2009年10月25日 (日)

トーセンファントム

 菊花賞は狙ったフォゲッタブルがハナ差2着に敗れ、スッテンテン。とはいえ、あの走りなら、近いうちに名牝エアグルーヴの息子として初の重賞制覇を達成するでしょうし、姉アドマイヤグルーヴに続くG1制覇も夢ではありません。
 ところで、今年初めて参加したペーパーオーナーゲーム「P−1グランプリ 」で指名した馬の1頭であるトーセンファントムが24日、東京の2歳オープン「いちょうステークス」を快勝し、これで2戦2勝となりました。2戦とも1番人気じゃなかったから、ご祝儀でも単勝を買っていればちょっとした儲けだったのに、出走していたことさえ知らなかったとは…。ペーパーオーナー失格ですね。
 父ネオユニヴァース、母はアグネスゴールドの半姉、母の父トニービンと血統の背景も十分。いちょうSはシンボリルドルフやエアグルーヴが勝った由緒あるレースだし、このまま順調にステップアップして来年のクラッシック戦線を賑わせてくれることを期待しています。

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2009年7月19日 (日)

初出走

 ペーパーオーナーゲーム(POG)に初めて参加し、指名馬の1頭マックスストレインが新潟6Rの新馬戦に出走した。3番人気に支持されるも12着に惨敗。ダービースタリオンで初めて遊んだ時と同じく、全く仮想のことなのに本当に自分が持っている馬のようにドキドキしてしまう。残る指名馬のうち5頭はいまだ馬名も決まっておらず、いったいどうなるのか心配ですけど、ともかくも初勝利を挙げてくれるのを願うばかり。
 ついでにちょっとだけ買った重賞「アイビスサマーダッシュ」が珍しく当たり、定額給付金ぐらいの儲けになった。嬉しい。
 そういえば、なんとイグノがジュビロに復帰するとのこと。喜ばしいことには違いないけど、こんなことなら何で僕たちが観戦した試合だけ(でもないけど)出なかったんだよと、文句の一つも言いたい気分でもあります。でも、頑張ってくれよ〜!

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2009年5月 1日 (金)

新しいSTB

090501stb デジタル放送のテレビ番組録画のため、BDレコーダー兼PCとして富士通のFMV-TEOがわが家にやってきたのは3月14日のこと。残念なことに、CATVのチューナーと直結することはできないので、当面は地デジ専用のレコーダーとして使うことにした。
 しかし、何たること。その数日後、契約しているCATV局のHPを何気なく見ると、DVD録画機能付きのセットトップボックス(STB、いわゆるチューナーのことです)のレンタルを始めるという。利用料は月額1500円。比べてもしょうがないけど、TEOが18万円強だったから、10年分ってことになります。
 TEOでの編集はかなり面倒なことや、BSデジタルやCSに魅力的な番組が増えた(「チャンネル銀河 」がいいと思うのは、人生下り坂なんだろうけど)せいもあり、結局、新STBを導入することに。CATV局によれば、爆発的な人気で生産が追いつかなかったそうで、約1か月待ちの末、本日ようやく導入と相成ったのでした(写真、上から2段目が新STB)。
 何とも複雑な思い。別にブルーレイなんてなくてもよかったし、WindowsPCも必要としていなかった。新STBレンタル開始のアナウンスがあと半月早ければ、と思わずにはいられません。
 とはいえ、新STBで最初に録画したのが、BS-hiで放映した「シービスケット 」だったのは、競馬ファンの僕にとってはよかった。大阪で暮らしていた2004年3月に公開され、仕事帰りに梅田の映画館へ観に行ったのに、前半で少し眠ってしまったことを思い出す。ライバル騎手役を演じたアメリカのトップジョッキー、ゲイリー・スティーブンス の演技は、改めて観てもなかなか味がありました。
 それにしても、シービスケット公開の年に日本ダービーを勝ったキングカメハメハの子がもうダービーに出走する年になってるんだからな〜。個人的に、下り坂感の加速度アップを感じずにはいられない。3日の天皇賞に、キングカメハメハと同期でダービー制覇を期待したコスモバルクが「老雄」として出走するのも、いろいろな人生、いや馬生を感じさせられます。

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2009年3月29日 (日)

ウオッカ7着

 競馬の国際競走「ドバイ・デューティー・フリー」(G1、1777m)が28日、アラブ首長国連邦(UAE)のドバイ、ナド・アル・シバ競馬場で行われ、日本から遠征したウオッカ(武豊騎乗)は7着に敗れた。
 ウオッカは好スタートから2番手を追走。直線を向いて武豊騎手が追い出すと、いったんは逃げるグラディアトゥーラスとの差を詰めるかに見えたが、ゴール前で失速し、後続に交わされた。
 レース後のインタビューで、武豊騎手は「状態もよく、いい感じで直線に向いたんですが、どうしたのかなって感じで…」と、これといった敗因が思い当たらない様子で答えていた。
 多少離されていたとはいえ、楽に2番手を追走し、前走のように内に閉じ込められる心配もなさそうだったので、これはウオッカに勝機があるかと思った。前が開けていれば、爆発力のある末脚を発揮するのに、このレースではその片鱗も見せなかった。あるいは、息の入りにくい一定のペースで追いかける展開だったことが、脚を失う一因だったのかもしれない。

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2009年3月 6日 (金)

