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2018年7月23日 (月)

左手生活37日

 6月17日(日)
 前日に引き続き、放送大学の面接授業「富岡製糸場と絹遺産群」を受講。今日はお楽しみの製糸場、高山社、田島弥平旧宅をバスで巡っての見学です。
 車を前橋に置いて、まずは富岡製糸場へ。僕らが高校生だった頃の日本史の教科書には錦絵の写真が載っていたけど、ほとんど同じ実物が残っているとは驚きだ。このことは20年ほど前だったか、泉麻人氏のエッセー集「大人の社会科見学旅行」(だったかな?)で読んで知り、いつかは見たいと思っていた念願がようやくかなったのです。
 世界遺産に決まった当時に比べれば観光客はだいぶ減ったそうですが、僕のように見たいと思いつつまだ見ていない人はいくらでもいるはず。来てみると、明治時代から高度成長期あたりまでに養蚕や絹産業がわが国にとってどれほど大きい存在だったかがよくわかります。その辺がもっと伝われば。見に来る人もまた増えるんじゃないでしょうか。この日は製糸場の動力源だった蒸気の「ブリュナエンジン」を動かすイベントを見学することもでき、ラッキーでした。
 お昼は群馬県で最大級の道の駅「ららん藤岡」で。肉屋さんで注文製造のメンチカツバーガーとカレーパンを買い、なかなかおいしかった。
 午後はまず、養蚕方法の教育機関だった「高山社」(藤岡市)へ。幼少期を過ごした東京都国立市谷保地区も昔は養蚕農家が多かったと母は言いますが、僕は見た覚えが全くありません。「お蚕様」は8年ぐらい前の面接授業で見せてもらいました(数える際の単位が「頭」なのは今回初めて知った)が、蚕棚を見るのは初めて。
 実が成っている桑の木もここで初めて見ました。もしかしたらこれまでにも目にしていたけれども、そうと認識していなかっただけかもしれません。何しろ、小学校で「桑畑」の地図記号は習っても、その実物を見たことはなかったほどだし。
 バスでいったん埼玉県を通り、群馬県ながら利根川南にある伊勢崎市島村地区にある旧田島弥平住宅へ。大きな二階屋。二階の屋根に排気口である「やぐら」がまっすぐつながっているのが島村地区の特徴で、高山社などでは「やぐら」がいくつかに分かれています。養蚕農家の建物としての特徴を知ると、「あそこは昔、養蚕農家だったんだ」とわかるようになるのが、新知識を得た時の楽しみです。
 事故は田島弥平旧宅でおきました。階段の一段目でどうしたことかバランスを崩してしまい、後方へ転倒してしまったのです。とっさに頭を打たないようにし、首に提げていたカメラを守ろうとしたのだとは思いますが、体をかばう際に右手を強くついてしまいました。手首が腫れたから「まずいな」とは思ったものの、指を動かすことができたので「ねんざかな」と判断し、そのまま見学を続行。前橋に戻って解散後、手の痛みをおして車を運転し、太田に戻りました。
 新聞の休日当番医欄を見ると、太田市は整形外科ではありません。市の広報紙を見ると、消防本部に電話すれば整形外科の医師が出ている総合病院を教えてくれるとあり、尋ねると、よりによって自宅から最も遠いイムス太田中央総合病院」だとのこと。電話すると、症状を聞いてから「じゃ来て下さい」となり、X線検査で「右手橈骨(とうこつ)と尺骨の遠位端骨折」と判明しました。手首の両端の骨ってことです。骨折部位がズレていたりすると、手術して金属プレートで固定するそうですが、そういう状態ではないので固定して自然につながるのを1か月ほど待つことに。
 シーネ(添え木)を付ける際、長袖シャツを着たままだったため、帰宅しても脱ぐことができず、夜はそのまま眠る羽目になった。
 6月18日(月)
