2018年8月29日 (水)

小栗上野介ゆかりの地巡り

 起床して支局まで歩いていき、朝刊各紙をチェックした後、車でガストに向かいモーニングを注文。すごく空いているのに、後から来たガキ連れの3世代家族が隣のテーブルを占領し、うるさいのなんの。朝っぱらから運が悪い。
 平日休みの今日は何をしようか。太田では見られない映画を高崎へ見に行こうかと思ったけど、午後からの上映までの時間つぶしが思いつきません。この際、高崎市北西部の倉渕地区へ行き、小栗上野介ゆかりの東善寺をお参りすることにしました。前橋から32キロ、太田へ行くのとほとんど同じ距離です。涼しいので、車の窓を全開して走る。
1dsc_0140_16  東善寺に着いた時は小雨。拝観料を払い、まず資料館へ。日米修好通商条約を批准するために訪米した際の現地の新聞(のコピー)などもさることながら、斬首される時に乗せられた駕籠があったのには驚きました。訪米にはここ権田村からも従者を連れて行ったそうで、中に「佐藤藤七」という、わが父と同じ名前の人(名主だったとのこと)がいたのを初めて知り、いっそう親しみが増しました。
 少し山を上って上野介の墓参り。やぶ蚊が多くてたまりません。猛暑に参っていたやぶ蚊どもにしてみれば、涼しくなっていい餌食がやってきたってとこでしょうか。
 本堂の展示パネルなどを見させていただく。小栗上野介への関心は大学に入った頃、星新一の「はんぱもの維新」を読んでからのことでした。司馬遼太郎の「花神」をはじめとする幕末ものにも時々登場してはいましたが、「はんぱもの維新」を読んで、日本の近代化構想プランを明確に描いていたのは小栗上野介が最初だったんだと思ったものです。東善寺の展示を見ると、星新一の短い小説が実によく史料を検討して書かれていたことを実感します。
 BS日テレの「歴史探偵」(だったかな?市川愛之助が司会の番組)で上野介を取り上げた回のビデオが放映されており、見てみることに。30分だろうと思ったら1時間でしたが、たまたま降った豪雨をうまくやり過ごす格好になりました。
 そう何度も来られないから、関連書籍を大人買いすると、応対した住職さんが「東郷平八郎元帥の額は見ましたか」と尋ねてくれました。ビデオで見てその気になっていて、つい忘れていたのでもう一度本堂に上がって見させてもらいました。お昼時でしたが、住職さんも時間があったのか、横須賀製鉄所(=今でいう鉄工所のこと。鉄そのものの生産施設ではない)と富岡製糸場、中島飛行機との関連性などあれこれとお話を聞かせていただきました。
1dsc_0149_16  こうなると、上野介が処刑された川原に残る「偉人小栗上野介 罪なくして此処に斬らる」と銘文が刻まれた慰霊顕彰碑を素通りして帰るわけにはいきません。まずは道の駅「くらぶち小栗の里」で野菜カレーを食べ、桑の実ジュースを飲んでから現地へ。駐車スペースがないので、倉渕郵便局に止めさせてもらい、200mぐらい歩いて慰霊顕彰碑へ。
 昭和の初め頃に建てられたそうですが、「官軍が罪のない人を斬るはずがない」と銘文にイチャモンがついたとのこと。それを収めたのが田中義一で、いずれはこの人も功績が見直されるようになるかもしれません。
 倉渕郵便局のある交差点に「←榛名湖」の表示がありました。まだ行ったことがなく、この際だから寄り道することに。山の上の湖、それだけで十分リゾート感があるのに、あまりすれていない印象があります。静養にはいい所かもしれません。温泉はないけど。
 榛名湖から下りて太田へ戻ろうとすると、途中に群馬県立「日本絹の里」という施設があり、せっかくだからここにも寄り道しました。養蚕から絹織物に至るまでの過程が丁寧に説明されていて勉強になります。多くの蚕に桑の葉を食べさせているのを見ることができ、「ムシャムシャ」ではないけど、「ジクジク」とでも書けばいいのか、蚕が桑の葉を食べる音まで聞こえて、養蚕を知らぬ身にはとてもわかりやすい展示でした。ミュージアムショップで、「足が冷える」とこぼしていた老母用に二重ソックスを購入。それなりに充実した8月最後の休日でした。

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2018年4月 8日 (日)