ウオッカ5着

 ドバイ・ナドアルシバ競馬場で行われた国際競走「ジュベルハッタ」(G2)で、日本から遠征したウオッカ(武豊)は、1番人気に推されたものの5着に終わった。
 日本時間午前3時45分発走のレースをグリーンチャンネルで生中継していたのを観戦。前日が不寝番明けだったので、帰宅して午後3時から寝てしまい、0時半過ぎに起きる不規則きわまりない生活ゆえ、できたこと。我ながら物好きなことだ。
 今回のレースは3月28日のドバイミーティング「デューティーフリー」(G1)のトライアル。ウオッカは好スタートから最内で4、5番手を進み、直線に向いた時は3番手あたり。武豊騎手の手は全く動かず、前がバテたらちょっと抜け出そうかって感じだったが、案に反して前に行っていた馬がもってしまい、あと200mで追い出した時にはウオッカのエンジンがかからなかった印象。
 陣営はあくまで前哨戦と、昔風の「本馬場調教」と割り切っていたのかもしれない。安田記念を勝った時のイメージでレースを進めていただけに、その気になれば抜け出して勝てたのかもしれないけど、ウオッカは爆走してしまうタイプだけに、本番に備えてそーっとしておいたのだとみたい。
 武豊とウオッカって、どこか噛み合ないところがあるのが心配と言えば心配ですが。

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2009年1月10日 (土)

年末年始

 年末から年明けにかけての出来事、妄想はこんな具合でした。

 28日(日)=有馬記念
 惨敗。ちょっとだけダイワスカーレットの単勝を買っていたけど、焼け石に水。焼け石覚悟なら、ダイワ1着固定の3連単100円総流し2万1000円で配当98万円か。後の祭りだ。エアシェイディには流していただけに、悔いが残る。

 29日(月)=船橋健康センター
 1年ぶりぐらいに行く。草津温泉産の湯の花を溶かして同じ泉質にした「草津の湯」が売り物だったが、原料が入手できなくなったため、「蔵王の湯」に変わっていた。白濁度は草津よりだいぶ薄くなったけど、硫黄臭が残る割合は増した気がする。

 31日(水)=出勤
 24時間、誰かいないといけない職場だから世間並みの休みはなかなか取れない。今回はいわゆる仕事納めから仕事始めまでの間、計3日の出勤で済むのに加え、3〜7日が冬休み。入社以来、これほど休めたのは初めてのこと。この日もほぼ「居ただけ」でおしまい。
 丸善でポチ袋を買い、高速バスで君津へ。午後7時前、閉店間際の大丸で、おせちセットを値引き販売していた。「あれば何でもいい」という人には狙い目かもしれない。

 1日(木)
 三が日は毎年、教育テレビで朝7時から「狂言」の番組がある。実家のDVDレコーダーで録画しようとしたら失敗。ディスクを見ることはできるので、録画機能がいかれてきたらしい。あまり使っていないとはいえ、買って8年だしな。

 2日(金)=箱根駅伝往路
 帰省先の君津から早朝出勤。普段でも同じ電車に乗ることはあるものの、東京に着くまで空いた席があったのはこの時期ならでは。大手町の勤務先に着いたら、箱根駅伝のスタートを見に来た同僚一家とバッタリと出会い、年始のごあいさつ。受験を控えた一番上の子のため、湯島天神に初詣でするとか。仲の良い家族でうらやましい。仕事といったら、駅伝のテレビ観戦みたいなもの。東洋大の優勝はよかった。

 4日(日)=中山金杯
 ダイワスカーレットの快走からまだ1週間しかたっていないのが信じられない感じ。あれからほぼ休みだったせいかな。運試しで金杯に挑戦したけど、カスリもせず。

 5日(月)=南房総富浦ロイヤルホテル泊
 あまりにヒマなので、両親の骨休めを兼ねて富浦へ。和室を頼んだら、ここも羽毛の掛け布団だった。暖房を止めて寝ても暑いの何の。結局、親子そろって寝不足になりに来たようなもの。金輪際、和室に泊まるのはやめることにする。

 6日(火)=AOKI
 富浦からの帰途、金谷港近くの回転寿司「船主」に寄る。それほど空腹ではなかったのに、地魚中心のここに来ると、それなりに食べてしまう。
 君津に戻った後、久しぶりにスーツを買う。十年来、ブランド系には見向きもせず、専ら紳士服チェーンのAOKIを愛用している。太ったせいで、サイズに限りのあるブランド物は様にならないのよ。そこへいくと、紳士服チェーンはサイズが豊富だから、いくらかは不格好な体形もカバーできる。しかし、B体とはねぇ〜。成人式前に初めてスーツを買ってもらった時はYA体だったのが自分でも信じられん。

 8日(木)というか9日(金)未明
0901101_3  10日ぶりに我が家に戻る。1年前に船橋らん展で買ったセロジネと、暮れに実家から父に持ってきてもらった胡蝶蘭(=写真)が開花していた。昨年、6年ぶりに咲いたと大騒ぎしてしまったパフィオディラムも花茎を伸ばしつつある。こちらが咲くのは月末ぐらいかな。
 ようやく目にした年賀状の束に、盛岡当時に知り合った学校の先生の訃報がまじっていた。まだ65歳。不登校の子が通う教室でベテランの味を生かした指導をなさっていた方だった。合掌。

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2008年11月 2日 (日)

