2009年10月25日 (日)

トーセンファントム

 菊花賞は狙ったフォゲッタブルがハナ差2着に敗れ、スッテンテン。とはいえ、あの走りなら、近いうちに名牝エアグルーヴの息子として初の重賞制覇を達成するでしょうし、姉アドマイヤグルーヴに続くG1制覇も夢ではありません。
 ところで、今年初めて参加したペーパーオーナーゲーム「P−1グランプリ 」で指名した馬の1頭であるトーセンファントムが24日、東京の2歳オープン「いちょうステークス」を快勝し、これで2戦2勝となりました。2戦とも1番人気じゃなかったから、ご祝儀でも単勝を買っていればちょっとした儲けだったのに、出走していたことさえ知らなかったとは…。ペーパーオーナー失格ですね。
 父ネオユニヴァース、母はアグネスゴールドの半姉、母の父トニービンと血統の背景も十分。いちょうSはシンボリルドルフやエアグルーヴが勝った由緒あるレースだし、このまま順調にステップアップして来年のクラッシック戦線を賑わせてくれることを期待しています。

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2009年7月19日 (日)

初出走

 ペーパーオーナーゲーム(POG)に初めて参加し、指名馬の1頭マックスストレインが新潟6Rの新馬戦に出走した。3番人気に支持されるも12着に惨敗。ダービースタリオンで初めて遊んだ時と同じく、全く仮想のことなのに本当に自分が持っている馬のようにドキドキしてしまう。残る指名馬のうち5頭はいまだ馬名も決まっておらず、いったいどうなるのか心配ですけど、ともかくも初勝利を挙げてくれるのを願うばかり。
 ついでにちょっとだけ買った重賞「アイビスサマーダッシュ」が珍しく当たり、定額給付金ぐらいの儲けになった。嬉しい。
 そういえば、なんとイグノがジュビロに復帰するとのこと。喜ばしいことには違いないけど、こんなことなら何で僕たちが観戦した試合だけ(でもないけど)出なかったんだよと、文句の一つも言いたい気分でもあります。でも、頑張ってくれよ〜!

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2009年5月 1日 (金)

新しいSTB

090501stb デジタル放送のテレビ番組録画のため、BDレコーダー兼PCとして富士通のFMV-TEOがわが家にやってきたのは3月14日のこと。残念なことに、CATVのチューナーと直結することはできないので、当面は地デジ専用のレコーダーとして使うことにした。
 しかし、何たること。その数日後、契約しているCATV局のHPを何気なく見ると、DVD録画機能付きのセットトップボックス(STB、いわゆるチューナーのことです)のレンタルを始めるという。利用料は月額1500円。比べてもしょうがないけど、TEOが18万円強だったから、10年分ってことになります。
 TEOでの編集はかなり面倒なことや、BSデジタルやCSに魅力的な番組が増えた(「チャンネル銀河 」がいいと思うのは、人生下り坂なんだろうけど)せいもあり、結局、新STBを導入することに。CATV局によれば、爆発的な人気で生産が追いつかなかったそうで、約1か月待ちの末、本日ようやく導入と相成ったのでした(写真、上から2段目が新STB)。
 何とも複雑な思い。別にブルーレイなんてなくてもよかったし、WindowsPCも必要としていなかった。新STBレンタル開始のアナウンスがあと半月早ければ、と思わずにはいられません。
 とはいえ、新STBで最初に録画したのが、BS-hiで放映した「シービスケット 」だったのは、競馬ファンの僕にとってはよかった。大阪で暮らしていた2004年3月に公開され、仕事帰りに梅田の映画館へ観に行ったのに、前半で少し眠ってしまったことを思い出す。ライバル騎手役を演じたアメリカのトップジョッキー、ゲイリー・スティーブンス の演技は、改めて観てもなかなか味がありました。
 それにしても、シービスケット公開の年に日本ダービーを勝ったキングカメハメハの子がもうダービーに出走する年になってるんだからな〜。個人的に、下り坂感の加速度アップを感じずにはいられない。3日の天皇賞に、キングカメハメハと同期でダービー制覇を期待したコスモバルクが「老雄」として出走するのも、いろいろな人生、いや馬生を感じさせられます。

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2009年3月29日 (日)

