2018年4月 2日 (月)

猿ヶ京関所、名胡桃城址など

1dsc_0034_12  宿泊した「湖城閣」という名前でわかる通り、猿ヶ京はダム湖に面しています。思い出のドライブインはたぶん南の方にあって、現在は日帰り温泉施設になっている建物じゃないかと思います。「湖城閣」は北の方で、ここへの進入路と国道17号の交差点に「猿ヶ京関所跡」がありました。
 滅多に来る場所じゃないので200円払って資料館を見学すると、意外にディープな歴史スポットでした。幕末に活躍した川路聖謨が佐渡奉行として赴任する際の通行手形や再現した食事のレシピ、良寛さまが通ったことを示す史料とか、なかなか見応えがあります。関所の建物自体、細工が見事な桟や欄間がよく残っていました。
 帰りは関越道を通らず、その昔の帰省と同じく国道17号を走ることに。どの辺りだったかわかりませんが、1969年夏の全国高校野球選手権決勝戦、三沢対松山商の延長18回引き分け試合は新潟から戻る際に車のラジオで聞いていました。暑かったし、何だか道も土埃っぽかったような覚えもあります。
1dsc_0043_12  月夜野に着く前、名胡桃城址がありました。猿ヶ京関所資料館の人に勧められたので寄ってみたら、山城(というか砦)の造りがよくわかるように整備されていました。ここにも資料館があり、のぞいてみると上毛新聞に連載された「真田三代」の名胡桃城に関する章が展示されています。何となく面白そう。大河ドラマ「真田丸」はほとんど見ていなかったからわからなかったけど、ここは結構重要な場所だったのです。太田に帰ったら読んでみよう。
 せっかくだから、沼田城址も見に行く。結論を言うと、全体が公園化されていて、城址としてはしょぼい印象です。明治期の貴重な建物は立派でしたが。
 この先、渋川市の国道17号沿いに「永井食堂」というもつ煮定食で有名な店があるというので、昼食に寄るのを楽しみにしていました。ところが、道路工事で渋滞しており、やっと着いた店は店で駐車場が大混雑です。さっさと諦め、太田に戻って「いきなりステーキ」となってしまいました。

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2017年4月30日 (日)

高知城

 「親分」宅へのお見舞いは午後なので、午前中は高知城と牧野植物園を見に行く。
 高知城はホテルから歩いて15分程度。途中、当地の名物「日曜市」を冷やかし歩く。果物、野菜、日用品とよくこれだけの出店が集まるものだと思うくらいだし、地元のお客さんが多いのにも圧倒されます。
1dsc_0270_11  見事な石垣を眺めながら石段を上り、天守へ。これで現存12天守のうち10か所目の「登城」です。残るは松江城と弘前城。やはり松江は在阪当時に無理してでも行くべきだったか。弘前も出張ついでに出かけられなかったことが悔やまれます。
 それはそれとして、高知城の天守は江戸時代になってから建てられたせいなのか、ほとんどの梁が製材された木でした。たいていは曲がった松なんかが使われているものですが。

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2017年2月11日 (土)

金山城址発掘調査現地説明会

 太田市にある金山錠は、関東の山城では非常に珍しい石垣を持っています。今年度の発掘成果を紹介する現地説明会があり、出かけてきました。
 「城好き」を自称しながら、赴任以来、一度も金山城に行ったことがなかった理由はこの際、弁明いたしません。今回も半分は仕事みたいなものですが、あくまでも休日に個人的な興味で出かけたことに。
 金山という山は、ランニングで時折走った松風峠をその一部としていますが、頂上は200m以上あり、松風峠の最高点より100mほど高いのです。今回は諸事情により、金山城址ガイダンスセンターから歩いて登ったので、たぶん120mぐらいは上がったと思います。予定していたランニングは中止でしたが、結構な運動にはなりました。
 石垣は見事でしたが、どうも大部分は復元(にしても、積み方がきれい過ぎる)のようで、野趣には欠ける印象です。現説では、山城にとっての排水の重要性を強調し、発掘で巧みな構造の側溝や暗渠、それに防御壁も兼ねたと思われる側壁の役割などを解説してくれ、大いに頷かされました。

 山頂にある新田神社にお参りして、城の遺構などを見て歩いた後、ガイダンスセンターに戻ろうとして大弱り。ガイダンスセンターへ行く道の矢印が見当たらないのです。比較的近いと思われる金龍寺に下り、そこからセンターへ上っていくというあほらしい遠回り(といっても500mくらい)をさせられました。なってないんだよな~、こういう所が。

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2015年9月12日 (土)