第138回天皇賞

 たった2センチ差だったという。いっそ同着としたほうが後世、この名牝2頭の勝負はより熱く語り継がれたはずだ。
 昨年、牝馬として64年ぶりにダービーを制し、今年も安田記念で牡馬を蹴散らしたウオッカ。そのウオッカに3度も先着しているダイワスカーレット。故障休養明けとはいえ、出走する以上は万全とみて、予想は◎ダイワスカーレット ○ウオッカの順。
 ゴールの瞬間はダイワスカーレットが残ったかに見えたが、グリーンチャンネルの決勝線映像を見るとウオッカが交わしているようにも。これだけの名勝負を目の当たりにしては、もうどっちの勝ちでもよかった。
 写真判定の結果が出るまで10分以上かかった。これほど長かったのは、タケホープとハイセイコーの菊花賞(昭和48年。話が古過ぎか)以来かもしれない。
 名勝負の陰の演出者は、首差3着だった今年のダービー馬ディープスカイの四位ジョッキーかもしれない。直線で外のウオッカに寄せていたら、おそらくウオッカはひるんで3着以下に落ちただろう。直線坂下では一瞬、そんな場面があった。真っ直ぐ走らせた四位ジョッキーのフェアプレーを賞賛したい。
 これで牡馬相手にG1級3勝(通算4勝)としたウオッカの偉業を讃えぬ者はいないだろう。そして「敗れてなお強し」という言葉が、今日のダイワスカーレットよりも当てはまる場面を見る日は、長くてもあと40年くらいであろうわが生涯のうちにはきっと来ない。
 この名牝2頭とディープスカイの3強が今後、再び戦うレースは、ひょっとするともうないのかもしれないのは、何とも惜しいことだ。

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2008年3月29日 (土)

日経賞

 わりと近くに住んでいながら、中山競馬場に出撃する機会は限られていて、秋のオールカマーと春の日経賞を見に来ることが多い。
 今日はその日経賞。出て来る気になったのは、昨年の有馬記念を制したマツリダゴッホが出走するからでした。
 どうも日経賞は相性のよくないレースで、これまでグラスワンダー、マンハッタンカフェ、ゼンノロブロイと、G1レースを3勝以上するような名馬の単勝を、「倍率は低くても絶対勝つんだから」とそこそこ買い込み、雲散霧消させてしまった苦い思い出ばかりが残っています。
 「人気薄で具合のよさそうな馬、いないかな」とパドックで写真を撮りながら見比べていたものの、ピンと来る馬はない。結局は本命党の悲しさ、マツリダゴッホの単勝を勝ったのでした。
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 結果はご覧の通り、マツリダゴッホが直線に入って独走。こんなに強くなったとはねえ。

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ユキチャン

080329_2 ちゃんと全身が入ってなくて申し訳ないのですが、この馬の名前はユキチャン。9Rの「ミモザ賞」に出走していた珍しい白毛馬です。
 普通、白っぽく見える毛色は「芦毛(正しくは葦毛)」といい、多少なりとも黒い毛が混じっています。年齢とともに、黒い毛の割合が減ってゆき、白馬っぽくなるのです。ユキチャンの父・クロフネも芦毛でした。
 これに対し、白毛は生まれた時点でほとんど白い毛しかありません。わが国ではこれまでに二十数頭しか生まれておらず、競馬場に足繁く通っても、そうそうお目にかかれるわけではないのです。
 ユキチャンは白毛馬としては数少ない、勝ち星を挙げた馬です。珍しいことだから、記念単勝馬券でも買っておこうかとも思ったのですが、つい惜しんでしまったのです。
 それが何たること。ユキチャンは堂々の2勝目を挙げました。相変わらずの馬券下手ぶり。
 条件特別で拍手が起きたのを見たのは初めて。馬券は取れなくても、「何だかみんなよかったなぁ」って雰囲気が漂っていました。

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2007年11月 7日 (水)

「あれから17年 オグリキャップは元気です」

 新国立美術館を出ると、修学旅行らしき中学生や高校生のグループが結構いた。込んでいたとはいえ、少し早かった分、まだましな方だったのだろう。
 ミッドタウンへの道を戻る。信号待ちした交差点で、鮨のランチの案内をもらった。写真で見る限り、相当お得感がある。でも場所がよくわからないので、とりあえず富士フィルムフォトサロンの「あれから17年 オグリキャップは元気です 」を見学へ。
 写真家・内藤律子さんといえば、競馬ファンならたいていその名を耳にしたことのある方。僕が内藤さんの写真展を初めて見たのは、大阪にいた2004年6月のことでしたが、その時に感じた通りの気取りのない方で、その後も大阪のGate.Jや大丸・心斎橋店での写真展でお話しする機会もあって、ファンになった次第。2年ぶりだというのに、受付で記帳したら、僕のことを覚えていらして、ちょっと感激してしまったのでした。
 作品は、惨敗が続いた後に武豊騎乗で劇的な勝利を飾った1990年の有馬記念以降、今年に入ってまでのオグリキャップの様々な表情を捉えています。
071107_2  それにしても白くなったなぁ。デビュー、というか中央入りした当時は、芦毛と書かれていても「どこが?」と思うくらい毛色が黒かったのに、引退する頃は紛れもない芦毛。それが会場内に設けられていた撮影OKな等身大写真(=左)だと、ほぼ白馬。このサービスは大好評で、一緒に写真を撮っている人が結構いた。引退から17年たつのに、忘れずにいるファンがこれほどいるとは。同じ年月を経た後のディープインパクトのファンはどうだろうか。
 僕は純然たる競馬ファンですが、馬そのものが好きかどうかとなると、あまり自信がありません。汗や馬糞の臭いのしないテレビの中で見ているのがほとんどですから。
 内藤さんは、間違いなく馬そのものが好きだって感じが、作品に表れている気がします。
 東京での写真展は終了ですが、名古屋では12月7−13日に開催されます。

 写真展会場を出た後、先ほどの鮨屋さんの案内を配っている別の女性がいたので、場所を聞いて行ってみた。ランチとはいえ、六本木の鮨屋としては破格値かも。その名は蔵六鮨西店

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2006年11月26日 (日)