 朝、徒歩で太田駅へ向かう。駅からタクシーでイムス太田中央総合病院へ行こうと思っていたら、駅北口に病院名の書かれたマイクロバスが止まっていた。無料送迎バスだ。「そりゃそうだろ、あんなに遠くて公共交通機関もないんだから、バスぐらい出さなきゃ患者なんか来やしないだろうな」と思いつつ、ありがたく利用させていただきました。
 先生の見立ては昨日と同じ。シャツを脱ぐためシーネをいったん外して欲しいと要望したら、応じてくれた。
 市役所では会う人ごとにご心配をいただき、その度に無様な説明をするのが情けなかった。昼食は市役所敷地内にある福祉ベーカリー「スワン」で調理パンを買って食べる日々になりそう。
 夕食は「とりせん」八幡町店まで歩いて行って、総菜などを購入。目の前のセブン―イレブン太田高校西店は、雨の日用にとっておかないと。右手は使いづらいので、左手で箸を使う。どうにかインゲンぐらいはつかめるようになった。この時期なのでシャワーだけでも体を洗えるのは助かる。
 6月20日(水)
 自宅から事実上の勤務先である記者クラブのある市役所まで徒歩15分。晴れてて暑いのは辛いけど、雨はまた大変だ。今日は午前中、取材先まで20分ほど雨の中を歩く。いつもならクラブで執筆だけど、ノートパソコンの持ち歩きは重いため、だいたい16時頃に支局へ戻ってから仕事となる。となると、15時台に歩くことになり、晴れてりゃ暑いし、雨なら濡れて不快度が増す。
 買い物も片道10分ほどの歩きなので、1日1万歩はだいたい達成するようになった。走れない以上、せめてこれくらいはしとかないと。
 6月23日(土)
 代理デスクで前橋へ。当然、電車利用。土曜日の朝は伊勢崎駅での東武線とJR両毛線の接続が悪く、20分ほど待たされる。
 デスク業務は無事に終わったが、その時間には終電もとっくに出てしまっているため、前橋駅近くのベルズイン前橋に泊まった。こちらがけが人だったせいはあるにせよ、スタッフがとても親切だったのが印象的だった。翌朝のビュッフェでは、従業員の女性が飲み物などをわざわざ持ってきてくれたばかりでなく、チョコレートまでいただいてしまった。今度利用する時に、何かお返しをしよう。
 6月25日(月)
 毎週月曜日は午前9時に病院でX線撮影をし、患部の経過観察。今日は大泉町で町長の定例記者会見があり、初めて東武小泉線に乗って東小泉駅まで行き、乗り換えて「盲腸線」の終点西小泉駅まで行き、10分ほど歩いて町役場に到着した。骨折しなければやらずじまいになったであろうことができたこと自体はよかったなと、前向きに考えよう。帰りは、これまたお初のコミュニティーバスで太田駅へ。
 6月27日(水)
 昨日から2日間、またしても放送大学の面接授業「次世代自動車産業と環境問題」を受講。初日は群馬学習センターで、前橋駅からバスで向かったら、どうも受講生とおぼしき人が「県民会館前」で降車ブザーを押したので一緒に降りたら、運賃が150円だった。いつもは次の「若宮1丁目」で降りていて、運賃は200円。バス停からの距離はちょっと長いくらいで、明らかに50円差は大きい。勉強になった。って、授業の方はどうした。
 群馬学習センター周辺は飲食店が少ないが、スーパー店内にベーカリーがあり、イートイン席もあるのでここを利用。
 2日目の今日は地元太田にあるSUBARUの迎賓館、というか福利厚生施設の「雄飛荘」が会場。お昼はここのレストランのお弁当で、右手が使いづらい身としては特にご飯を食べるのが大変だったけど、周りの受講生も高齢なせいか食べるのがゆっくりだったおかげで、こちらも残さずに食べることができた。
 午後はSUBARU群馬製作所矢島工場にあるビジターセンターを見学。いろいろな車種を一つのラインで製作しており、車の生産もさることながら、この製造ラインの制御や設計をした人々の構想力のすごさに圧倒されてしまった。
 6月29日(金)