ウオッカ7着

 競馬の国際競走「ドバイ・デューティー・フリー」(G1、1777m)が28日、アラブ首長国連邦(UAE)のドバイ、ナド・アル・シバ競馬場で行われ、日本から遠征したウオッカ(武豊騎乗)は7着に敗れた。
 ウオッカは好スタートから2番手を追走。直線を向いて武豊騎手が追い出すと、いったんは逃げるグラディアトゥーラスとの差を詰めるかに見えたが、ゴール前で失速し、後続に交わされた。
 レース後のインタビューで、武豊騎手は「状態もよく、いい感じで直線に向いたんですが、どうしたのかなって感じで…」と、これといった敗因が思い当たらない様子で答えていた。
 多少離されていたとはいえ、楽に2番手を追走し、前走のように内に閉じ込められる心配もなさそうだったので、これはウオッカに勝機があるかと思った。前が開けていれば、爆発力のある末脚を発揮するのに、このレースではその片鱗も見せなかった。あるいは、息の入りにくい一定のペースで追いかける展開だったことが、脚を失う一因だったのかもしれない。

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2009年3月 6日 (金)

ウオッカ5着

 ドバイ・ナドアルシバ競馬場で行われた国際競走「ジュベルハッタ」(G2)で、日本から遠征したウオッカ(武豊)は、1番人気に推されたものの5着に終わった。
 日本時間午前3時45分発走のレースをグリーンチャンネルで生中継していたのを観戦。前日が不寝番明けだったので、帰宅して午後3時から寝てしまい、0時半過ぎに起きる不規則きわまりない生活ゆえ、できたこと。我ながら物好きなことだ。
 今回のレースは3月28日のドバイミーティング「デューティーフリー」(G1)のトライアル。ウオッカは好スタートから最内で4、5番手を進み、直線に向いた時は3番手あたり。武豊騎手の手は全く動かず、前がバテたらちょっと抜け出そうかって感じだったが、案に反して前に行っていた馬がもってしまい、あと200mで追い出した時にはウオッカのエンジンがかからなかった印象。
 陣営はあくまで前哨戦と、昔風の「本馬場調教」と割り切っていたのかもしれない。安田記念を勝った時のイメージでレースを進めていただけに、その気になれば抜け出して勝てたのかもしれないけど、ウオッカは爆走してしまうタイプだけに、本番に備えてそーっとしておいたのだとみたい。
 武豊とウオッカって、どこか噛み合ないところがあるのが心配と言えば心配ですが。

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2009年1月10日 (土)

年末年始

 年末から年明けにかけての出来事、妄想はこんな具合でした。

 28日(日)=有馬記念
 惨敗。ちょっとだけダイワスカーレットの単勝を買っていたけど、焼け石に水。焼け石覚悟なら、ダイワ1着固定の3連単100円総流し2万1000円で配当98万円か。後の祭りだ。エアシェイディには流していただけに、悔いが残る。

 29日(月)=船橋健康センター
 1年ぶりぐらいに行く。草津温泉産の湯の花を溶かして同じ泉質にした「草津の湯」が売り物だったが、原料が入手できなくなったため、「蔵王の湯」に変わっていた。白濁度は草津よりだいぶ薄くなったけど、硫黄臭が残る割合は増した気がする。

 31日(水)=出勤
 24時間、誰かいないといけない職場だから世間並みの休みはなかなか取れない。今回はいわゆる仕事納めから仕事始めまでの間、計3日の出勤で済むのに加え、3〜7日が冬休み。入社以来、これほど休めたのは初めてのこと。この日もほぼ「居ただけ」でおしまい。
 丸善でポチ袋を買い、高速バスで君津へ。午後7時前、閉店間際の大丸で、おせちセットを値引き販売していた。「あれば何でもいい」という人には狙い目かもしれない。

 1日(木)
 三が日は毎年、教育テレビで朝7時から「狂言」の番組がある。実家のDVDレコーダーで録画しようとしたら失敗。ディスクを見ることはできるので、録画機能がいかれてきたらしい。あまり使っていないとはいえ、買って8年だしな。