流鏑馬

 11月26日(日)
 本当はジャパンカップ観戦のため東京競馬場に出撃、のはずだったけど、前日の不寝番の影響で12時間睡眠となってしまって、遠出は断念。かわりに、自転車で15分の中山競馬場で披露された流鏑馬を見に行った。
 流鏑馬というと、鎌倉・鶴岡八幡宮や、京都の葵祭の際に下鴨神社で催される行事が有名ですが、あいにく見たことがありません。今回は、鶴岡八幡宮などで流鏑馬を披露する武田流弓馬道の皆さんが、その妙技を見せてくれました。
 テレビで見ると、「あんな近くの的、外れっこないじゃん」って感じですが、実際に見てみると、手綱を離して馬を駆るだけでも大変なのに、一瞬だけしかチャンスがない的を射るのは相当難しいのが嫌でもわかります。
 競馬風に言うと、1ハロン(約200m)で三つの的を撃ちます。初めの二つを続けて的中しても、三つめは背負った筒から矢を抜いて弓を構えること自体ができないことが目立ちました。全力疾走の馬を、両脚で馬体を挟んでいるだけで乗るだけでも大変なんだから、3連続的中となると、まず困難なのかもしれません。

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 上の写真は「見事的中」した場面ですが、肝心のジャパンカップは当方期待のハーツクライが惨敗してしまい、大外れ。馬券はともかく、凱旋門賞失格のディープインパクトが勝った(本来の強さをいかんなく発揮した、とは思えなかったけど)のは喜ばしい限り。僕は「同じ馬に続けて負けない(=先着を許さない)」ことが名馬と呼ばれる条件だと思っていますが、ハーツクライに雪辱したディープインパクトも、これで名馬だと証明してくれました。

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2006年10月24日 (火)

三冠の難しさ

061024 10月24日(火)
 録画しておいた『プレミアム10「今日までそして明日から~吉田拓郎・35000人の同窓会」 』(NHK)を見る。「伝説の」つま恋コンサート復活なんて、本当はやってほしくなかったのですが、開演冒頭の拓郎のしゃべりを聞いただけで、やってよかったんだなあと、コロッと変わってしまった。
 31年前は千葉県の中学2年生。行くも何もなかったけど(高校生だった姉は、学校で「行くな」と注意があったという)、あの時行けなかった悔しい思いを今、果たせた人たちがたくさんいたのを見ると、よかったなあと思わずにはいられません。
 あの年、皐月賞とダービーを制したカブラヤオーが脚の故障で菊花賞を断念した。三冠馬になることの困難さを痛感したものでした。この30年で、ミスターシービー、シンボリルドルフ、ナリタブライアン、ディープインパクトと4頭が夢の三冠を達成し、カツトップエース、トウカイテイオー、ミホノブルボン、ネオユニヴァースの4頭の夢が破れた。
 おととい、三冠馬の栄光に挑戦したメイショウサムソンは4着に完敗。残念だけど、勝ったソングオブウインドがエルコンドルパサー最後の産駒だったのは素直に喜びたい。たった3世代しか残せずに早世した凱旋門賞2着馬の血筋が、これで残っていく。
 この30年、初めて勝った重賞が菊花賞だった馬は、ほとんどが複数のG1レースを制する名馬になった。ソングオブウインドにも期待したいし、メイショウサムソンにも復活を望みたい。
 (写真は、東山魁夷記念館前で咲いていたバラ)

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2006年10月 9日 (月)

凱旋門賞観戦へ

 9月28日(木)
 何と13年ぶりの海外旅行へ。目指すはパリ・ブローニュの森にあるロンシャン競馬場。ディープインパクトの凱旋門賞制覇をこの目で確かめるために。
 もう十時間以上も飛行機に乗っているのが嫌で、海外旅行から遠ざかっていたのだけど、こういうビッグチャンスとなればそうも言っていらず、近畿日本ツーリストの観戦ツアーに申し込んだ。あいにくのロンドン経由便。エコノミークラスで耐えられるのだろうか。
 集合時間より早めに成田に着き、個人チェックインだったのを幸いに、せめて座席は通路側を確保した。トイレぐらい気を使わずに行きたいし。
 座席は狭く、とても寝られたもんじゃなかった。でも、退屈はしなかった。エコノミークラスでもオンデマンドビデオがあるんですね、最近の飛行機には。「ダ・ヴィンチ・コード」「ダ・ヴィンチ・コードの謎」あと何だったかな、もう1本映画を見て、ついでに落語も聴いているうちに、ロンドンに到着。
 ヒースロー空港では乗り継ぎの際、本当に靴まで脱がされてチェックを受けた。面倒だったけど、わが平和ボケぶりを実感しないでもない。ただ、ここで軽食を摂っておかなかったのが、後で響くとは思わなかった。
 予定通り、現地時間の夜9時過ぎ、パリ・ドゴール空港に着いた。ここで不幸な事に、同じツアーの方で荷物が出てこないトラブルが発生。1時間以上待たされた末、ホテルに投宿したのは11時半頃だったろうか。寝不足、空腹、喉カラカラでストレスがたまったけど、トラブルに遭った当事者の気の毒さを思えば、文句は言えない。
 で、翌日のオプショナルツアーの集合時間が朝の6時50分だと。モーニングコールの設定の仕方もわからず、とにかく目が覚めることを祈って寝た。
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 成田から乗ったのは777だったけど、機内サービスの進化ぶりにはたまげました