 何と梅雨明け。例年なら7月20日頃なのに3週間も早い。シーネをして包帯ぐるぐる巻きとはいえ、梅雨の間はそれほど気温も上がらないから何とかしのげるだろうともくろんでいたのに、あっさりと前提が崩れて猛暑到来とは…。
 予選リーグ3試合で2点取れば合格だろうと思っていたサッカーW杯の日本が、思いがけない健闘で決勝トーナメント進出のチャンスをつかみ、夜中に目が覚めたついでにポーランド戦の後半を観戦した。ポーランドに1点先制された後、もう1試合でセネガルがコロンビアに負けている状況を踏まえて日本は自陣でボール回しに終始した結果、決勝進出を決めました。
 その昔、夏の甲子園で松井秀喜選手を5打席連続敬遠して星稜高校に勝った明徳義塾高校の馬淵史郎監督に、誰かインタビューしないかな。「少しは、俺の気持ちがわかったか」とでも答えてほしい。
 7月4日(水)
 前夜は前橋で会議というのに、今朝は邑楽町役場まで撮影に行かなければならない。行き方を調べた結果、コミュニティーバスで自宅付近から町役場に行き、10分で仕事を済ませて、太田駅方面へ向かうコミュニティーバスで戻るのが効率がよいとわかり、朝8時10分過ぎに家を出た。コミュニティーバスだけにあちこち寄り道?するので、今まで知らなかった道を通ったり、公共施設の所在地がわかったりで、ためになることも多い。この日最大の収穫?は、上毛新聞に載っていた「邑楽町内にある『猫バス』に見える樹木群」のありかが、コミュニティーバスの路線から偶然発見できたことだった。
 肝心の写真はスペースの都合で没。これも仕事にはつきまとう不運。
 7月8日(日)
 今季最後の面接授業「地域金融機関の現状と課題」で昨日から群馬学習センターに通う。群馬県の第二地銀「東和銀行」の幹部らによる講義で、吉永国光頭取の発案により7年も続いいるという。二日目の最後は吉永頭取が講義し、岩手県の副知事をしていた約20年前、岩手大学内にあった学習センターに学生として通った思い出話をしていた。
 その当時、盛岡支局にいた僕は地方版で生涯学習をテーマにした連載を担当し、その中で吉永副知事にインタビューしたことがある。講義終了後、あいさつをしてそのことを話すと、たいそう驚かれた。巡り合わせって、あるものです。
 7月9日(月)
 X線検査により、肘までカバーしていたシーネが手首までの短いものに替えてくれた。本当は右手を少しでも洗って、積もった垢を落としたかったんだけどな~。それでもあと1週間の辛抱だと思っていたら、「来週は海の日で休みだから、再来週ね」と先生が無情の宣告。この先生、当病院では月曜日しか診察しないのでした。シーネを外すぐらい別の先生でもできそうなもんだけど、そうもいかないのだろうか。患者は弱し。
 おかげで、22日に富津市である法事には包帯巻いたまま参列することになってしまった。両親や親類には心配させないようにしたかったが、うまくごまかせなくなったのは残念無念。
 7月15日(日)
 昨日は市役所で「ごみ問題」をテーマにした住民協議会の第1回会合があり、炎天下を歩いて取材に行った。無作為抽出した市民に案内を送り、参加を希望した人が委員になって問題を他人事ではなく「自分のこと」として議論するのが趣旨なのですが、昨年も別テーマで実施していて少々新味に欠けるきらいがあり、記事は没に。
 15日夜、「とりせん」八幡町店へ買い物に出かけたついでに、昨日から開かれている「太田まつり」を少しのぞいた。伝統行事でもないから特に取材はしなかったけど、ここで暮らしている人々にとっては年に一度の祭りが楽しみなのは多少なりとも感じられた。
 7月17日(火)
 カメラのレンズが故障していたことが判明。連載用に取材した人の顔写真がびっくりするくらいのボッケボケ。オートフォーカスではあり得ないし、ファインダーではちゃんとピントは合っていたのに。要は一眼レフのような光学ファインダー(=レンズを通した画像が見える)ではなく、レンズを通さない独立したファインダーなので、ファインダー内はピントが合っていてもレンズの方は全く動いていなかったってことらしい。