 2日(金)=箱根駅伝往路
 帰省先の君津から早朝出勤。普段でも同じ電車に乗ることはあるものの、東京に着くまで空いた席があったのはこの時期ならでは。大手町の勤務先に着いたら、箱根駅伝のスタートを見に来た同僚一家とバッタリと出会い、年始のごあいさつ。受験を控えた一番上の子のため、湯島天神に初詣でするとか。仲の良い家族でうらやましい。仕事といったら、駅伝のテレビ観戦みたいなもの。東洋大の優勝はよかった。

 4日(日)=中山金杯
 ダイワスカーレットの快走からまだ1週間しかたっていないのが信じられない感じ。あれからほぼ休みだったせいかな。運試しで金杯に挑戦したけど、カスリもせず。

 5日(月)=南房総富浦ロイヤルホテル泊
 あまりにヒマなので、両親の骨休めを兼ねて富浦へ。和室を頼んだら、ここも羽毛の掛け布団だった。暖房を止めて寝ても暑いの何の。結局、親子そろって寝不足になりに来たようなもの。金輪際、和室に泊まるのはやめることにする。

 6日(火)=AOKI
 富浦からの帰途、金谷港近くの回転寿司「船主」に寄る。それほど空腹ではなかったのに、地魚中心のここに来ると、それなりに食べてしまう。
 君津に戻った後、久しぶりにスーツを買う。十年来、ブランド系には見向きもせず、専ら紳士服チェーンのAOKIを愛用している。太ったせいで、サイズに限りのあるブランド物は様にならないのよ。そこへいくと、紳士服チェーンはサイズが豊富だから、いくらかは不格好な体形もカバーできる。しかし、B体とはねぇ〜。成人式前に初めてスーツを買ってもらった時はYA体だったのが自分でも信じられん。

 8日(木)というか9日(金)未明
0901101_3  10日ぶりに我が家に戻る。1年前に船橋らん展で買ったセロジネと、暮れに実家から父に持ってきてもらった胡蝶蘭(=写真)が開花していた。昨年、6年ぶりに咲いたと大騒ぎしてしまったパフィオディラムも花茎を伸ばしつつある。こちらが咲くのは月末ぐらいかな。
 ようやく目にした年賀状の束に、盛岡当時に知り合った学校の先生の訃報がまじっていた。まだ65歳。不登校の子が通う教室でベテランの味を生かした指導をなさっていた方だった。合掌。

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2008年11月 2日 (日)

第138回天皇賞

 たった2センチ差だったという。いっそ同着としたほうが後世、この名牝2頭の勝負はより熱く語り継がれたはずだ。
 昨年、牝馬として64年ぶりにダービーを制し、今年も安田記念で牡馬を蹴散らしたウオッカ。そのウオッカに3度も先着しているダイワスカーレット。故障休養明けとはいえ、出走する以上は万全とみて、予想は◎ダイワスカーレット ○ウオッカの順。
 ゴールの瞬間はダイワスカーレットが残ったかに見えたが、グリーンチャンネルの決勝線映像を見るとウオッカが交わしているようにも。これだけの名勝負を目の当たりにしては、もうどっちの勝ちでもよかった。
 写真判定の結果が出るまで10分以上かかった。これほど長かったのは、タケホープとハイセイコーの菊花賞(昭和48年。話が古過ぎか)以来かもしれない。
 名勝負の陰の演出者は、首差3着だった今年のダービー馬ディープスカイの四位ジョッキーかもしれない。直線で外のウオッカに寄せていたら、おそらくウオッカはひるんで3着以下に落ちただろう。直線坂下では一瞬、そんな場面があった。真っ直ぐ走らせた四位ジョッキーのフェアプレーを賞賛したい。
 これで牡馬相手にG1級3勝(通算4勝)としたウオッカの偉業を讃えぬ者はいないだろう。そして「敗れてなお強し」という言葉が、今日のダイワスカーレットよりも当てはまる場面を見る日は、長くてもあと40年くらいであろうわが生涯のうちにはきっと来ない。
 この名牝2頭とディープスカイの3強が今後、再び戦うレースは、ひょっとするともうないのかもしれないのは、何とも惜しいことだ。

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2008年3月29日 (土)