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シャンティィ調教場

 9月29日(金)
 目覚まし時計なしでも、どうにか6時過ぎに起きることができ、ホテル1階のレストランで、たぶん13時間ぶりぐらいの食事にありつく。
 オプショナルツアーで行くのは、パリの北約40キロにあるシャンティィ。競馬場はもちろん、フランス随一の調教場がある街で、ディープインパクトもここにある厩舎に滞在している。
 しかしまた、何で日が上るか上らないかって時間に、わざわざ出発するんだろうか。フランス馬の調教を見物するって事情はもちろんだったが、添乗員さんの話では、渋滞に巻き込まれたくないのが最大の理由だとのこと。朝の7時っから渋滞とは、フランス人も日本人とたいして変わらない働きバチぶりなんだろうか。
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 これがシャンティィの調教場。隊列の馬たちは、トレーニングを終えて引き揚げてくるところ。ペリエやスミヨンなど、フランスのトップジョッキーが毎年、日本に遠征してくる影響なのか、僕らが日本人観光客とわかると、馬上から「オハヨー!」と日本語で手を振って挨拶してくれた。
 ここを案内してくれたのは、「生きた馬の博物館 」の館長?をしているビアンコーヌさん。添乗員氏がまるで競馬を知らない人だったので、通訳が定かではなかったけど、「息子さんが有名な調教師だそうです」と言っていた。それって、パトリック・ビアンコーヌ調教師のこと? ビアンコーヌ師だってそこそこ年だろうし、このビアンコーヌさんもせいぜい70歳代だろうから、親子ってのは妙な気がしたけど。
 背に「FUSAICHI PEGASUS」のネームが入ったクールモア・スタッドのブルゾンを着ているだけでも、ただ者ではない。口をつく馬名もオールアロングとかトリプティクとか、まさしくビアンコーヌ師が育ててジャパンカップにも連れてきた名馬ばかり。
 シャンティィ競馬場のコース形状の説明でも、「直線の途中に上り坂があり、ゴール前はわずかに下っている点は、東京競馬場に似ている」とコメントしていた。東京競馬場のゴール前がわずかに下っているのを知っているのは、競馬ファンだってほとんどいない(僕も数年前、初めて知った)。よほどの大物とみて、最後に記念撮影をさせていただいた。ミーハーですな、我ながら。
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 こちらがビアンコーヌさん。鼻をすり寄せているのは「アル・カポネ2世」号という、往年の障害レースのチャンピオン

 

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生きた馬の博物館

 9月29日(金)
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 宮殿の一部かと思うようなこの建物が、もともとは厩舎だったとはとても信じられない。シャンティィ には美しい城もありますが、これは城とは別に18世紀頃、当地の領主だった人が「来世は馬になる」と信じ切っていたほどの馬好きで、酔狂の挙げ句、こんな豪華な厩舎を作ったとのこと。今じゃ、フランスでも代表的な18世紀の建物といい、「生きた馬の博物館」として活用されています。
 農耕用の大型馬からポニーまで、文字通り、本物の馬が展示されています。壁などに数々の馬の彫刻が施され、馬具から人形、写真まで、展示室は30以上。フランス語だからわからないけど、ゆっくり見て回ったら一日がかりになりそう。
060929_3  ちょうど僕らの見学時間の間に、屋外の角馬場で、どのようなコミュニケーションをとりながら馬を調教するのかを解説するショーがあった。乗馬が趣味という方もいて、結構、楽しみにしていたみたいだったけど、いかんせんフランス語だけでは何だかさっぱりわからない。添乗員氏が随時、通訳してくれたり、帰りのバスの中で説明してくれたりしたけど、いかんせん、限度があった。馬がよく訓練されているのは見ているだけでよくわかった。
 地元のレストランでお昼。全員が競馬ファンゆえ、初対面でも話が弾む。見ていたフランス人は「日本人は食事中、こんなに話をするのか」と、さぞかし驚いたことだろう。普通はそんなことないけどね。
 (写真=何の花だかわかりませんが、博物館の中庭にて)

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シャンゼリゼ

 9月29日(金)
 午後からシャンティィ競馬場でレースがあり、見てみたかったけど、いかんせん寝不足だし、肝心の凱旋門賞を前に元も子もなくしてしまってはいけないので自重した。バスの窓から、競馬場内でペリエ騎手が日本人観光客との記念写真に気軽に応じているのが見え、惜しいことをした気も。
 シャンティィ観光から戻ってきたのは午後3時半頃。天気もよく、少しパリの街を歩いてみたくなり、地下鉄で凱旋門に出てシャンゼリゼへ。地下鉄切符の自動販売機がタッチパネル式かと思いきやさにあらず、使い方がわからずにまごまごしていたら、学生さんが手助けしてくれた。
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 シャンゼリゼを歩くのは仕事で来た14年前以来のこと。個人的には20年前、大学卒業前の貧乏旅行で訪れた時の方が思い出深い。ノートルダム寺院、旧牢獄のコンシェルジェリー、今は国立ギャラリーとなっている印象派美術館などを回った後に、シャンゼリゼを歩いたのだった。
 あの時は凱旋門を目指して行ったけど、今日は逆方向へ進む。どんなことを話して歩いたのか、思い出そうとしてみたものの、よく覚えていない。フランスの歴史など全く知らない僕は、旅で知り合った彼女の説明に、ただ相槌を打っていただけだったんんだろうか。
 コンコルド広場までやってきて、切手を買うのを忘れていたのに気づいた。ガイドブックを見ると、シャンゼリゼのジョルジュ・サンク駅近くに郵便局があるので、逆戻りする。途中で雨に降られ、雨宿りに飛び込んだ「Quick」というハンバーガーショップで、この際だから夕食を済ませる。どうやら雨も止み、「Quick」のほぼ向かい側にあった郵便局で切手を買い、地下鉄でホテルに帰還。
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 地下鉄駅の構内などには凱旋門賞の大ポスターがずいぶん目立った。これは宿泊したアレジア地区で目にしたもの。

