「北里柴三郎ー雷と呼ばれた男」
北里柴三郎 の伝記を読んだのは、これが3度目。最初は小学生の時、純粋に「偉い人」だと尊敬するばかりだった。
2度目は就職して数年目の頃、「ヤングジャンプ」に連載されていた「栄光なき天才たち 」で取り上げられた時。終わりの方を読んだだけながら、東京帝国大学医学部のドン?青山胤通 との激しい対立が描かれ、子供向けの偉人伝で受けたのとはだいぶ違う印象だった。もちろん、青山が相当な悪役。あの漫画の常として、「青山の圧力に屈しなかった北里、バンザイ!」といった終わり方が、どうも気に食わなかった覚えがある。
今回は書店でたまたま目についた山崎光夫作の中公文庫上下2冊。
中学生ぐらいから20歳前後の頃の粗暴ぶりを「やんちゃ」と表現する言い方が浸透しつつあるけど、個人的には大嫌いな日本語だ。しかしながら、北里の「やんちゃ」ぶりは相当らしかった。と同時に、これまた考えられないほどの勉強ぶり。東大医学部に暴走族が入学したようなもの。「勉暴分離」が進んでしまった現代ではイメージしにくい。
後藤新平、森鴎外、コッホ、福沢諭吉ら、北里を支えた人物の懐の深さも興味深い。対立した青山についても、単なる権力の亡者ではなく、それなりの人物だったことを紹介しているのもフェアだ。もっとも、江木翼 という別の悪役が登場して青山の毒気が薄まった感はなくもない。
北里自身、女遊びが過ぎて新聞に書き立てられるなど、脇の甘さがあった点に触れているのも、大人向けの伝記ならでは。「ドンネル(雷)先生」と呼ばれながら、伝染病研究所移管問題で北里が所長を辞任した際に、伝研の研究員らがこぞって行を共にしたほど慕われていた理由の描き方は、もう少し紙面を割いてもよかったのではないかと思う。
北里が現在の熊本県小国町生まれだったとは、すっかり忘れていた。山崎氏はあとがきで、「こんな山奥からよくぞ世界的な細菌学者が輩出したもの」と驚嘆しているが、これは現代の感覚だろう。確かに山奥でも、明治初期にあって長崎に近かった点は、学問をする上での不利度は小さかったと思われる。また、熊本に横井小楠 がいたことの影響も大きかったようだ。
こうなると、幕末から戦前にかけての、九州を中心にした近代史の展開をまとめた本が読んでみたい気がする。
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コメント
小国町は地元では温泉地として有名。
はっきり言って温泉ぐらいしかない、山の中の小さな町です。わたしだってこんなところから世界的な学者が出たのが信じられない思いです。
横井小楠といえば、大学の友人のが卒論のテーマにしてましたね。
投稿: ごんふく | 2008年8月28日 (木) 20時29分
>ごんふくさん
現代でも、やはりそう思わせるほどの「距離感」なんですね。
いささか飛躍的ですが、鉄道の通っていない時代の方が、「距離感」に起因する不利は小さかったんじゃないかって気がします。「遠い」となると、長崎も大阪も東京も、ましてや外国も一緒だったのかもしれません。
投稿: 無頼庵 | 2008年8月30日 (土) 13時01分