立ちはあんまり似てないけど、好古が手足の長さを見込まれて騎兵の道に進んだことを思うと、背丈が190cm近く日本人離れしたスタイルの阿部さんなら、その雰囲気が醸し出せる」ということで決まったとか。
100320  第2部は今年12月に放映。騎兵連隊の本拠地である習志野も出て来るそう。11月にはNHKが習志野市民会館で講演会を開くとのこと。
 (写真は、会場で販売していた松山産の伊予柑。3個入り200円でした)

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