 6月17日に転倒した際、カメラをかばったつもりだったけど、知らない間にどこかぶつけてしまったのだろうか。ビックカメラのサイトでオリンパスのズームレンズを購入することに。とても薄いパンケーキ型なのには驚いた。
 7月18日(水)
 太田駅構内で取材を終えた後、午後3時過ぎから約20分歩いて支局に帰ったら、これが「本町通り死の彷徨」だった。軽い熱中症とまではいかなくても、その寸前だったのかもしれない。きのうも東武伊勢崎線の世良田駅ホームで、日陰ながら約30分電車を待っていたら、それだけでクラクラしてしまった。もはや「猛暑」どころではなく「暴暑」だ。
 7月21日(土)
 夕方、高速バスで君津に帰省。老父には右手骨折の事情を説明し、実際はもう治っていて2日後にはシーネを外せるから心配ないと伝えた。老母は同じ月曜日に退院するから、家に帰ってきてから話してもらおうと勝手に思いこんでいたが、老父は何と僕がシャワーを浴びている間に携帯で即、話していた。
 結局、老母にも電話で事情説明。いくつになっても親ってのは子供の心配をしてしまうのかね。
 7月22日(日)
 午前中、富津市の寺で法事。気温30度を超す猛暑とはいえ、群馬県よりは明らかに低い。日なたで立っていたって我慢できないってことはない。上着を着てないからだけど。老母が入院した頃、足を捻挫した姪は依然として正座できないといい、思いがけぬ重症だったようだ。この姪の厄年は強力だったのか、3代にわたって骨折や捻挫に見舞われた。
 別会場に移ってお斎をいただく。「まためい」2人がすっかり大きくなっていた。上は来年小学生、下は今3歳。見た感じ仲良し姉妹だけど、父親たる甥っ子は「家じゃしょっちゅうけんかしてます」だって。
 夕方、上越新幹線で東京から熊谷へ向かおうとして、先日利用登録したSuicaの「タッチでゴー」(JR東日本管内の新幹線自由席なら在来線同様にスイカだけで乗れるサービス)を使おうとしたら、なぜか自動改札で止められてしまった。やむなく自由席券を別途購入して入ろうとしたら、今度はスイカを受け付けない。どういうことだと改札の職員に丁重に詰問すると、何だかよくわからない説明をしてスイカに記録された購入履歴を一部削除し、「熊谷駅で現金精算してください」ということになった。納得しがたいが、乗りたい新幹線を逃すわけにはいかない。新幹線で車内精算し、スイカで払えた。不思議だね。
 熊谷駅からは太田駅行きのシャトルバスに乗り継ぐ。日暮れ時の熊谷は、日中の千葉よりもずっと暑かった。
 7月23日(月)
 長かった37日間のシーネ生活も今日でおしまい。いつも通り、8時35分太田駅発のバスでイムス太田中央総合病院へ行き、X線撮影で橈骨と尺骨がそれぞれくっついているのを確認し、無罪放免となった。しかし、問題はこれから。何しろ手首が曲がらない。「よく動かさないと、一生曲がらないままになっちゃいますよ」と先生は脅かす。素直に聞いてリハビリに励むのみ。
 太田駅行きのバスを待つ間、トイレで右手の垢を落とす。ま、出るわ出るわ、排水管が詰まったりしないよう、ほどほどでやめておいた。
 快気祝い?ランチは「いきなりステーキ」。夕方、38日ぶりに行った「源泉 湯乃庵」で体重を量ったら、何と73キロ台! 骨折前より3キロほど減っていた。いくら走っても74キロ台後半がやっとだったのに、ゆっくりとよくかんで食べたせいで、食事量が少なくても空腹感を催さなかったのかもしれない。
 左手生活がもたらしてくれた思いがけぬプレゼントだった。

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