岩宿博物館

 休刊日だというのに、隣接する(といっても遠い)みどり市の市長選が告示されるため、その手伝いに行く。望まれた任務は全く果たせませんでしたが、実際はというと「任務を果たせないこと」こそ望まれていたというか、「やったけどだめでした」という実績を残すことが任務だったのでした。
1dsc_0059_12  「任務」は午前11時過ぎには完了してしまって手持無沙汰になったので、割と近くにある岩宿博物館を見学しにいきました。岩宿遺跡といえば、日本にも旧石器時代があったことを示す黒曜石の石器と土器が見つかった場所です。展示されているのは複製品がほとんどとはいえ、戦後間もない時期にこんな大発見があり、明治大学が調査した様子の写真を見ると、考古学にかける情熱みたいなものが伝わってくる気がします。
1dsc_0062_12  博物館から数百メートル離れた岩宿遺跡も見に行きました。率直に言って、あまり感動する要素は見当たりませんでした。
 (写真は、「岩宿の発見」で知られる相沢忠洋さんの像)

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2018年4月 2日 (月)

猿ヶ京関所、名胡桃城址など

1dsc_0034_12  宿泊した「湖城閣」という名前でわかる通り、猿ヶ京はダム湖に面しています。思い出のドライブインはたぶん南の方にあって、現在は日帰り温泉施設になっている建物じゃないかと思います。「湖城閣」は北の方で、ここへの進入路と国道17号の交差点に「猿ヶ京関所跡」がありました。
 滅多に来る場所じゃないので200円払って資料館を見学すると、意外にディープな歴史スポットでした。幕末に活躍した川路聖謨が佐渡奉行として赴任する際の通行手形や再現した食事のレシピ、良寛さまが通ったことを示す史料とか、なかなか見応えがあります。関所の建物自体、細工が見事な桟や欄間がよく残っていました。
 帰りは関越道を通らず、その昔の帰省と同じく国道17号を走ることに。どの辺りだったかわかりませんが、1969年夏の全国高校野球選手権決勝戦、三沢対松山商の延長18回引き分け試合は新潟から戻る際に車のラジオで聞いていました。暑かったし、何だか道も土埃っぽかったような覚えもあります。
1dsc_0043_12  月夜野に着く前、名胡桃城址がありました。猿ヶ京関所資料館の人に勧められたので寄ってみたら、山城(というか砦)の造りがよくわかるように整備されていました。ここにも資料館があり、のぞいてみると上毛新聞に連載された「真田三代」の名胡桃城に関する章が展示されています。何となく面白そう。大河ドラマ「真田丸」はほとんど見ていなかったからわからなかったけど、ここは結構重要な場所だったのです。太田に帰ったら読んでみよう。
 せっかくだから、沼田城址も見に行く。結論を言うと、全体が公園化されていて、城址としてはしょぼい印象です。明治期の貴重な建物は立派でしたが。
 この先、渋川市の国道17号沿いに「永井食堂」というもつ煮定食で有名な店があるというので、昼食に寄るのを楽しみにしていました。ところが、道路工事で渋滞しており、やっと着いた店は店で駐車場が大混雑です。さっさと諦め、太田に戻って「いきなりステーキ」となってしまいました。

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2018年4月 1日 (日)

「織田信長と上野国」

1dsc_0009_12  連休なので、思い立って新潟県境近くの猿ヶ京温泉へ遊びに行くことにしました。まずは群馬県立歴史博物館で開かれている企画展「織田信長と上野国」を見に高崎市へ。
 先日、上野三碑を見に行った時に初めて気づいたのですが、この博物館は国道354号バイパスからそう遠くありません。おととし12月に放送大学の面接授業で出かけた時は、高崎市といってもどこなのかさっぱりわかりませんでしたが、太田からバイパス一本で近くまで行けるとは驚きでした。
 企画展のタイトルは信長ですが、実際の主役は上野国に派遣された滝川一益です。司馬遼太郎の小説などでは、本能寺の変で信長という後ろ盾をなくした一益は北条軍に打ち負かされてほうほうの体で上方へ逃げ帰り、いっぺんに老けたとされています。
 残された書状などでは若干、事情が異なっていたようです。本能寺の変を知っても一益は動揺した様子を見せておらず、北条軍と激突した神流川の合戦も初日は滝川勢の勝ち、二日目はコテンパンにやられたとのことでした。
 もう一つ、一益は清須会議に間に合わなかったというのも以外でした。
 一益関連の資料はあまり多くないようで、展示は少々物足りません。面白かったのは、企画展入り口で「どの俳優が演じた信長がイメージに合うか」の人気投票を行っていたこと。直近の市川海老蔵が一番人気でしたが、僕は「国盗り物語」の高橋英樹さんに一票を入れました。