特別展「徳川の城~天守と御殿~」

 連夜の中華飲み会の後でエネルギー充填し過ぎの状態。雲一つない朝でも観念して、7時過ぎから朝ランへ。暑いけど、行田坂路3往復、20キロちょっとのノルマをこなし、気持ちよくピーターパンでモーニングをいただく。麦茶のサービスが終わっていてガックリ。もう9月も中旬だから無理もないか。
1dsc_1735 夕方から、江戸東京博物館で開催中の「徳川の城~天守と御殿~」を見学。城好きとしては外せない展覧会だと思っていたのですが、若干期待外れでした。図面ばっかりで、素人にはわかりづらいのです。現在の地図や写真と重ね合わせて、「こんな感じでした」とでも見せてほしかったな~。
 唯一、会場出口に展示されていた勝海舟(安芳)の肖像画は、なるほどと思わされました。和服で杖みたいなのを持っている洋画風の、教科書なんかで見覚えのある人は多いのではないかと思います。あれは「江戸城明け渡しの図」だったんですね~。海舟の足下に葵の紋入りの丸瓦が転がっていて、天下人から転落した徳川家を象徴しているとか、わかりやすい味わいのある絵なのでした。
1dsc_1739 江戸博は、常設展の方が楽しめる気がします。あれだけの巨大スペースで江戸~東京の歴史を復元した建物などで紹介しているんだから、見ていて飽きません。時には、手品などのイベント(=写真上)もあるのでは、なおのことです。写真もだいたい撮り放題で、外国人観光客も日本人も熱心に写していました。
1dsc_1757 実は、最も楽しみにしていたのは、錦糸町にあるラーメン屋「匠屋」へ行くことでした。昔は新小岩にあり、駅から徒歩10分にもかかわらず、よく通ったものでした。
 一時は、船橋駅のラーメン横丁にも支店?があったのですが、本店との味の差がはっきりしていたうえ、4年前には撤退してしまい、それっきり自分好みの醤油ラーメンを食べる機会はほとんどありませんでした。
 本店?の味は13年ぶりぐらいでしょうか。醤油ラーメンのスープはこうでなくちゃと思わせてくれます。錦糸町は通勤途中なので、また寄り道する機会が増えそうです。

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2015年4月19日 (日)

上田城

1dsc_1527  信州温泉旅行2日目。「つるや旅館」で朝湯、朝食の後、近くの文殊堂と薬師堂を散策。薬師堂にあった薬師如来の両側に立つ仁王像(かな?)は、なかなか味わい深いお姿でした。
 E氏の実家に寄ってコーヒーをいただき、過分なお土産まで頂戴してから、上田城へ向かう。途中は桜が満開だったけど、上田城では千本桜まつり開催中ながら、惜しくも散り始めでした。
1dsc_1529  真田神社を詣でた後、北櫓と南櫓、それらをつなぐ本丸東虎口門の内部を見学。上田城の簡単な年表などを見ると、廃藩置県の後に廃城となって民間に払い下げられた櫓は、何と遊郭として使われた時期もあったという。
 城好きとしては、そりゃないだろうと思うところですが、歴史上の事実として受け止めないといけないことです。隠さずに伝える姿勢を評価すべきでしょう。
 城址公園にある上田市立博物館にも、なかなか興味深い展示がありました。その一つは、上田地域であった百姓一揆の一覧表。「いつあった」だけにとどまらず、結末がどうだったかを示しているのは珍しい気がします。首謀者がたいてい死刑になったのは想像がつくとして、一揆側の要求がほとんど通っているのは意外でした。
 もう一つは、「草莽の志士」相楽総三の赤報隊が偽官軍と称された汚名を雪ぐのに尽力した丸山徳五郎という人物の展示です。
 E氏共々、ついじっくりと見学してしまったため、昼食は遅くなって信越道・横川SAで。ポークステーキはなかなかおいしかったです。
 一路、東京へ向かう途中、ラジコで聞いた皐月賞は、我らの応援するブライトエンブレムが4着に惜敗し、スッテンテンに。馬刺しを食べた罰だとは思いたくないが…。
 帰京し、E氏と中華の夕食を共にしてから帰宅。運転から何からお世話になり、どうもありがとうございました。

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2015年4月 5日 (日)

「白過ぎ城」にやって来た

 関西関係の記事はこちら

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2014年11月22日 (土)

久留里城

1dsc_1282  朝、亀山温泉ホテルの部屋から見える亀山湖は霧に覆われ、幻想的な雰囲気です。
 朝風呂、食事、また風呂と済ませて、10時にチェックアウト。カードで支払おうとすると、フロントのお姉さんが取り出したのはiPad。小さなカードリーダーが取り付けてあり、これでカード利用の承認をするのだそう。
 山奥なのに、やることはハイテクだなと感心したのですが、どうもネット接続がうまくいかないらしく、結局は現金払いに。後で別のお客さんがカード払いした際は、カードリーダーを差し直したことでうまくいき、iPad上でスタイラスペンでサインをしていました。そのうち、あちこちに広がっていくのかもしれません。
 近くまで来たので、久留里城を見物してから帰ることに。「城好き」を自称しながら、実家に最も近い城にも来たことがなかったんだから、いい加減なものです。
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 駐車場に車を置いて小高い山を上っていく。苔むした切り通しの土の壁がえも言われない風情があります。途中、資料館があったので見学。戦国時代の末期には、久留里城が里見氏の拠点だったとは知りませんでした。築城したら三日に一度は雨が降ったから「雨城」という別名がついたという由来も面白い。
1038  また、しばらく上っていくと模造天守が見えてきました。資料館には出土した鯱があったから、小なりといえども天守らしき建物はあったようです。
 登って外に出ると、山間ののどかな田園風景が目に入り、ゆったりとした気分になれます。
 帰途、館山自動車道の君津IC近くにある「四季の蔵」に寄って、回転寿司を楽しむ。地魚を使うなど、ちょっと高めではあるにせよ、3人で6000円ちょっと。5、6年前は1万円を超えることもあったけど、年を取った分、少食になったんでしょうか。