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アンヴァリッドとロンシャン初日

 9月30日(土)
 ロンシャン競馬場へ出発する正午までの間、エッフェル塔に上ってみようと、地下鉄でトロカデロ広場へ。ここからシャイヨー宮へ出て橋を渡ればエッフェル塔の脚もとだ。この辺は14年前に仕事で来た時の現場だったので、また懐かしい。
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 しかし、土曜日とあって、さながら「世界のお上りさん、こんにちわ」状態だった。多少待てば上れるかもしれないけど、下りるのに時間がかかって、集合時間に間に合わない恐れが強く、即断念。学生で来た時はすぐ上れたような覚えがあったけど、あれは2月下旬の平日だったからか。
 せっかく散歩に出たので、行ったことのないアンヴァリッドへ向かう。日本人を見かけない街を歩いていると、まるで自分がパリに慣れた人間のように思ってしまう僕の馬鹿さ加減に苦笑しつつ、どうにか到着。
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 このドーム教会の中に、ナポレオンの棺が安置されており、中を見たかったけど時間の都合で建物を見て回るだけにした。
 午後からのロンシャン競馬場では完敗。「PARIS TURF」という日刊の競馬専門紙を買い、無料配布のレーシングプログラムも見たけど、予想材料は父馬の名前と騎手、近走の着順、単勝オッズだけなのでお手上げだった。デットーリ、スミヨン、ペリエ、武豊ら、知っている騎手だけを組み合わせれば、そこそこの配当をゲットできたレースもあったけど、後の祭りだった。

 印象深かったのは、どのレースでも走り終わって引き揚げてくるすべての馬たちに、フランスのファンたちが惜しみなく拍手を送っていたこと。この日と明日は、トップレベルのG1級のレースが組まれているせいばかりではなく、普段からの習慣なんだろう。海外旅行が気軽に行けるようになった影響もあって、日本でもエスカレーターの片側並びが浸透したように、レースを終えた馬たちへの拍手の習慣も、いつの日か日本でも根付くことを祈りたい。

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ロンシャン競馬場にて

061001 10月1日(日)
 右の写真は9月30日の日刊競馬専門紙「PARIS TURF」に折り込まれていた凱旋門賞特集の表紙。ご覧の通り、旭日を背に凱旋門に上らんとする武豊騎手に対し、その下では前年の覇者ハリケーンラン、有力馬のシロッコ、そしてレイルリンクの3頭を出走させるフランスのファーブル調教師が頭を抱えているという構図。
 フランス語がわからないので、ファーブル調教師のセリフが何と言っているのか不明ですが、地元フランス側としても、ディープインパクトの参戦に、底知れぬ畏怖を感じているのは確かなようです。ヨーロッパ以外の馬に、ついにタイトルをさらわれてしまうのではないか、と。
 今日はロンシャン競馬場の開門が11時なのに合わせて、ホテルを10時に出発。昨日の雰囲気では、自由席ならラフな服装の人も結構いたけど、今日は晴れの一日なので、ネクタイを締めて出かけた。日本出発の前日、どうにか探し当てたディープインパクトの勝負服の配色と同じ青、黄、黒のレジメンタル。実際は水色、金、濃紺だったけど、ほぼそれっぽく見えるし。
 「ヨーロッパの競馬場は基本的に社交場。大挙して押し寄せた日本人がそうと知らずに、勝負服Tシャツなんかで騒ぎまくったら恥だ」とネットでも危惧する声を見たし、添乗員氏もさりげなく注意はしていた。当日、日本人の来場者は5千人とも6千人とも言われていたけど、勝負服Tシャツはせいぜい10人ぐらいしかいなかったと思う。相当の数の人が、事前にネットをチェックしていたのだろうか。
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 場内では、こんな具合に華やかな帽子で着飾った女性たちがかなりいた。この人たちはファッション誌のモデルさんのようだったけど、一般人でも美しい帽子が似合っている女性が目立った。こればかりは日本の女性とて、なかなか追いつけない感じがする。
 もっとも、着物姿で来場した女性も何人かいて、こちらは地元ファンたちから盛んに撮影を頼まれていたようだった。