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2017年2月11日 (土)

金山城址発掘調査現地説明会

 太田市にある金山錠は、関東の山城では非常に珍しい石垣を持っています。今年度の発掘成果を紹介する現地説明会があり、出かけてきました。
 「城好き」を自称しながら、赴任以来、一度も金山城に行ったことがなかった理由はこの際、弁明いたしません。今回も半分は仕事みたいなものですが、あくまでも休日に個人的な興味で出かけたことに。
 金山という山は、ランニングで時折走った松風峠をその一部としていますが、頂上は200m以上あり、松風峠の最高点より100mほど高いのです。今回は諸事情により、金山城址ガイダンスセンターから歩いて登ったので、たぶん120mぐらいは上がったと思います。予定していたランニングは中止でしたが、結構な運動にはなりました。
 石垣は見事でしたが、どうも大部分は復元(にしても、積み方がきれい過ぎる)のようで、野趣には欠ける印象です。現説では、山城にとっての排水の重要性を強調し、発掘で巧みな構造の側溝や暗渠、それに防御壁も兼ねたと思われる側壁の役割などを解説してくれ、大いに頷かされました。

 山頂にある新田神社にお参りして、城の遺構などを見て歩いた後、ガイダンスセンターに戻ろうとして大弱り。ガイダンスセンターへ行く道の矢印が見当たらないのです。比較的近いと思われる金龍寺に下り、そこからセンターへ上っていくというあほらしい遠回り(といっても500mくらい)をさせられました。なってないんだよな~、こういう所が。

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2015年4月18日 (土)

善光寺前立本尊御開帳

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 旅のメーンイベントは善光寺参り。数え年で七年ぶりという前立本尊の御開帳がお目当てです。
 善光寺に詣でたのは、中学1年の夏休みの家族旅行以来のこと。上野から軽井沢辺りまで急行で立ちっぱなしで、かなりくたびれた思い出がありますが、今回は友人の運転する車で3時間ほどで到着し、40年の歳月を思わずにはいられません。
 御開帳については何の予備知識もなく、現地での説明を受け売りすると、写真の中央に写っている回向柱と本堂に安置されている前立本尊と「善の綱」でつながっていて、回向柱に触ると、前立本尊と結縁で叶うと信じられているのだそう。並ぶこと30分ほどで触ったのですが、実はそういう由来と知ったのは後からでした。(^-^;
 前立本尊の参拝はもういいかと一瞬、思ったものの、案外、行列になっていなかったので参拝券(500円)を買って本堂内陣に入ってみました。中は人、人、人。待つこと1時間ちょっとで前立本尊に手を合わせることができました。
 ここまで来たら、お戒壇めぐりを楽しまずに帰るわけにはいきません。暗闇の回廊を壁づたいに歩き、ご本尊の真下にある「極楽の錠前」に触ると、ご本尊と結縁されて極楽往生が約束されるという。
 入ってみて、それこそ本物の真っ暗闇を初めて体験しました。渋滞しているからゆっくりと進まないと前にいるE氏にぶつかるし、かと言って前が進んだ気配もわかりません。壁づたいに時々曲がったりするから方向もわからなくなってしまったけど、どうにか錠前を触ることもでき、前ともそう離れることなく外へ出ました。
 ここ何年かでは、一番ワクワクした経験かもしれません。

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2014年11月16日 (日)

