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2008年9月20日 (土)

長春の広い道幅考

 昨日、現地ガイドの昌さんが「長春は緑、車、文化の街」と紹介してくれた。
 実際、車は多い。トヨタなど日本のメーカーも進出している。休日の土曜日ということもあり、結婚式の車列も見ることができた。中国では、花やリボンで飾り付けた車で、新郎やその友人らが新婦を家まで迎えに行き、披露宴会場のホテルなどに連れて行くのだそうだ。その様子を写すため、先頭の車はサンルーフを開け、座席に立って後続の車列をビデオ撮影していた。
 なお、初婚の披露宴は午前中であることが必須で、午後だとバツイチ、夕方から夜となると「何度目?」とのこと。
 それにしても、道路の幅の広さときたらどうだろう。片側4車線は当たり前、記憶違いかもしれないけど一方通行で8車線、てな所もあった。日本の都市では考えられない。
 ついこの間まで、少なくとも20年前は、長春だって自転車ばかりだったはずだ。なのに、どうしてこれほど広い道路を造ることができたのだろうか。
 帰国してから、職場の中国通に尋ねてみた。
 「満州国の首都だった街ですから、やはり、当時の官僚が理想の首都を築こうとした都市計画があったんだと思います」
 たちどころに答えてくれたのを聞き、大連の項で記した佐野真一氏の「満州国は戦後高度成長のグランドデザイン」という言葉を思い出した。ちなみに、彼は佐野氏の満州本は読んでいなかった。
 (しかし、車もない戦前に…)と思って閃いた。長春、すなわち満州国の首都・新京のグランドデザインは、関東大震災後に後藤新平が企画した帝都復興計画ではないかと。
 後藤が「大風呂敷」と称される所以の最たるものだった帝都復興計画は、予算不足でかなり縮小されたものの、幅員70−90mの幹線道路など、実現していれば東京の渋滞問題は相当違ったろうと、その先見性が評価されている。満州国の成立(1932年)は後藤の死後とはいえ、満鉄の初代総裁だった後藤の思想はこうした形で受け継がれたのではなかろうか。
080920
 この込んでいる道も一方通行4車線以上だった。それにしても、中国人はどこ構わず横断すること。

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