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2014年10月13日 (月)

伊東潤「城を攻める 城を守る」(講談社現代新書)

 年を取ると目が覚めるのが早くて嫌になります。きのうは25キロ近く走ったから、ゆっくりと眠れると思ったんですけどね~。
 ここしばらく城見物にも行っていませんが、「城好き」を自称する身としてタイトルに惹かれたこの本、期待を遥かに上回る内容でした。
 登場するのは26の城。定番の大坂城、会津若松城はともかく、「懸河城」「高天神城」となると、好事家じゃないと知らないような城が取り上げられています。「姫路城」が出てこない「城本」は初めてじゃないでしょうか。
 従来の「城本」の大半が建造物としての紹介に重きを置いているのに対し、この本は攻防戦のあった城を取り上げ、今に残る遺構から実戦で果たした役割などを解説しているのが大きな特徴です。このため、合戦のなかった「現存12天守」は取り上げられていないのです。
 天守どころか、石垣もろくにない山の中の「土の城」の遺構を見て、そこで行われた合戦に思いを致すのは、よほどの知識の蓄積と想像力に恵まれないとできない業です。半分くらいは「聞いたこともない城」の物語がこれほど面白いとは、小説家の書いた歴史研究本の良さを十二分に発揮していると思います。
 ちなみに、「懸河城」とは「掛川城」の旧称だそうです。
 司馬遼太郎の小説では、織田信長が長篠の合戦で武田勝頼を破った後、すぐ追撃しなかったのは、「武田家がこの敗戦を契機に自滅するのを待ったから」ということになっています。概ねその通りですが、実際は放っておいてもダメになった訳ではないことがよくわかります。かつて遠州地方で暮らしたことのある身には、実に興味深い内容でした。

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2014年2月22日 (土)

浜松城

Dsc_0717 チェックイン前にホテルにバッグを預け、久しぶりに浜松城へ散歩。12年ぶり、天守に登るとなると24年ぶりでしょうか。
 新たに復元した大手門を入った辺りから見上げた天守ですが、石垣が野面積みでなくなっているのが昔を知る者としては味わいに欠ける感無きにしも非ず、です。
Dsc_0723  よく晴れてはいたものの、午後だけに富士山を遠望するには至らず。でも、城の周囲の景色はあまり変わっていなかったので、若き日々を思い出すのにはうってつけの場所でした。
 天守の北側にある浜松城公園の広場で、結婚式の記念撮影をしているのが見えました。最近の流行かと思いましたが、後で事情に詳しい人に聞いたところによれば、公園の管理は浜松市が公園北側に隣接するホテルコンコルド浜松に委託するようになったとのこと。それで、ホテル側がこんなサービスをすることができるようになったようです。
 地方自治体の財政にとって、施設の管理費は馬鹿にならなくなっているそうで、僕がいた頃は地方交付税の不交付団体だったのを思うと、時代が変わったことを感じさせられます。
 天守を一回りして西側に来ると、こちらには野面積みの石垣が残っていました。この武骨な雰囲気が浜松城らしさだと思うんですけどねぇ。

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2007年9月 1日 (土)

名古屋城

 9月1日(土)
 今日の会議も午後からなので、朝一で名古屋城 を見に行く。昨日と打って変わった好天、青空に金の鯱が映える様子が楽しみ。
 地下鉄・市役所駅から近い東門から入る。リーフレットを読んで、恥ずかしながら初めて知ったのですが、あの鯱、雄と雌の対で、大きさや鱗の枚数が違うんだそうです。同じ鯱が左右対称に配されているのだとばかり思っていました。ちなみに、北側が雄で南側が雌とのこと。
 ここの天守も空襲で焼け落ちてしまったのを戦後、コンクリート製で再建されたものですけど、「尾張名古屋は城でもつ」と言われたほどですから、その姿を再現していることは大きな意味があると思います。内部は大阪城天守閣と同様、途中階まではエレベーター、そこから最上階までは階段で上がる。
 眺めを楽しんだ後、展示は飛ばしつつ見て、戦災を免れた重要文化財・西南隅櫓などを見物。帰りは西側にある正門から出たけど、言われている通り、天守の姿は西南方向からが素晴らしい。
 名古屋での会議が終わった後、そのまま次の出張先の札幌へ。おかげで、こんなことがなければ来ることがなかったであろうセントレア (中部国際空港)に行くことができました。
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 写真は、雌(南側)の鯱。雄より鱗の枚数は14枚多いけど、高さは約4センチ低く、重さも57キロほど軽いそうです。

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