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2008年9月19日 (金)

長春へ

 午後は長春(満州国当時の新京)まで3時間の列車の旅。ダイヤの都合で仕方ないのか、この移動は「硬臥」だった。
 よく見れば「地球の歩き方」にも出ていたが、中国の鉄道の座席は4種類あり、昨晩の夜行はコンパートメントでベッドもそこそこクッションの利いた「軟臥」。これに対し「硬臥」は文字通り硬く、日本の寝台車同様、向かい合わせの3段ベッドだ。
 日本だと、寝台車だって昼間は下段に座って上2段は使わないのが普通だろうと思うのだけど、中国は昼間だろうが寝て移動するものらしい。僕らは当初、そこのところを理解できなかったのですが、ロシア人の姉ちゃんたちも上のベッドに登って行くのを見て、そういうものかと思ったのでした。
 悪いことに、席をまとめて取ることができなかったらしく、僕らは向かい合わせの6段のうち、上中の4段とその隣の中段1つに5人が分かれることになった。といって、やはり昼間っから最上段では景色も楽しめない。幸い下段の中国人母娘(60歳代と30歳代)が物わかりのいい人たちで、女性2人は下段に座らせてもらい、僕は中段で寝そべり、各自のスーツケースなどは上段に片付けることにした。隣の中段には下妻A夫妻の奥さんが上がり、A旦那は廊下の折り畳み座席に座っていくことで落ち着いた。
 下の女性2人は中国人母娘と持参のお菓子を交換したりしながら仲良くなり、筆談で中国のテレビドラマの話などで盛り上がっていた。どこの国でもこういうのは女性の方が上みたいだ。なお、この筆談で、僕と同年代の方の女性は、自分の氏名を中国語読みしてもらったら、その音が「太陽にほえろ」みたいだったので、以後は「ほえろちゃん」と呼ばせていただく。もう一人は商売柄、「おかみさん」。
 1時間ほどして停車した駅で、トラブルが起きた。しきりに僕らの席(上中段のベッド)を覗く中国人のあんちゃん2人がいて、そのうち何か口走りながら登ってこようとしたので、僕は「これらの席は私たちが買いました」と英語で言った。全然通じない。
 先方も切符を持っているので、離れた席にいる中国人ガイドの楊さんに来てもらったが、どうもダブルブッキングだったらしい。そうは言っても、先に乗ったのはこちらだし、長春までは譲る理由はない。女性車掌が間に入り、先方にもそういうことで納得してもらった。
 何言ってるんだかさっぱりわからなかったけど、中国人ってのは実に主張するねぇ。ほえろちゃんとおかみさんが同席していた中国人母娘が、僕らの援軍をしてくれたのが、何だか嬉しかった。もちろん、何を言ってたのかはわかりませんが。ともかくも、このトラブルが収まるのに30分は要した。
 長春に着いたのは午後5時頃。駅の近くに原発の排気塔のようなものがあるのには驚いた。ここの現地ガイド・昌さん(だったかな? 日本語は一番上手だった)によれば、発電所であることは確かでしたが。
080920
 バスで長春市内へ。今回の旅で最も見たかった建物の一つ、瀬島龍三氏も陸軍参謀当時に勤務したという旧関東軍司令部をバスの車窓から見物した。大坂城や名古屋城の天守を擬したのは、豊臣秀吉の「唐入り」の夢を果たしたとでも考えてのことなのだろうか。
 驚いたことに、現在は共産党吉林省委員会が使っているという。車窓見学になっているのもそのせい。料理にハエがたかるぐらいはちっとも気にしない気質に通じるのか、中国人は前に誰が使っていたかなんてこだわらないのだろうか。
 夕食は、とあるホテルにある日本料理店。「会席料理」と名乗りながら、「シシャモ焼き」「肉じゃが」と居酒屋メニューが出て来たのはご愛嬌。味はちょっと負けて60点かな。長春ビールはまずまず。
 宿泊したのは「長春名門海航酒店」。五つ星ホテルにふさわしく、部屋は広いしベッドも快適、夜景もきれいと、ビジネスホテル慣れした身には言う事なしでした。

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