旧赤松家

 食事の後、せっかくなので旧赤松家を見学することに。M兄貴も「改めて見たことはない」と言うし、K兄貴と合流するまでの時間つぶしにはうってつけでした。
 赤松家とは、明治時代の海軍中将・赤松則良の邸宅です。旧幕臣で咸臨丸の乗組員でもあった則良は、幕府瓦解後、この辺りに移住し、磐田原の茶園を開墾した人でした。明治政府に仕え、海軍の造船部門で活躍したとのこと。長女が森鴎外の最初の夫人だったとか、孫が初代の磐田市長になったとか、この辺りでは「赤松さん」といえば今も敬意を払われる存在です。
 僕がいた頃は煉瓦の塀も古びたままで、中の様子など伺うこともできませんでしたが、実に広い屋敷です。米蔵や図書蔵など、明治時代の建物がどのような特徴を持っていたのかがよくわかる建物がきれいに保存されており、時間をかけて見物できてよかったと思いました。
1dsc_1248 上部や横が切れちゃってますけど、これが旧赤松家の門と門番所です。「フランス積み」と呼ばれる煉瓦造りで、窓のアーチなどが美しい。
 この後、磐田グランドホテル内の「天神の湯」で、ようやくさっぱり。14時ぐらいとなると、ほかのお客さんも1人か2人で、ほぼ独占状態。昨年もそうでしたが、ここの黒湯は体の芯から温まる感じです。
 15時前、K兄貴宅に乱入。これも去年と同じ、違うのは見るレースが「エリザベス女王杯」だってことぐらい。残念ながら、3人とも渾身の予想が外れてしまいました。流れとはいうもののの、秋のG1が5戦連続で重賞未勝利馬の勝利とはね~。
 楽しかった二日間、磐田・袋井の皆様、本当にどうもありがとうございました。

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2014年11月11日 (火)

Eテレ「知恵泉」

 火曜日の23時にEテレの番組を見る人なんて、いったい何人いるんでしょうか。
 かねがね、番組表を見ては何と読むのか気になっていたEテレの「知恵泉」。早出の今朝、5時半から再放送があると知り、録画予約して(そんな奴はなお少ないだろう)出かけ、帰宅してから見てみると…。
 「制作費はないし、どうせ誰も見てねーし」感ありあり。でも、往々にしてテレビ番組はこういう方が面白い気がします。番組が始まってから1年半ほど経っているそうですが、今まで見ていなかったのが大いに悔やまれます。
 まさか、あの人が作務衣姿とはね~。
1033 本文とは関係ありませんけど…「フランベー」(@谷津バラ園)

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2012年8月12日 (日)

沖方丁「天地明察」

 「歴史小説を読む時には、年表や地図をそばに置いておく」とは、畏友tkkaku氏の言で、うならせられたものの、自らは実行せぬままでいました。
 ようやく6月に吉川弘文館の「日本史年表・地図」を、先月には山川出版社の「詳説日本史図録」を購入し、畏友の示唆から8年!もたってから環境を整えた次第。日本史年表・地図はは35年も前の我が高校時代にもあったけど、4年前に刊行が始まった詳説日本史図録の充実した内容には目を見張らせられます。たった890円、高校の副読本とはいえコストパフォーマンスの良さでは究極と断言できます。
 この詳説日本史図録の「元禄文化3…諸学問の発達」というページにある表で、和算の関孝和と暦学の渋川春海(安井算哲)が並んでおり、その生まれ年はほぼ同じです。
 この表がきっかけではないにせよ、二人が同い年だったかもしれない点に着目して小説「天地明察」を構想した沖方丁(うぶかた・とう)氏の慧眼ぶりには、全く驚かされました。
 囲碁、地学・天文学、算術…どれも苦手だとか知識がないことばかり。僕のような読者は少なからずいるだろうに(と信じたい)、すんなりと読めます。
 この秋には、岡田准一と宮崎あおいらが出演する映画が公開されます。たぶん6年以上前と思われるこの小説の書き始めの段階で、映画化の際はこの二人が出演することを織り込み済みだったと思わされるほど、はまり役になるのは確実でしょう。こうしたことも含め、様々な布石が敷かれていることに気付かされる作品で、久しぶりに読み終えてすぐ二度読みを始めてしまったのでした。

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2012年5月21日 (月)

金環日食

1095 午前7時30分過ぎ、東京メトロ日比谷線の築地駅の出口を上がるとすぐ見える歩道橋の上は、既に人でいっぱい。みんな考えることは一緒だな~。
 いつもより少し早い電車に乗って、築地本願寺の境内で金環日食を観察しようと思ったのですが、いかんせん観察用メガネを持っていません。観察できたのは日食ではなく、日食を目にして喜んでいる人々のほうでした。
 薄曇りだから、木漏れ日なんてどこにもないし…。諦めて場外市場で朝ごはんを食べに行くことにして、未練がましく空を見上げたら、雲の加減で日食(もう金環日食は終わっていたと思う)が肉眼でもわかったのです。う~ん、もうちょっと粘って見ていたら金環日食の状態も見えたのかも。
 18年後は、ちゃんと日食メガネを買って準備するとしよう。

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