日経賞

 わりと近くに住んでいながら、中山競馬場に出撃する機会は限られていて、秋のオールカマーと春の日経賞を見に来ることが多い。
 今日はその日経賞。出て来る気になったのは、昨年の有馬記念を制したマツリダゴッホが出走するからでした。
 どうも日経賞は相性のよくないレースで、これまでグラスワンダー、マンハッタンカフェ、ゼンノロブロイと、G1レースを3勝以上するような名馬の単勝を、「倍率は低くても絶対勝つんだから」とそこそこ買い込み、雲散霧消させてしまった苦い思い出ばかりが残っています。
 「人気薄で具合のよさそうな馬、いないかな」とパドックで写真を撮りながら見比べていたものの、ピンと来る馬はない。結局は本命党の悲しさ、マツリダゴッホの単勝を勝ったのでした。
080329_3
 結果はご覧の通り、マツリダゴッホが直線に入って独走。こんなに強くなったとはねえ。

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ユキチャン

080329_2 ちゃんと全身が入ってなくて申し訳ないのですが、この馬の名前はユキチャン。9Rの「ミモザ賞」に出走していた珍しい白毛馬です。
 普通、白っぽく見える毛色は「芦毛(正しくは葦毛)」といい、多少なりとも黒い毛が混じっています。年齢とともに、黒い毛の割合が減ってゆき、白馬っぽくなるのです。ユキチャンの父・クロフネも芦毛でした。
 これに対し、白毛は生まれた時点でほとんど白い毛しかありません。わが国ではこれまでに二十数頭しか生まれておらず、競馬場に足繁く通っても、そうそうお目にかかれるわけではないのです。
 ユキチャンは白毛馬としては数少ない、勝ち星を挙げた馬です。珍しいことだから、記念単勝馬券でも買っておこうかとも思ったのですが、つい惜しんでしまったのです。
 それが何たること。ユキチャンは堂々の2勝目を挙げました。相変わらずの馬券下手ぶり。
 条件特別で拍手が起きたのを見たのは初めて。馬券は取れなくても、「何だかみんなよかったなぁ」って雰囲気が漂っていました。

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2007年11月 7日 (水)

「あれから17年 オグリキャップは元気です」

 新国立美術館を出ると、修学旅行らしき中学生や高校生のグループが結構いた。込んでいたとはいえ、少し早かった分、まだましな方だったのだろう。
 ミッドタウンへの道を戻る。信号待ちした交差点で、鮨のランチの案内をもらった。写真で見る限り、相当お得感がある。でも場所がよくわからないので、とりあえず富士フィルムフォトサロンの「あれから17年 オグリキャップは元気です 」を見学へ。
 写真家・内藤律子さんといえば、競馬ファンならたいていその名を耳にしたことのある方。僕が内藤さんの写真展を初めて見たのは、大阪にいた2004年6月のことでしたが、その時に感じた通りの気取りのない方で、その後も大阪のGate.Jや大丸・心斎橋店での写真展でお話しする機会もあって、ファンになった次第。2年ぶりだというのに、受付で記帳したら、僕のことを覚えていらして、ちょっと感激してしまったのでした。
 作品は、惨敗が続いた後に武豊騎乗で劇的な勝利を飾った1990年の有馬記念以降、今年に入ってまでのオグリキャップの様々な表情を捉えています。
071107_2  それにしても白くなったなぁ。デビュー、というか中央入りした当時は、芦毛と書かれていても「どこが?」と思うくらい毛色が黒かったのに、引退する頃は紛れもない芦毛。それが会場内に設けられていた撮影OKな等身大写真(=左)だと、ほぼ白馬。このサービスは大好評で、一緒に写真を撮っている人が結構いた。引退から17年たつのに、忘れずにいるファンがこれほどいるとは。同じ年月を経た後のディープインパクトのファンはどうだろうか。
 僕は純然たる競馬ファンですが、馬そのものが好きかどうかとなると、あまり自信がありません。汗や馬糞の臭いのしないテレビの中で見ているのがほとんどですから。
 内藤さんは、間違いなく馬そのものが好きだって感じが、作品に表れている気がします。
 東京での写真展は終了ですが、名古屋では12月7−13日に開催されます。

 写真展会場を出た後、先ほどの鮨屋さんの案内を配っている別の女性がいたので、場所を聞いて行ってみた。ランチとはいえ、六本木の鮨屋としては破格値かも。その名は蔵六鮨西店

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