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凱旋門賞

 10月1日(日)
 5千人とも6千人とも言われるほど、数多くの日本人が押し掛けたロンシャン競馬場は、「日本の競馬場に外国人がたくさんいる」と錯覚するほどだった。
 その錯覚を醸し出したのは、主催者のフランス・ギャロ(日本のJRAみたいな団体)が、特に日本人に対し十分過ぎるサービスをしてくれていたからでしょう。陰ではJRAがずいぶん苦労の多い交渉を重ねたと思われます。
 日本語での場内アナウンス、日本人向け案内所の設置、ディープインパクトの記念単勝馬券を何十枚買っても売り場の女性たちが嫌な顔を見せなかったこと、第2−3レースの間ぐらいだったか、パドックで武豊騎手に抱負を語ってもらう様子を場内スクリーンで放映したことなど、数え上げるときりがないくらい。凱旋門賞の馬場入場では、日本人女性アナウンサーによる各馬の紹介まであった。日本人と同じくらいの人数がいたかもしれないイギリス人向けの、英語のアナウンスさえないのに。
 馬券購入の際、日本人は「7」という字を手書きすると横棒の左端に短く縦線を引きますが、この書き方だとフランス人は「1」と勘違いしやすい。前日に、僕も売り場で問い返されました。このため、第「7」レースの凱旋門賞の記念馬券を買ったつもりが、第「1」レースだったトラブルが続出したらしく、「日本とフランスでは7の書き方が異なります」という日本語アナウンスが流れた。この素早い対応ぶりには本当に驚いた。
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 これが日本人向け案内所の様子。並べばレーシングプログラムや馬券購入用メモ用紙をもらえた。
 偶然のスナップですが、左端のマダムが帽子から何から完璧に着飾っているのに対し、案内所の先頭にいる日本人女性はバッグこそ高そうだけど、旅行者というハンディを差し引いてもおしゃれぶり、特に帽子は見劣ってしまいます(スケープゴートにしてしまい、申し訳ありません)。場所柄を考えてスーツを着込んだ若者たち、全然考えていなかった若者たち、それを写すテレビカメラは報道陣の多さを物語っています。
 日が傾いてきた午後5時20分過ぎ、第7レース「凱旋門賞」の出走馬がコースに入ってきた。NHKのテレビ中継ではカットされていたけど、凱旋門賞に限らず、この2日間のレース前やレース後には、場内に勇壮でやや荘重なメロディのシンフォニー風の曲が流されており、聴いているとだんだん気分が盛り上がってくる。
 5時35分、ゲートが開く。ディープインパクトはいつになく前々でレースを進め、直線ではいったん先頭に立つも、外から並びかけてきたレールリンクに競り負け、さらに脚を伸ばしてきたプライドにも抜かれて3着に終わった。
 この日の3レースで、スタンドから離れた直線1000mコースで「アベイユ・ド・ロンシャン賞」が行われている間、周回コースに設けられていた仮柵が取り外された。圧倒的にインコースが有利になって、前に行った馬が止まらないことが、武豊騎手にいつもの後方待機策をやめさせた一因だったのかもしれない。
 ディープインパクトが競り合いにひるんだ感じもした。サンデーサイレンス産駒のわずかな弱点(接戦にあまり強くない)が、ディープインパクトにも伝わっていたのだろうか。
 「真の名馬とはどんな馬か」という問いかけへの答えはいろいろあり、その人の競馬観が色濃く表れます。僕は「同じ馬に続けて負けない」ことが真の名馬と呼ばれる条件だと思っています。叶うならば、レールリンクやプライド、ハリケーンランには11月のジャパンカップに出走し、ディープインパクトやハーツクライと再び対決してほしいものです。
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 ところで、凱旋門賞を撮影するため、新しいムービーデジカメ「Xacti HD1A 」を持参しました。ハイビジョン画質のムービーを撮れるカメラとしては最も軽く、動画から静止画像を生成するのも簡単といった点に惹かれたのですが、結果的には大失敗。ズームを使ったムービー撮影はブレブレで(撮ってる本人が興奮してるんだから)、見られたものじゃありません。今までムービー撮影なんてしたことがなかったのに、いきなりチャレンジするのは無謀すぎでした。
 (写真は、ムービー画像から抜き出した凱旋門賞直線のデッドヒート)

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モンパルナスタワーからの夜景

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 「試合に負けて勝負に勝った」。凱旋門賞が終わってロンシャン競馬場を後にして(左の写真は、セグウェイで正門近くで交通整理をしていた人。初めて見た)、少々複雑な気分のまま、僕はバスの駐車場へ向かった。
 応援したディープインパクトは武運つたなく敗れたものの、馬券は当たってしまった。前日からの連敗を取り返して余りある配当。帰りのバスの中、多くのツアー参加者がディープインパクトの敗因を語り合う中で、僕はどうも暗くなりきれなくて、妙に居心地がよくなかった。
 この日は夕方になっても、空には雲一つない素晴らしい秋晴れ。ちょっとくたびれていたけど、せっかくだからホテルからそう遠くないモンパルナスタワー (すごい、公式サイトに日本語版がある)へ行くことにした。
 展望台への入場料は大人9ユーロ。56階まで1分程度で到達する高速エレベーターに乗ると、耳が少し痛くなる。日本人は誰もいない。
 パリの夜景を展望するのは初めて。前に来た時は、夜歩きは控えていた。エッフェル塔の派手なイルミネーション、前日の午前中に行ったアンヴァリッドのドーム教会がライトアップされてすぐにわかったが、ほかは全然わからない。日本のようなネオンサインが少ないし、大都市の夜景としては、どちらかと言えば暗い方かもしれない。
 モンパルナスタワーで面白いのは、展望台のさらに上、吹きさらしの屋上へも出られること。大阪に住んでいた時、WTCのイベントでタワー屋上に出た ことがあったけど、やはり風がものすごく強い。スマートな女性だと飛ばされてしまうんじゃないかと心配なくらい。高所恐怖症ではない人には、お薦めの場所です。
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 写真=ブレててすみませんが、エッフェル塔とドーム教会の夜景

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2006年9月12日 (火)

吉永正人師逝く

 9月12日(火)
 「吉永正人」と聞いても、競馬ファン以外でピンと来る人は少ないでしょう。作家・吉永みち子さんの出世作「気がつけば騎手の女房」の、当の騎手ご本人と言われると、「あぁ」とわかってくれる人が多少、増えるでしょうか。競馬を愛した寺山修司が最もひいきにした騎手でもあります。
 昨日のニュースで、個人的には最もびっくりしたのが、今は調教師となった正人師(「師」とは調教師に対する競馬界独特の敬称です)が64歳の若さで亡くなったことでした。
 詳報はサンスポ などが伝える通りですが、最も思い出深いのは、ミスターシービーが19年ぶりの三冠馬になるかどうかがかかった1983年の菊花賞前のこと。思えば大学で落第していたあの頃が、時間もあったせいか、競馬についてあれこれ考えていた時期でした。
 前哨戦で敗れたミスターシービーはどうすれば菊花賞を勝てるのか。それこそレース前の2週間ぐらい、そのことばかり考えていた。後方から進出するレースが持ち味ながら、コーナリングが上手でないミスターシービーにとって、3−4コーナーの間に下り坂がある京都競馬場では、4コーナーで勢い余って大外に振られてしまい、直線で追い上げても届かない恐れが強い。
 「それを避けるには4コーナーを先頭で回るしかない」ってのが当時の僕の結論でしたが、では後ろから行くミスターシービーがどうすれば4コーナーで先頭に立てるのか。これがわからなかった。
 「ひょっとすると、スタートから逃げるのか」とさえ思って注目した菊花賞の
スタート。ミスターシービーはそれまでのレースと同じく、ほぼ最後方待機だった。1周目のスタンド前を通過した段階では、「これじゃ勝てないかもな」と思った。
 ところが、向こう正面から3コーナー前の上り坂に差しかかる辺りで、突如、ミスターシービーは進撃を始める。「引っ掛かった(騎手の制御をきかないこと)のか」と思いきや、上り坂の頂点でピタリと2番手につけた。
 「これがプロの答なのか」。素人考えでは思い浮かばなかった「4コーナーで先頭」策を、かくも鮮やかに成功させてみせるとは。長くいい脚を使えるミスターシービーは4コーナー手前で先頭に立ち、そのまま押し切って19年ぶりの三冠を達成したのでした。
 関西テレビの名実況、杉本清アナウンサーがゴール後、「ミスターシービー、ものすごいレースをしました!」と叫んだものでしたが、僕にはものすごいレースをしたのは吉永騎手の方だとしか思えませんでした。
 「3コーナーの下りで仕掛けたら負け」という菊花賞の定石を覆すどころか、上りで仕掛けて勝ったことについて、寡黙な吉永騎手は「たまたま馬が行く気になっただけ」としか語っていないのは、確か「気がつけば騎手の女房」でも紹介されていたと思う。ご本人はついにそれ以上を言わぬまま逝ってしまったけど、僕はあれこそプロのジョッキー・吉永正人の作戦だったのだと、今でも信じて疑っていません。

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2006年6月25日 (日)

ノーザンホースパーク

 6月12日(月)

 せっかく面白い運転手さんに当たったけど、出発前に昼食を済ませたかったので「にしん御殿」の見学は途中で打ち切り、観光バス駐車場へ戻ってもらった。

 小樽といえば寿司 。北杜夫氏が筆誅を加えた店ももちろん健在で、運転手さんは「昔みたいに客に威張るようなことはありませんよ」と言っていたものの、やはりおっかなかったので、「ここは安心」というふじ鮨 前で降ろしてもらった。バス駐車場に最も近いことが最大の理由だったけど。「旬の握り」1人前2940円。回転寿しかスーパーのパックばかり食べていた身には、結構なお味でした。

 このツアーを選んだ決め手は、ノーザンホースパークの見学が入っていたことだった。競馬歴35年というのに、北海道の牧場一つ見たことがなかったので、牧場そのものではないにせよ、20年前のダービー馬ダイナガリバーなどがいるノーザンホースパークはぜひ見たかったのでした。

 しかし、ここまでどうにかもっていた天気がついに雨。ノーザンホースパークでは生きた馬を見ることもなく、社台ファーム出身の名馬の資料館や買い物でむなしく時間つぶしをして終わった。


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(乗馬シミュレーターのモデルは、社台F中興の祖?ノーザンテーストか)

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2006年5月 2日 (火)

「暴れん坊将軍」

 5月2日(火)
 おとといの天皇賞、ディープインパクトの強さには脱帽でした。出遅れたのに3200mを3分13秒台とは・・・。33年前、あのハイセイコーとタケホープが史上に残る名勝負を繰り広げた菊花賞は、同じ京都競馬場で行われた3000mのレースですが、勝ちタイムは3分14秒台。極端な話、ディープインパクトがハイセイコーやタケホープの200m後ろからヨーイドンでスタートしても、ゴールでは6馬身近く離して大差勝ちってことになります。
 国産サラブレッドがこれほど進化したのを見ることができたのを、一人の競馬ファンとして大いに喜びたいものです。馬券、外れたけど。
 「ディープインパクト」とは、1998年作のアメリカ映画のタイトルに由来した名前です。巨大彗星が地球に衝突して大破局を迎えるまでの日々を描いたパニック映画だそうですが、敬愛する同世代の一人・柳田理科雄氏がその科学性?を「空想科学読本3  」(メディアファクトリー刊)で検証しています。
 この本の中で、やはり天体衝突ものとして取り上げているのが「暴れん坊将軍」の「江戸壊滅の危機! すい星激突の恐怖」でした。
 本日の勤務は夕方からなので少々朝寝坊してしまったのですが、新聞のテレビ欄を見ると、やってるじゃないですか、この回が。天皇賞でディープインパクトがもたらした衝撃が覚めやらぬうちに、彗星激突の回を再放送するとは、テレビ朝日もなかなか憎い手を使ってくれるものです。
 見たのも途中からだったし(でも4分の3ぐらいは間に合った)、録画もできなかったのは残念でした。柳田氏が検証しようとしたのは、まだ地球から遠い段階なのに肉眼ですい星接近を見つけた江戸時代人の視力?でしたが、その妥当性はともかく、時代劇でこういう脚本を書いたこと自体を、個人的には評価したい気持ちです。
 そういえば、この連休中に肉眼で見える!?彗星 が接近するそうです。ディープインパクトってことにならぬよう、情報は国立天文台のHP でどうぞ。

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